海辺の古写真館
夏休みの始まり、東京から祖母の住む北陸の小さな漁村に帰省した私は、浜辺で不思議な建物を見つけた。
潮風に侵食された古い木造二階建て。看板には「旧・浜風写真館」と薄れた文字で書かれていた。波音だけが響く静かな浜辺に、その建物だけが時間から取り残されたように佇んでいた。
「あそこには近づかない方がいいよ」
背後から声がした。振り返ると、地元の中学生らしき男の子が立っていた。
「どうして?」
「海の死者を写すところだから」
彼はそれだけ言うと、砂浜を駆け去ってしまった。
その日、祖母の家に着いて早々、私はその写真館のことを訊ねた。祖母は箸を止め、しばらく黙ってから話し始めた。
「あの写真館は、私が子どもの頃からあったよ。戦前に山本という写真師が始めたんだけど、戦後、この村で大きな海難事故があってね...」
1954年、村の漁船が台風で遭難し、27人の漁師が命を落とした。遺体の多くは見つからず、残された家族は深い悲しみに暮れた。
「その頃から、山本さんは...変わってしまったんだよ」
写真師の山本は、遺族のために亡くなった漁師たちの遺影を用意しようとした。しかし、写真を持たない家族も多かった。
「それで山本さんは、『写せば写るから』と言って、空の椅子を撮影し始めたんだ。そして不思議なことに、その写真には亡くなったはずの漁師たちが写っていたというんだよ」
祖母の話によれば、その後、山本の写真館は「死者を写す」という評判を呼び、遠方からも依頼が舞い込むようになった。しかし、村人たちは次第に写真館を恐れるようになり、誰も近づかなくなったという。
「山本さんは10年ほど前に亡くなって、写真館は閉まったままよ。時々、写真館から光が漏れているのを見たという人もいるけど...」
翌日、好奇心に負けた私は、こっそりと写真館に向かった。雨上がりの午後、海は穏やかで、遠くに漁船が見えた。
建物に近づくと、窓ガラスは埃で曇り、中は見えなかった。扉は固く閉ざされているように見えたが、軽く押すと意外にもすんなり開いた。
中に入ると、古い木の床がきしむ音がした。薄暗い一階には、受付カウンターと待合室のようなスペースがあった。壁には古びた写真が何枚も飾られている。漁師たちだろうか、潮に焼けた顔の男たちが無表情で写っていた。
奥には暗室らしき部屋があり、二階へ続く階段も見えた。古い写真機材や、黄ばんだ紙が散乱していた。
突然、二階から物音がした。誰かが歩いているような、重い足音。
「...すみません、どなたかいますか?」
返事はない。恐る恐る階段を上がると、二階には撮影スタジオがあった。窓からは海が一望でき、部屋の中央には古い木製の椅子が一脚、置かれていた。
その椅子に、誰かが座っているように見えた。しかし近づくと、そこには何もなかった。
壁には大きな鏡が掛けられていた。自分の姿を確認しようと鏡を見た瞬間、私は凍りついた。
鏡に映る私の後ろには、数十人の人影が立っていた。潮に濡れた作業着を着た男たちが、無言で私を見つめている。しかし、振り返ると、部屋には私一人しかいなかった。
恐怖で動けなくなった私の耳に、かすかな声が聞こえてきた。
「写してくれ...」
「家族に会いたい...」
「忘れないでくれ...」
様々な声が重なり合う。部屋の温度が急に下がり、海の匂いが強くなった。足元から水が湧き出し、床が濡れていく。
パニックになり、階段へ向かおうとした時、古いフラッシュカメラが目に入った。三脚に据え付けられたそれは、レンズが私に向けられていた。
その瞬間、カメラが勝手に閃光を放った。まばゆい光に目が眩み、私は階段を転げ落ちるように一階へ逃げ出した。
外に出ると、既に日が傾きかけていた。息を整えて振り返ると、二階の窓から誰かが見下ろしていた。老人の姿だったが、すぐに姿を消した。
その夜、高熱を出して寝込んだ私は、うなされ続けた。夢の中で、私は暗い海の底にいた。周りには多くの人影があり、みな私に向かって手を伸ばしていた。
