荒神の森
「荒神様を怒らせてはいけない。怒らせたら、七代祟るよ」
そんな言い伝えがある小さな田舎町に、私は夏休みを利用して取材に訪れていた。高校の民俗研究部の活動で、日本各地の祟り神について調べていたのだ。
町の中心から少し離れた山の麓に、朽ちかけた赤い鳥居が立っていた。地元では「荒神の森」と呼ばれ、近づくことすら忌み嫌われている場所だった。
「若い人が来るなんて珍しいね」
宿を取った民宿の女将さんは、私の調査について聞くと、少し困ったような表情を見せた。
「昔から、荒神様は祀らなければ祟り、祀っても祟る。だから誰も近づかないんだよ」
「なぜそんなことに?」
「戦国時代、この地を治めていた領主が村人たちを虐げていたんだ。村人たちは荒神様に祈って領主に祟りをかけた。領主は確かに病で死んだけれど、その後、村にも疫病が広がり、多くの人が亡くなった。それ以来、荒神様は『怒れる神』として恐れられるようになったんだよ」
翌日、私は地元の古老を紹介してもらった。80歳を超える高橋さんは、この町で代々神主を務める家の出身だった。
「荒神の森か。あそこにはな、本当は神社があったんだよ。今は石の祠だけが残っている」
高橋さんは、戦後すぐの出来事を語ってくれた。
「私が子どもの頃、町の開発のために荒神の森を切り開くという計画があったんだ。工事が始まった翌日から、重機のエンジンがかからなくなったり、作業員が次々と体調を崩したりしてね。それでも工事を強行しようとした現場監督が、突然狂ったように暴れ出し、崖から転落して亡くなった」
計画はすぐに中止になったという。
「でもね、あれから70年以上経って、町長が再び森の開発を決めたんだ。観光施設を建てるって」
その話を聞いて、私は興味を持った。荒神の森の開発計画について調べるため、町役場を訪れることにした。
町役場の若い職員は、開発計画について詳しく教えてくれた。建設予定地の図面や模型まで見せてもらった。
「来月から工事が始まります。町長も観光振興に力を入れていて…」
話の最中、突然、激しい雷鳴が響いた。真夏の晴天だったのに、町役場の周辺だけ黒い雲に覆われていた。
「おかしいな…天気予報では…」
職員が言いかけたとき、建物全体が揺れた。地震かと思ったが、揺れは役場だけのようだった。窓の外を見ると、突風が吹き荒れ、木々が激しく揺れていた。
「あの…もしかして、荒神様のことを話していました?」職員が震える声で言った。
彼は顔面蒼白になり、「今日はこの辺で。明日また来てください」と急いで私を追い出した。
その夜、民宿に戻ると、テレビのニュースで町長が突然の病で入院したと報じていた。
「始まったか…」女将さんが呟いた。
翌日、高橋さんの案内で荒神の森に向かうことになった。女将さんは必死に止めたが、高橋さんは「正しい作法で参れば大丈夫」と言った。
私たちは清めの塩と御神酒、そして白い紙で作った御幣を持って森に入った。鬱蒼とした木々の間を抜けると、苔むした石の祠があった。祠の前には朽ちた注連縄が張られ、周囲には錆びた鉄の鳥居が何基も立っていた。
「昔は大きな神社だったんだ。でも荒神様を恐れた人々が、神社を解体して祠だけにした。その時から、本当の意味での『祟り』が始まったんだよ」
高橋さんは、祠の前で丁寧に手を合わせ、御神酒を供えた。私も真似て祈りを捧げた。
その時、不思議なことが起きた。風もないのに、祠の周りの草が揺れ始めたのだ。そして私の耳元で、かすかな声が聞こえた。
「助けて…」
振り返ったが、誰もいない。高橋さんは気づいていないようだった。
「聞こえませんでしたか?誰かの声が…」
高橋さんは静かに頷いた。
「荒神様ではない。ここに祀られていた本当の神様の声だ」
彼の説明によると、この地には元々、村を守る善良な神様が祀られていたという。しかし戦国時代、村人たちが呪いをかけるために邪悪な祈りを捧げたことで、神様は「荒神」と化してしまった。
「本当は、神様を正しく祀り直せば、荒神様は元の姿に戻れるんだ。でも皆、恐れて近づかない」
その日から、私は高橋さんから神道の作法を教わり、毎日祠に参拝した。最初は怖かったが、次第に神聖な気持ちで祈れるようになった。
ある日、祠の奥で何か光るものを見つけた。手を伸ばすと、古い木製の御札だった。表面には「鎮守大明神」と書かれている。
