「ライブ配信は応答しません」
リモートワークに切り替わってから、私は猫の留守番用に2千円の中古ネットワークカメラを買った。型番は「HiLook IPC-C120」。中国メーカーのエントリーモデルで、PCでもスマホでもライブ映像が見られる。設置は簡単、QRコードを読んでWi-FiのIDとパスワードを入れるだけ――のはずだった。
夜、天井に取り付けると、レンズの横の赤LEDが点滅し、スマホのアプリにデバイス名が現れた。だがプレビュー画面は灰色のまま「ライブ配信は応答しません」という英語メッセージが出る。安物だからこんなものかと諦め、翌朝そのまま出社した。
昼休み、ふとアプリを開くと映像が映った。逆光に揺れるレースのカーテン、書棚、そして私の飼い猫、銀色のアメショがキャットタワーで伸びをしている。成功していたのだ、とホッとした。
しかし数秒後、画面をなぞるようにノイズが走り、猫の背後、玄関に近い暗がりで人影が横切った。黒いパーカーのフードを被り、スマホを耳に当てるジェスチャーをしているように見えた。私は凍りつき、再生を巻き戻した――HiLook のアプリには15秒の「即時リプレイ」がある。でもそこには何も映っていなかった。自分の錯覚だと思い込み、仕事へ戻った。
帰宅すると室内は荒らされておらず、猫も寝床で丸くなっている。カメラを確認すると、背面のリセットボタン脇に薄い傷が増えていた。気味は悪かったが、その晩はほかに異常はなし。
翌日、私はテレワークだった。朝10時、資料作成に飽きてブラウザを開くと偶然こんな記事が目に入った。
《海外フォーラムに1万台超の家庭用IPカメラID流出。静的パスワードが原因》
さらに読めば、HiLook も親会社が同じハイクビジョンで、初期IDとパスワードのままにしているユーザが多いという。私は慌てて設定を開いたが、変更メニューはグレーアウト。どうやら中古前ユーザが「来客用」の閲覧権限だけ残し、管理者権限を削除して売ったらしい。つまり私は映像を見ることはできても、誰がカメラに入れるか制御できない。
昼すぎ、アプリにプッシュ通知が届いた。「モーション検出:12:32:10」。再生すると、また玄関に黒い影が立っている。今度ははっきり腕を振り、猫を呼ぶような口の動きまで見える。私はスピーカー越しに「誰だ!」と叫んだ。カメラにはマイクとスピーカーが付いており、本来は留守中にペットへ声掛けする機能だ。
ところが、画面の人間は一瞬こちらを見ただけで、にやりと笑い、手に持ったスマホをカメラへ向けた。その瞬間、映像はブラックアウトし、例のメッセージが表示された。
警察に「映像がハッキングされたかもしれない」と相談した。が、「実際の侵入がなければ民事です。まずカメラを外しては」と言われる。私は仕方なく本体の電源ケーブルを抜いた。
だが夜、一人で風呂に入りドライヤーをかけていると、背後で「ピッ」という電子音。振り向くとリビングのカメラが赤LEDを点けている。確かにコンセントは抜いたはず……。近づくと、USB電源の代わりにカメラ背面のLANポートから細いケーブルが伸び、床に置いたモバイルバッテリーに刺さっていた。そんなものは買った覚えがない。
私はバッテリーを引き抜き、カメラを窓から外へ放り投げた。金属の鈍い音が階下のアスファルトに響く。
翌朝六時、ピンポンが鳴く。ドアスコープを覗くと宅配便の制服。心当たりのない荷物だったが、映像機器を投げ捨てた罪悪感もあり受け取った。差出人は〈H.L Online Store〉。中身は新品同型のカメラ、そして手書きメモ。
「RESET 完了 管理者ID:guest Pass:hik12345」
「22:55 までに設置せよ」
本能的にゾッとし、箱ごとゴミ置き場へ持って行った。だが20時、帰宅して郵便受けを開けると、同じカメラが鎮座している。背面には宅配の送り状を貼り直した跡。私はそれを携え、近所の交番へ走った。警察官は番号を控え、持ち帰ると言った。
深夜二十三時前。ベッドでうとうとしていると、玄関のポストが「カタン」と落ちた。封筒一枚。中にSDカードとメモ。
「ライブ配信は応答しません ※ゼロデイ 2021/12 大手町」
