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怖い話  作者: 健二
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灯火の守り人


「蛍の光が見えなくなった年に、疫が流行る」


私の故郷では、そんな言い伝えがあった。宮城県の山間にある小さな集落—私が高校一年の夏休みに訪れた祖母の家がある場所だ。


「蛍守りの館」と呼ばれる古い屋敷が、集落から少し離れた川沿いにあった。江戸時代から続く由緒ある建物で、疫病が流行した際に村人たちを守るために建てられたという。


「蛍守りって何?」と祖母に尋ねると、彼女は遠い目をして昔話を始めた。


「昔、この村を疫病が襲った時があったんだよ。多くの人が亡くなり、村は滅びかけていた。そんな時、川辺に大量の蛍が現れ、生き残った村人たちを屋敷へと導いた。後に、その蛍は亡くなった村人の魂だったと言われている」


祖母によれば、その時から村では「蛍祭り」が行われるようになり、毎年夏になると「蛍守り」と呼ばれる巫女が館に籠もり、先祖の魂である蛍と交信するという儀式が行われてきた。


「でも最近は蛍の数が減って、祭りも簡素になったねぇ」と祖母は寂しそうに言った。


その夜、好奇心に駆られた私は、蛍守りの館を見に行くことにした。夕暮れ時、川沿いの小道を歩いていくと、藪の向こうに古びた和風建築が見えてきた。


二階建ての館は、かつての栄華を思わせる風格を残しながらも、今は廃墟のように寂れていた。しかし不思議なことに、二階の一室だけは明かりが灯っていた。


「誰か住んでいるの?」と思いながら近づくと、館の周りを蛍が数匹、ゆっくりと舞っていた。


突然、「来ちゃだめだよ」という声が聞こえた。振り返ると、私と同じくらいの年齢の少女が立っていた。色白で長い黒髪、古風な浴衣を着ている。


「ここは蛍守りの館。みだりに近づくと、祟りがあるよ」


「君は?」と尋ねると、少女は「夏奈」と名乗った。地元の高校生で、今年の蛍祭りの手伝いをしているという。


「あの明かりは何?」と聞くと、夏奈は複雑な表情を浮かべた。


「今年の蛍守り、葉月さんが籠もってる。でも…」と言いかけて口をつぐんだ。


好奇心が抑えきれず、私は夏奈に頼み込んで館の中を案内してもらうことにした。


「少しだけよ。そして何も触らないで。特に二階には絶対に行かないで」と夏奈は厳しく言った。


館の中は予想以上に保存状態が良く、江戸時代の調度品が並んでいた。一階の広間には「疫神封じの間」と書かれた札が貼られていた。


「ここで疫病神を封じる儀式をするの」と夏奈が説明してくれた。「蛍守りは村の健康を守るため、自分の体に疫を封じ込める儀式をするんだ」


「自分の体に?それって危険じゃないの?」


「だから蛍の力が必要なの。蛍は先祖の魂。その光が蛍守りを守り、疫を浄化する」


説明を聞いているうちに、外が暗くなってきた。帰ろうとした時、二階から奇妙な音が聞こえてきた。風鈴のような、しかし不協和音を奏でる音色。


「あれは…」夏奈の顔が青ざめた。


次の瞬間、停電で館内が真っ暗になった。


「早く出なきゃ!」夏奈が私の手を引いて玄関へ向かった。しかし、ドアが開かない。


「鍵がかかってる…」夏奈の声が震えていた。


懐中電灯を頼りに別の出口を探していると、二階から足音が聞こえてきた。重い足音がゆっくりと階段を下りてくる。


「葉月さん?」夏奈が声をかけたが、返事はない。


階段の上に人影が現れた。しかし、それは人ではなかった。蛍の光に照らされた姿は、上半身は人間の女性だが、下半身は無数の蛍が渦巻いているように見えた。


「疫が…来る…」歪んだ声が響いた。「村を…守らなきゃ…」


夏奈が震える声で説明してくれた。「葉月さんが疫神を受け入れすぎた。彼女の体が蛍になってしまう…」


葉月と呼ばれる蛍守りは、私たちに気づくと突然表情を変えた。「新しい…器…」


彼女が私たちに向かって浮遊してくる。近づくにつれ、体から蛍が放たれ、それが私たちの周りを飛び始めた。


夏奈が急に叫んだ。「蛍籠!蛍籠を探して!」


「何?」


