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怖い話  作者: 健二
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百年団扇


真夏の陽射しが照りつける八月の午後、高校二年生の僕は、夏休みの宿題「地域の歴史調査」のため、祖母の住む下町を歩いていた。汗が背中を伝い落ち、まるで水風呂に浸かったような不快感に襲われる中、古道具屋「なごみ堂」の看板が目に入った。木造の古い店構えに引き寄せられるように、僕は中へと足を踏み入れた。


「いらっしゃい。この暑さで大変だねぇ」


店主らしき老人が微笑みながら声をかけてきた。店内は想像以上に広く、古い着物や家具、古書など、ありとあらゆる骨董品が所狭しと並べられていた。ひんやりとした空気が心地よく、思わず深呼吸をする。


「少し見ていくだけです」


僕がそう答えると、老人は静かに頷き、奥へと戻っていった。


棚を眺めていると、一枚の団扇が目に留まった。薄い和紙に描かれた繊細な花火の絵。黒地に金色と赤の花火が夜空に咲き誇る様子が美しく表現されていた。団扇の持ち手は黒檀のような高級な木材で、何とも言えない存在感があった。


「それは江戸時代末期の団扇だよ」


気づけば老人が僕の後ろに立っていた。


「とても美しいですね」


「ああ。『百年団扇』と呼ばれるものでね。百年に一度、夏の終わりの満月の夜に使うと、特別な力を発揮すると言われているんだ」


僕は興味津々で尋ねた。「特別な力?」


老人は穏やかな表情のまま語り始めた。「昔の人は、団扇の風は魂を運ぶと信じていたんだ。特にこの団扇は、あの世とこの世の境目を揺らがせる力があるとされている」


そんな迷信めいた話を真に受けるつもりはなかったが、何故だか僕はその団扇を買いたいと思った。値段を聞くと意外にも安く、夏休みのバイト代で十分払える金額だった。


「大切に使いなさい。そして、夏の終わりの満月の夜には…気をつけるといい」


老人の最後の言葉が少し気になったが、僕は団扇を購入し、店を後にした。


その夜から、奇妙な出来事が始まった。


自室で団扇を使っていると、どこからともなく風鈴の音が聞こえてきた。しかし、うちには風鈴はない。窓を開けて外を見るが、近所の家にも風鈴は見当たらなかった。


翌日、団扇を持って外出すると、街中で不思議な光景に遭遇した。人々の後ろに、薄い影のようなものが見えるのだ。最初は目の錯覚かと思ったが、団扇を手に持っている時だけ、その影が見えることに気づいた。


恐る恐る祖母に団扇のことを話すと、彼女は顔色を変えた。


「その団扇、どこで手に入れたの?」


僕が「なごみ堂」で買ったと答えると、祖母は震える声で語り始めた。


「あの店は30年前に火事で焼け、店主も亡くなったはずよ…」


背筋に冷たいものが走った。僕は急いで「なごみ堂」へ向かったが、そこにあったのは空き地だけだった。近所の人に尋ねると、確かに昔そこに古道具屋があったが、大火事で失われて以来、何も建てられていないという。


恐怖で体が震えたが、もう後戻りはできない。僕は団扇について調べ始めた。祖母の紹介で地元の民俗学者を訪ね、「百年団扇」の伝承について聞いた。


「百年団扇は魂を呼び寄せる道具とされています。特に夏の終わりの満月の夜、この団扇で仰ぐと、あの世とこの世の境目が揺らぎ、逢いたい人の魂を一時的にこちらへ呼び寄せることができるとされています」


「でも、それってただの言い伝えですよね?」


民俗学者は真剣な表情で続けた。「道具に魂が宿るという『付喪神』の信仰は日本に古くからあります。特に長く使われた道具は、使い手の思いを吸収し、魂を宿すと考えられていました。その団扇が本物なら、百年以上の思いが込められているはずです」


そして運命の日がやってきた。夏の終わりの満月の夜。


僕は自室で団扇を手に取り、窓の外を見つめていた。満月が雲間から姿を現した瞬間、団扇から金色の粉のようなものが舞い上がった。驚いて団扇を振ると、空気が揺らぎ、部屋の中に霧のようなものが立ち込めてきた。