「帰りたい...」
「写してくれ...」
三日間の熱が引いた後、私は祖母に全てを話した。祖母は深いため息をつき、タンスの奥から古い封筒を取り出した。
「実は、あの事故で私の父も亡くなったんだよ。遺体は見つからなかったけど、山本さんが撮った写真がこれ」
封筒から出てきたのは、古びた白黒写真だった。空の椅子が写っているはずが、そこにははっきりと一人の漁師が座っていた。
「でも不思議なことに、この写真を家に飾ってから、父の夢を見なくなったんだ。それまでは毎晩『帰りたい』と言って出てきたのに」
祖母によれば、村では「山本さんの写真は、帰れない魂を写真に閉じ込めて、安らかに眠らせる」という言い伝えがあるという。
「でも、もし写真に写ってしまったら、その人の魂も一緒に持っていかれるという話もあるんだよ」
恐る恐る尋ねた。「じゃあ、私は...」
祖母は小さくうなずいた。「あの写真館に入った人は、必ず何かを持ち帰るか、何かを置いていくかだね」
その日から、私は時々自分の影が二つになったような気がすることがあった。また、海の匂いがするときもある。
夏休みの終わりに東京へ戻る前、私は最後にもう一度写真館を訪れた。入口に小さな花束を置き、「どうか安らかに」と祈った。
すると不思議なことに、閉まっていたはずの写真館の扉が少し開き、中から一枚の写真が風に乗って飛んできた。それは私が写真館で撮られた写真だった。
写真には私一人が写っていた。背後には誰もいない。ただ、私の目だけが、まるで別の誰かのもののように見えた。
帰京後、その写真を部屋に飾ってから、私は海の夢を見なくなった。代わりに、時々窓から海が見える懐かしい風景の夢を見るようになった。
そして毎年夏になると、あの漁村に帰り、写真館に花を供えることにしている。今では村の若い人たちも、かつての恐怖を忘れ、「魂を鎮める写真館」として語り継いでいる。
時に写真は、このように私たちの知らない世界と繋がる扉になるのかもしれない。
---
この物語は創作ですが、日本各地には「死者を写す」という写真にまつわる不思議な言い伝えが数多く残されています。
1923年の関東大震災後、被災地で撮影された集合写真に、既に亡くなっていた人が写っていたという報告が複数あります。また、第二次世界大戦中、出征前に撮った兵士の写真に、「死の影」と呼ばれる黒い影が写り込み、その兵士が戦死したというケースも記録されています。
特に海難事故の多い漁村では、「海の死者」を鎮めるための様々な儀式が行われてきました。中でも興味深いのは、静岡県の一部地域で戦後まで続いていた「影送り」という風習です。これは遺体が見つからなかった海難事故の犠牲者のために、生前の写真や所持品を特別な箱に入れ、海に流すというものでした。
2011年の東日本大震災後、宮城県の被災地で「幽霊タクシー」の目撃談が相次ぎました。タクシー運転手が乗せた客が途中で消え、行き先が津波で被害を受けた地域だったというケースが複数報告されています。岩手県のある写真館では、震災後に「家族写真に映り込む不思議な人影」の相談が増えたとも言われています。
また、2016年に東北大学の民俗学研究チームが行った調査では、被災地の約15%の家庭で「亡くなった家族の気配を感じる」と答え、そのうち40%が「写真に関連した現象」を体験したと報告しています。
科学的には説明できない現象ですが、大切な人を失った悲しみや、鎮魂の思いが生み出した心理的な反応かもしれません。また、写真という「時間を閉じ込める媒体」が、古来より「魂を写す」という神聖な意味を持つと考えられてきたことも、こうした言い伝えの背景にあるのでしょう。
私たちの目には見えない世界と、この現実世界をつなぐ「窓」として、写真が果たしてきた文化的・精神的な役割は、現代のデジタル社会でも失われていないのかもしれません。