石の囁き
夏の強い日差しが照りつける中、私は祖母の家の倉庫の整理を手伝っていた。高校二年の夏休み、都会から離れた田舎町での滞在は退屈なはずだったが、そうはならなかった。
「あら、これが出てきたのね」
祖母は古い木箱を見つけ、懐かしそうに手に取った。箱の中には、ひとつの石仏の写真と、黄ばんだ手帳が入っていた。
「これは何?」と尋ねると、祖母は少し躊躇した様子で答えた。
「あなたのお父さんが高校生の時に撮った写真よ。この町の裏山にある『六地蔵』の一つ」
写真には苔むした石仏が写っていた。表情が不気味で、他の五体と比べて妙に生々しい感じがする。
「実はね、この石仏には言い伝えがあるの。『夏越の六地蔵』と呼ばれていて、特に夏至から百日間は近づかない方がいいとされているのよ」
祖母の話によると、この六地蔵は江戸時代初期、疫病が流行した際に村人たちが病を封じるために建てたという。六体の地蔵はそれぞれ異なる厄災を封じ込めるために造られたが、特に一体だけは「渇き(かつき)の厄」を封じたとされていた。
「渇きの厄って何?」
「水を求めて苦しむ者の魂のことよ。夏になると特に活発になるといわれているわ」
手帳を開くと、父の高校時代の文字で記録が残されていた。
『7月15日 — 今日、友人の健と六地蔵を見に行った。噂通り、一体だけ他と違って見える。不思議と口元が湿っていた。』
『7月23日 — 再び六地蔵へ。今度は単独で。持参した水を供えてみたが、翌朝には消えていた。』
『8月1日 — 夜、窓をコツコツと叩く音で目が覚めた。外には誰もいなかったが、窓ガラスに水滴のような跡がついていた。』
最後の記述は8月10日のものだった。
『あの地蔵の声が聞こえる。「水を、水を」と。もう我慢できない。今夜、最後に会いに行く。』
その後の記録はなく、次のページには祖母の文字で「無事に戻った。二度と行かないと誓った」と書かれていた。
「お父さん、何があったの?」
祖母は深いため息をついた。
「あの夏、あなたのお父さんは一晩中行方不明になったの。翌朝、六地蔵の前で倒れているところを村人が見つけたわ。幸い大事には至らなかったけれど、それ以来、お父さんはあの六地蔵のことを口にしなくなった」
好奇心が抑えられなくなった私は、父に電話をかけた。最初は話したがらなかったが、ようやく当時の出来事を語ってくれた。
「あの夏、異常な干ばつがあったんだ。六地蔵の一体が、日に日に変わっていくように見えた。最初は気のせいだと思ったが、明らかに表情が変化していたんだ」
父の話では、最後に訪れた夜、石仏から水を求める声が聞こえたという。恐怖で逃げ出そうとしたが、足が動かなくなり、気がつくと地蔵の前に座り込んでいたのだという。
「それ以上は覚えていないんだ。ただ、翌朝、俺の水筒が空になっていて、地蔵の周りだけ湿っていたらしい」
電話を切った後、私は決意した。この目で確かめたい。父の体験から30年、今もあの六地蔵は存在するのか。
翌日、古い地図を頼りに裏山へ向かった。うっそうとした木々の間を抜けると、小さな開けた場所に六体の石仏が並んでいた。写真で見たとおり、五体は普通の地蔵だったが、一体だけが異質に見えた。口元がわずかに開き、表情が生々しい。
思わず足が止まった。近づくべきではない直感があった。しかし好奇心が勝り、カメラを取り出して写真を撮った。
「記念に水でも供えておこうか」
持参した水筒から水を石仏の前に注いだ。すると不思議なことに、水は地面に染み込まず、まるで石仏に吸い込まれるように消えていった。
「気のせいだろう」
そう思いながらも、背筋に冷たいものを感じた。帰り道、何度か後ろを振り返ったが、もちろん石仏が動くことはなかった。
その夜、激しい喉の渇きで目が覚めた。水を飲んでも飲んでも喉の乾きが収まらない。窓の外を見ると、月明かりに照らされた庭に人影が立っていた。
背の低い、子どものような姿。しかし、その場に立ったまま動かない。
恐る恐る窓を開けると、影は消えていた。代わりに、窓の下に小さな水たまりがあった。翌朝、あれは夢だったのかと思ったが、窓の下の水たまりは確かに残っていた。
次の夜も同じだった。喉の渇きで目覚め、窓の外に人影。今度ははっきりと地蔵の形をしていることがわかった。窓を開けると消え、また水たまりが残る。
