表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怖い話  作者: 健二
縺ゅ↑縺溘′辟。莠九↓謌サ繧後k繧医≧縺ォ
210/494

蝉しぐれの囁き


夏の終わり、八月の残暑が厳しかったあの日から、僕の耳には蝉の声が違って聞こえるようになった。


高校二年の僕、佐藤陽介は夏休みの自由研究で「都市部における蝉の生態調査」というテーマを選んでいた。理科部に所属する僕にとって、自宅周辺と近くの神社の杜で蝉の種類や鳴き声を録音することは、さほど難しい作業ではなかった。


「蝉の声を集めているんだ」と友人に話すと、「気持ち悪い」と言われることもあったが、僕にとって蝉の声は夏の風物詩以上の意味があった。祖父が生前、「蝉の声には何かが隠れている」とよく言っていたからだ。


祖父は戦争体験者で、「戦地で仲間が亡くなった後、その声が蝉の鳴き声に紛れて聞こえた」と語っていた。子供の頃はただの戦争トラウマだと思っていたが、今になって不思議と気になり始めていた。


調査を始めて三日目、僕は地元で最も古いとされる香取神社を訪れていた。樹齢数百年の杉や楠が立ち並ぶ境内は、真夏の日差しを遮り、ひんやりとした空気が漂っていた。それでも蝉の声だけは途切れることなく、木々の間から降り注いでいた。


録音機を取り出し、様々な場所で蝉の声を録音していると、ふと気づいた。本殿裏手にある古い木に集まる蝉の声が、他の場所と明らかに違っていたのだ。


その木に近づくと、まるで蝉の声が人の囁きのように聞こえ始めた。最初は気のせいだと思ったが、じっと耳を澄ますと、確かに言葉のようなものが混じっている。


「たすけて…」

「かえりたい…」

「わすれないで…」


震える手で録音を続けながら、僕はその木の下に立ち尽くしていた。その時、突然肩を叩かれて飛び上がった。


「若いの、こんなところで何してるんだい?」


振り返ると、白髪の神主さんが立っていた。録音機を見せると、彼は複雑な表情を浮かべた。


「あの木には近づかない方がいいよ。『口寄せの楠』と呼ばれているんだ」


神主さんの話によると、その楠は昔から特別な木とされ、古くは口寄せの儀式が行われていたという。特に夏の終わり、蝉の声が最も賑やかになる時期には、死者の声が蝉に乗って聞こえるといわれていた。


「迷っている魂が、蝉の声に紛れて語りかけてくるんだ。ただ、誰にでも聞こえるわけじゃない。聞こえる人は『口寄せの才』があるとされてきた」


その夜、自宅で録音した音声を聞き直してみた。最初は普通の蝉の声だったが、徐々に不思議な変化が現れ始めた。蝉の「ミーンミーン」という声の中に、かすかに人の声のような音が混じっている。しかも、それは録音機では拾えないはずの低い周波数帯の音だった。


翌日、再び神社を訪れると、神主さんは僕に古い記録を見せてくれた。それによると、この地域では古来より「蝉口寄せ」という不思議な風習があったという。蝉が最も激しく鳴く時期に、特定の木の下で耳を澄ますと、先祖や亡くなった人の声が聞こえるというのだ。


「昔はそれを聞ける人が尊ばれたが、今は逆だ。聞こえる人は『死の気配を感じる者』として恐れられる」


神主さんの言葉に背筋が寒くなった。しかし、僕の好奇心は止まらなかった。その後も毎日、神社に通って録音を続けた。


徐々に、僕には蝉の声に混じる人の声がはっきりと聞こえるようになっていった。最初は単なる断片的な言葉だったが、やがて意味のある文章として聞こえ始めた。


ある日、特に強く聞こえた声があった。

「あなたに伝えたいことがある。明日、日没後にここに来なさい」


理性では恐ろしいと思いながらも、僕は翌日の夕方、再び神社を訪れた。日が落ち、境内が薄暗くなり始めた頃、あの楠の下に立った。


すると、蝉の声が一斉に止んだ。あたりは不自然なほどの静寂に包まれた。その時、背後から誰かが話しかけてきた。


「陽介君…」


振り返ると、そこには祖父が立っていた。生前と同じ姿で、ただ少し透き通っているような…。


「じい、ちゃん…?」


祖父は微笑み、口を開いた。

「あの世とこの世の境目が最も薄くなる時期が来ている。だから、伝えに来たんだ」


祖父の話によると、この世とあの世の境界は通常はしっかりと閉ざされているが、時折、薄くなる時期があるという。特に8月のお盆の頃から夏の終わりにかけては、両世界が最も近づく。