「これは!」高橋さんは驚いて御札を手に取った。「本来の神様の御札だ。これがあれば…」
その夜、私は不思議な夢を見た。美しい着物を着た女性が森の中で踊っている。周りには大勢の村人たちがいて、皆幸せそうに笑っている。女性は私に向かって手を伸ばし、「ありがとう」と微笑んだ。
目が覚めると、窓の外は激しい雨だった。稲光が走り、雷鳴が響く。
民宿の玄関に駆け込んできたのは、町役場の職員だった。
「大変です!荒神の森に落雷があって火事になっています!」
私たちが森に駆けつけると、祠の周りだけが燃えていた。しかし不思議なことに、周囲の木々には燃え移っていない。消防車が到着し、すぐに火は消し止められた。
燃えた後には、黒く焦げた祠と、一本の若い桜の木が残っていた。桜の木は夏だというのに、満開の花を咲かせていた。
「神様が戻られた…」高橋さんが呟いた。
その翌日、町長は突然回復し、荒神の森の開発計画を中止すると発表した。代わりに、「鎮守の森保存計画」を立ち上げると言う。
「不思議なんですよ。夢で美しい女性に『森を守ってほしい』と頼まれたんです」と町長は記者会見で語った。
それから一ヶ月後、私が町を去る日、荒神の森は「鎮守の森」と名前を変え、新しい鳥居が立てられていた。地元の人々が協力して、小さな神社を再建し始めていたのだ。
高橋さんは、私に古い木の御守りを渡してくれた。
「この御守りは、鎮守様から預かったものだ。あなたのおかげで、神様は本来の姿を取り戻せた。これからも困った時は、鎮守様に祈るといい」
東京に戻った私は、民俗研究部で荒神と鎮守神について発表した。発表の最中、不思議な風が吹き、持っていた御守りが温かくなるのを感じた。
今でも夏になると、あの町を訪れる。鎮守の森は美しく整備され、地元の人々に愛される場所になった。祭りの日には、かつて夢で見た女性そっくりの巫女さんが、鈴の音と共に優雅に舞を披露する。
神様は、正しく祀られることを望んでいる。恐れるのではなく、敬い、対話することで、祟り神は守り神に変わるのだと、私は学んだ。
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日本各地には、古くから「荒神信仰」が残っています。荒神は、もともとは火の神や竈の神として家内安全を守る神様でしたが、地域によっては祟り神として恐れられています。
2005年、岩手県のある集落で興味深い出来事が記録されています。開発予定地から古い祠が発見され、地元の古老たちは「荒神様の祠だから触れてはいけない」と警告しました。しかし、工事は予定通り進められ、祠は移設されました。
その直後から、作業員たちに原因不明の体調不良や事故が相次ぎ、最終的に開発計画は中止されました。調査の結果、その祠は江戸時代に疫病が流行した際、「疫神社」として建てられたものだったことが判明しました。地元の神社の宮司による祈祷が行われた後、不思議な現象は収まったといいます。
また、2013年には福島県の山間部で、廃村になった集落の神社を再建する動きがありました。地元の伝承では「七年に一度の祭りを怠ると村に災いが起きる」と言われていたからです。実際、神社が放置されていた期間中、周辺地域では異常気象や農作物の不作が続いていました。
神社が再建され、70年ぶりに祭りが行われた翌年から、周辺地域の作物の収穫量が回復したという記録が残っています。
民俗学者の間では、「祟り神」と恐れられる存在の多くは、本来は地域を守る神様だったという見解があります。災害や疫病などの災厄を神の祟りと考えた人々が、恐れるあまり正しい祀り方を忘れてしまったのではないかという説です。
実際、日本全国には「忌み神」として祀られなくなった神社が多く存在します。それらの多くは、時代の変化とともに本来の意味が失われ、誤解されてきたものなのかもしれません。
2018年、京都大学の文化人類学チームが行った調査では、「祟り神」として恐れられていた神社の約7割が、元々は自然神や産業の神、または疫病を払う神として祀られていたことが分かりました。
神様との関わり方は、恐れるだけでなく、敬い、感謝することで、本来の姿を取り戻すのかもしれません。現代に生きる私たちも、先人たちが大切にしてきた信仰の本質を見失わないようにすることが大切なのではないでしょうか。