「あそこの棚!蛍籠があるはず。それで葉月さんの魂を守れる!」


必死で探すと、古い竹製の蛍籠が見つかった。手に取ると、不思議なことに籠の中から微かな光が漏れていた。


「開けて!」夏奈の指示に従い、蓋を開けると、中から一匹の大きな蛍が飛び出した。


その蛍は他の蛍とは違い、青白い光ではなく、赤い光を放っていた。赤い蛍は葉月の周りを回り始め、やがて他の蛍も加わって光の渦を作った。


葉月の体から黒い霧のようなものが出始め、それが蛍の光に包まれていく。悲鳴のような風の音が館内を駆け巡り、次の瞬間、強い光が私たちを包み込んだ。


目が慣れてくると、葉月は普通の姿で床に倒れていた。そして館の中には無数の蛍が舞っていた。


停電は直り、外からは村人たちの声が聞こえてきた。ドアも開くようになっていた。


葉月は村人たちによって病院に運ばれ、私たちも一晩観察のために診てもらった。幸い、特に異常はなかった。


次の日、祖母に昨夜の出来事を話すと、彼女は深刻な表情になった。


「あの赤い蛍は、初代の蛍守りの魂と言われているんだよ。疫病から村を守るために自らの命を捧げた人だ」


祖母の話によると、江戸時代、村を襲った疫病の際、一人の巫女が自らを生贄として疫神を封じ込めたという。その魂が赤い蛍となり、以来、蛍守りを見守っているのだという。


「しかし、蛍の数が減っているのは心配だねぇ。昔から、蛍の光が消えると疫が来ると言われている」


その夏が終わる頃、病院から退院した葉月さんに会いに行った。彼女は蛍守りの役目を降りることになったと言った。


「でも心配ないわ。次の蛍守りは決まったから」


不思議に思って尋ねると、葉月さんは夏奈を指さした。夏奈は照れくさそうに笑った。


「実は私、葉月さんの遠い親戚なの。蛍守りの血筋なんだ」


その夜、私たちは川辺で蛍を見た。例年より多くの蛍が舞い、その中に一匹、特別に明るい赤い蛍の姿があった。


「先祖が見守ってくれているのね」と夏奈が静かに言った。


私は毎年夏になると、その村を訪れるようになった。蛍守りとなった夏奈を手伝い、蛍祭りに参加する。そして時々、赤い蛍を見かけると、この村の平和が守られていることを実感する。


蛍の光が消えなければ、村は安全なのだ。


---


日本各地には、蛍にまつわる信仰や伝承が今も残っています。特に東北地方では、蛍を先祖の魂の化身と考える風習があり、「蛍火まつり」という行事が行われている地域もあります。


2011年の東日本大震災後、宮城県の被災地域で不思議な現象が報告されました。津波で甚大な被害を受けた沿岸部の集落で、例年になく多くの蛍が確認されたのです。地元の古老によれば、「亡くなった人々の魂が家族を見守るために戻ってきた」という解釈がなされたそうです。


また、2005年には福島県の山間部にある古い神社で、「疫神封じの儀式」の際に不思議な現象が起きたことが記録されています。儀式中、参加者全員が蛍のような光を見たというのです。しかし、カメラには写らなかったことから、集団催眠の一種だと説明されていますが、地元では「疫神が浄化された証」として語り継がれています。


さらに興味深いのは、2018年に山形大学の生物学研究チームが発表した調査結果です。蛍の生息地周辺に住む人々は、免疫力が高い傾向にあるという研究結果が出ています。これは蛍の生息に適した清浄な環境が人体にも良い影響を与えるためと考えられていますが、古来の「蛍が疫を払う」という信仰との偶然の一致に、研究者も驚いたそうです。


民俗学者の間では、蛍と疫病の関係についての伝承は、日本特有の自然信仰と結びついた知恵だと考えられています。実際、蛍が生息できる環境は水質が良く、そのような清浄な環境では疫病が発生しにくいという科学的事実と、先人たちの観察眼が一致していたのでしょう。


現代医学では説明できない現象も、自然との共生の中で育まれた日本の伝統的な知恵として、今一度見直す価値があるのかもしれません。蛍の美しい光に心を癒されながら、目に見えない世界との繋がりに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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