「蝉は両方の世界を行き来できる生き物なんだ。だから、死者の声を運ぶことができる」


祖父は続けた。「でも、それを聞ける人は特別だ。君には『口寄せの才』がある。でも、その才能には代償が伴う」


「代償…?」


「死者の声を聞ける人は、死の兆候も感じ取れるようになる。これから君は、周りの人の『死期』が分かるようになる。それは時に、大きな責任と苦しみになるだろう」


そして祖父は最後にこう言った。

「今年の夏の終わりには、大きな災いが来る。この地域の多くの人が犠牲になるだろう。でも、君なら人々に警告できる」


「どんな災いが…?」


しかし、その問いに答える前に、祖父の姿は薄れ始めた。同時に、止んでいた蝉の声が再び鳴り始めた。


翌日から、僕の世界は一変した。友人や家族を見ると、その周りに「残り時間」のようなものが見えるようになったのだ。ほとんどの人は長い時間を示していたが、何人かは…あまりに短い時間だった。


特に衝撃だったのは、学校の古い友人・健太の周りに見える時間だ。彼の「残り時間」はわずか10日ほどしかなかった。


恐る恐る健太に「最近、体調は大丈夫?」と尋ねたが、彼は元気そのものだった。しかし、僕の直感は騙せなかった。彼に何か危険が迫っていることを、僕は確信していた。


さらに不気味だったのは、クラスの多くの生徒、そして町の人々の「残り時間」が、ほぼ同じ日付で終わっていることだった。祖父の言った「大きな災い」とは、一体何なのか…。


僕は録音した蝉の声を何度も聴き直し、そこに隠された警告を探った。そして次第に気づいた。蝉の声に混じる囁きの中に、「地震」「津波」という言葉が繰り返されていることに。


市の防災課に行き、この地域の災害リスクについて調べてみると、過去に大きな地震と津波の被害があったことが分かった。特に150年前の8月末には、この地域を大津波が襲い、多くの犠牲者を出していた。


僕は学校の先生や市役所に警告しようとしたが、「蝉の声に死者の警告が聞こえる」なんて話は、誰も真剣に取り合ってくれなかった。健太にさえ、「お前、夏バテで頭やられたんじゃないか」と笑われた。


そんな中、あの「期日」が近づいてきた。蝉の声は日に日に強くなり、僕の耳には死者たちの叫びがはっきりと聞こえるようになっていた。


前日の夜、僕は決心した。信じてもらえなくても、できる限りの人に警告しなければならない。SNSで「明日、この地域に大きな地震と津波が来る可能性がある」と投稿し、家族や友人には直接連絡した。


もちろん、多くの人に「迷惑だ」「根拠のないデマを広めるな」と非難された。しかし、幸いなことに、健太だけは半信半疑ながらも「お前がそこまで言うなら」と海岸沿いの祭りへの参加をキャンセルしてくれた。


そして、あの日が来た。

朝から蝉の声が異様に大きく、町中が騒がしかった。昼過ぎ、突然すべての蝉が鳴き止み、不気味な静寂が訪れた。


その10分後、地震が発生した。

マグニチュード7.2、この地域では観測史上最大規模の地震だった。そして予想通り、その30分後に津波警報が発令された。


幸い、僕の警告を信じた家族や友人たちは高台に避難していた。健太も無事だった。しかし、海岸沿いの祭りに参加していた多くの人々が被害に遭った。


震災から一ヶ月後、町が少しずつ復興し始めた頃、再び神社を訪れた。あの楠の前に立つと、今度は静かな蝉の声だけが聞こえた。


「ありがとう…」という囁きが一度だけ聞こえ、それから蝉の声は通常の鳴き声に戻った。


それ以来、僕の「口寄せの才」は消えた。人の「残り時間」も見えなくなった。しかし、夏の終わりに蝉の声を聞くたびに、あの体験を思い出す。


蝉は単なる夏の風物詩ではない。彼らは時に、この世とあの世の間に立つ使者なのかもしれない。そして、耳を澄ませば、今でも彼らの声に何かが隠れているような気がしてならない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