祖母に相談すると、青ざめた顔で言った。
「あの地蔵に水を与えてしまったのね。『渇きの厄』が目を覚ましたのよ」
祖母は古い箪笥から、さらに古い巻物を取り出した。
「これは代々伝わる『封じの祈祷』よ。あの地蔵に取り憑かれた者を救うための儀式が書かれている」
祈祷は三日三晩、塩水で喉を清め、特別な呪文を唱え続けるというものだった。とにかく水を飲んではいけないという厳しい条件付きだった。
三日目の夜、喉は砂漠のように乾き、全身が水を求めていた。窓の外の地蔵の姿はより鮮明になり、今や完全に人の姿をしていた。小さな子どもの形をした水の精霊が、両手を差し伸べて立っている。
「水を…ください…」
かすれた声が聞こえた。意志の力で耐え、祖母から教わった呪文を唱え続けた。
「封じよ、封じよ、渇きを封じよ。水は天に還り、魂は地に還る」
夜明け直前、ついに限界が来た。喉の渇きで正気を保てなくなり、水道へと這うように向かった。しかし、その瞬間、窓の外で激しい雨が降り始めた。七月下旬としては珍しい豪雨だった。
窓の外の水の精霊は、雨に打たれてゆっくりと溶けていくように見えた。最後に、感謝するような微笑みを浮かべて消えた。
翌朝、雨は上がり、喉の渇きも消えていた。祖母と一緒に六地蔵を訪れると、問題の石仏は以前と変わらない姿に戻っていた。ただ、周囲だけが濡れているように見えた。
祖母は安堵の表情で言った。
「『渇きの厄』は雨を求めていたのかもしれないね。この地域は毎年この時期になると干ばつに悩まされるけど、昨夜の雨で今年は大丈夫そうだよ」
家に戻り、父に電話でこの出来事を伝えると、長い沈黙の後、ようやく口を開いた。
「実は俺も同じだったんだ。最後の夜、雨が降って救われた。あの地蔵は…本当に水を求めていたんだ」
それから何年も経った今でも、私は夏になると祖母の家を訪れ、六地蔵に水を供える。一体だけ、他より少し多めに。
地元の人々は言う。「六地蔵に水を捧げれば、その年の干ばつを避けられる」と。迷信だと笑う人もいるが、私には分かる。石の中に眠る魂の渇きを。
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日本各地には、古くから伝わる石仏や地蔵に関する不思議な言い伝えが数多く存在します。特に「六地蔵」は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の各世界で苦しむ人々を救うために建立されたもので、街道の入口や村の境界に置かれることが多くありました。
実際に奈良県の山間部では、1978年の記録的な干ばつの際、ある古い地蔵の前に村人たちが集まり雨乞いの儀式を行ったところ、その夜に突然の豪雨があったという記録が残っています。この地蔵は「雨乞い地蔵」と呼ばれ、今でも夏の水不足の際には地元民が水を供える習慣があるそうです。
また、京都府の某所では、1994年に大学生のグループが民俗学の調査で訪れた古い六地蔵が、写真に撮ると一体だけぼやけて写るという現象を報告しています。調査の結果、その地蔵だけが江戸時代の疫病流行時に作り直されたもので、他の五体より新しいことが判明しました。
さらに興味深いのは、2005年に石川県で発見された「泣き地蔵」の存在です。梅雨の時期になると、この石仏の表面から水滴が滲み出すように現れるという現象が確認されました。専門家による調査では、石材の特性や地下水の影響とされていますが、地元では「水を求める魂の表れ」として信仰の対象になっています。
民俗学者の研究によれば、夏の水にまつわる信仰は日本全国に広がっており、特に農耕文化の強い地域では水の神や水を司る存在への信仰が今も残っています。石仏や地蔵はそうした信仰の象徴として、各地の水源や川の近くに祀られていることが多いのです。
現代科学では説明しきれない現象も、自然への畏敬の念や先人たちの知恵が形になったものと考えれば、理解できることも多いでしょう。夏の暑い日、古い石仏の前で手を合わせる時、その石の向こうに何かを感じるのは、単なる迷信ではなく、私たちの中に眠る古からの記憶なのかもしれません。