──大手町? スマホで検索すると「大手町ビル Ring カメラ ハッキング 女性宅へ脅迫音声」という2021年の記事。国内でも起きていた。被害者は「オフラインにしても勝手に再起動した」と証言している。
私は体の震えが止まらず、SDカードをPCに挿した。フォルダにはタイムスタンプだけのMP4が一本。再生すると、暗い部屋でパーカー姿の男がスマホを操作しながら、こう囁いている。
「次はリアルタイムだ。管理者は君だけど、監視者は俺だよ」
背景の壁紙とキャットタワーは、紛れもなく私の部屋だった。録画日時は昨夜、カメラを電源オフにしていたはずの時間帯。
逃げるしかないとアパートを飛び出した。路地の向こう、ゴミ置き場の前でパーカー男が立っていた。私が投げたはずの最初のカメラを抱え、コネクタにモバイルバッテリーを挿し込んでいる。こちらに気づき、スマホを耳に当てニッと笑う。
背後でスマホが震え、HiLookアプリが勝手に起動した。映るのは今まさに私が立つ路地。カメラは向こうにあるのに、画面は私の背中を真正面から捉えている。「ライブ配信は応答しません」という文字が一瞬だけ消え、代わりに赤い REC ランプ。視界が暗転した。
気づくと交番のベンチで毛布を掛けられていた。巡回警官が男を追い払ってくれたらしい。が、拾得物リストに「カメラはなかった」という。
翌日。会社を休み、引っ越しを決め、不用品をまとめていると、PCのUSBポートに見慣れない小さなドングルが刺さっていた。抜こうと触れた瞬間、モニターがブラックアウトし、白い文字列を流し始める。
Guest login accepted
Watching…0:00 / ∞
画面には点滅する「0」のカウンター。そしてカメラを捨てたはずの路地裏映像が映る。徐々にカウントが増え、1、2、3……。
それは監視者の「現在の視聴者人数」だった。10を越えたところで映像が私の部屋に切り替わる。窓際に首を傾げる猫、そして私自身がPC前で固まっている姿――完全なリアルタイム。カメラはない。それでも全方向から撮られているようだった。
背筋に氷が這い、PCをシャットダウンしようと電源ボタンを押すも無反応。映像下部のチャット欄に英文が走った。
Nice view.
Turn around.
私は振り向けなかった。代わりに、モニタの向こうの自分がゆっくりと後ろを向いた。そこにはパーカー男ではなく、壁にまた貼ったはずの国産カメラが、赤いLEDを点けている。
真正面から見せられた“私の背面”。声が漏れた。「ライブ配信は応答しません」。それはカメラではなく、私自身に向けられたステータスだった。外せない、電源も切れない――まるで、私そのものがネットワークに組み込まれてしまったかのように。
現在、引っ越しは保留のまま。ルーターのログを解析しても、どこから入られているのかわからない。夜になると、PCを立ち上げていなくても背後に視線を感じる。猫が天井の角を見つめて鳴くたび、スマホが震え、「モーション検出:00:00:00」と空白の通知が届く。
警察のサイバー担当は「現行法で個人宅のハッキングは立証が難しい」と言う。つまり、実害が出るまでは動けない。私は今日も、部屋というライブ配信スタジオで、一挙手一投足を記録されながら仕事をしている。
唯一の救いは、視聴者数カウンターがまだ二けたでとどまっていることだ。けれど数字は日に日に増え続け、ゼロが並ぶその先に「∞」がちらついている。
ライブ配信は――まだ、応答しない。私がここを去らないかぎり。
(了)
【物語に含まれる実在の出来事・事実】
・2019年末から2022年にかけ、Ring/HiLook など家庭用IPカメラがハッキングされ、見知らぬ男が子どもに声を掛けたり脅迫した事例(米国・日本で報道)。
・初期ID/パスワードのまま出荷される機器が多く、オンライン販売サイトで中古流通している実態。
・2021年12月、東京都内でカメラ映像を乗っ取られ「宅内放送」を受けた被害者が警視庁に相談したとの新聞記事。
・ゼロデイ脆弱性(開発元が未認識で修正前のセキュリティ欠陥)を突いたハッキングが、2021年に大手町など企業ビルの館内カメラで確認されたと総務省が発表。
あなたの見守りカメラが今日も「0 人視聴」と表示しているなら、それは“あなたには応答していない”だけかもしれない。