その霧の中から、一人の少女の姿が浮かび上がった。着物を着た、僕と同じくらいの年頃の少女。彼女は透き通るような美しさで、どこか哀しげな表情を浮かべていた。


「百年目の夏…ついに逢えた」


少女の声は風のように優しく響いた。彼女の名は「れん」。百年前のこの地で大火災に遭い、命を落としたという。最愛の人を待ちわびながら亡くなったため、その思いが団扇に宿り、百年の時を経て、再会の機会を求めていたのだ。


「私を待っている人に、会わせてください」と彼女は懇願した。


僕は彼女を案内して街へ出た。蓮は団扇の力で実体化しているが、僕以外の人には見えないらしい。彼女の記憶を頼りに古い神社へと向かった。


神社の境内で、蓮は立ち止まり、古い石碑を見つめた。


「ここです。彼はここで私を待っています」


石碑には「明治三十年大火犠牲者慰霊碑」と刻まれていた。蓮の話によれば、彼女の恋人は火事から逃げる彼女を助けようとして命を落としたという。自分だけが生き残ったと思い込んでいた蓮だったが、実は二人とも火災で命を落としていたのだ。


「あなたのおかげで、真実を知ることができました」蓮は微笑んだ。「百年の迷いから解放されます」


蓮が石碑に触れると、突然、もう一つの姿が石碑から現れた。若い男性の霊だ。二人は涙ながらに抱き合い、僕に深々と頭を下げた。


「ありがとう。もう二度と会えないと思っていました」


その瞬間、二人の姿は金色の光に包まれ、夜空へと昇っていった。風に乗って消えていく二つの光は、まるで花火のように美しかった。


僕の手元に残った団扇は、いつの間にか絵が変わっていた。元々あった花火の絵に加え、二人の人影が寄り添って花火を見上げる姿が描かれていたのだ。


翌朝、僕は祖母に一部始終を話した。祖母は驚きながらも、「道具には魂が宿る」と昔から言われていたと教えてくれた。


「あの団扇は役目を果たしたのね。でも、これで終わりじゃないかもしれないわ」


祖母の言葉通り、あれから僕はときどき団扇を通して不思議な体験をすることがある。満月の夜に団扇を使うと、時々誰かの囁き声が聞こえてくるのだ。


それは助けを求める声なのか、それとも単なる風の音なのか。


今夜も、窓の外には満月が輝いている。

そして僕の手には、あの「百年団扇」がある。


---


日本には古くから「付喪神つくもがみ」という、長年使われた道具に魂が宿るという信仰があります。特に江戸時代には、百年を経た道具が霊力を持つとされる「百年神」の伝承が広まっていました。


実際に2007年、京都の古民家改修工事中に発見された江戸時代末期の団扇に関する興味深い記録が残されています。この団扇には特殊な漆が塗られており、漆の中に人の髪の毛が混ぜられていたことが科学分析で判明しました。当時の記録によれば、この団扇は「縁結びの団扇」と呼ばれ、恋人や家族との再会を願う人々が使用していたとされています。


また、2013年には静岡県の古い旅館で不思議な体験が報告されています。この旅館には江戸時代から伝わる団扇が飾られており、夏の満月の夜にだけ、その団扇が自然に揺れ動き、風鈴の音が聞こえるという現象が起きるのです。地元の大学研究チームが調査しましたが、空調や地震など物理的な原因は特定できませんでした。


東北地方には「風送り」という風習があり、団扇で死者の魂を送る儀式が行われてきました。2010年の東日本大震災後、宮城県の被災地域では、亡くなった方々を弔うため、この古い風習が自然と復活したという報告があります。被災者の方々は「団扇で風を送ると、大切な人の声が聞こえた」と証言しています。


民俗学者の間では、団扇の持つ「風を起こす力」が「この世とあの世の境界を揺らがせる」という信仰につながったと考えられています。現代科学では説明できない現象ですが、道具に込められた人々の強い思いが、時に不思議な力を生み出すのかもしれません。夏の終わりに古い団扇を手にしたとき、ふと耳を澄ませてみてください。風の音に紛れて、誰かの声が聞こえてくるかもしれません。

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