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怖い話  作者: 健二
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朽ちた庭の地蔵


夏休み二日目の夕方、私の携帯電話が鳴った。実家から離れた大学の寮で一人暮らしをしていた従姉の美咲からだった。


「拓也、今すぐ来てくれない?」


声が震えている。何かあったのだろうか。


「どうしたの?」


「説明するの難しいんだ...とにかく一人はキツイ。明日だけでいいから」


東京の大学に通う美咲は、この夏休みに祖父の遺品整理のため、山梨の古い家に一人で来ていた。祖父は三ヶ月前に亡くなったばかりで、私も葬儀以来、あの家には行っていなかった。


翌朝、私は電車とバスを乗り継いで、山あいの小さな集落にある祖父の家に到着した。築100年以上という日本家屋は、周囲の自然に溶け込みながらも、どこか人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。


美咲は顔色が悪く、目の下にはクマができていた。


「ようやく来てくれた...」と彼女は安堵の表情を見せたが、すぐに緊張した顔つきに戻った。「変なこと言うけど、この家、何かおかしいんだ」


「おかしいって?」


「昨日から、誰もいないはずなのに、廊下を歩く音がするの。それに...」美咲は言葉を詰まらせた。「裏庭の地蔵...動いたと思う」


裏庭の地蔵。祖父が大切にしていた石の地蔵だ。小さい頃に遊びに来た時、祖父はいつもその地蔵に水をかけ、手を合わせていた。集落の鎮守だと言っていた。


「気のせいじゃない?疲れてるんだよ」


美咲は黙って首を横に振った。


「とにかく、遺品整理を手伝ってくれればいいから」


午後から二人で祖父の部屋の整理を始めた。古い着物や書類、写真アルバムを分類していく中、私は一冊の日記を見つけた。祖父が去年の夏から書き始めたものだった。


最後の方のページを開くと、震える文字でこう書かれていた。


「地蔵が動いた。いよいよ時が来たのか...」


背筋が寒くなった。日付は祖父が亡くなる一週間前だった。


「美咲、これ見てみろよ」


美咲が日記を読み、顔が青ざめた。


「言ったでしょ...何かおかしいって」


夕方、私は裏庭に出てみることにした。雑草が生い茂る中、苔むした石の地蔵が佇んでいた。高さは50センチほど。笠をかぶり、両手に錫杖を持つ姿だが、長年の風雨で表情は浸食され、不気味な笑みを浮かべているように見えた。


よく見ると、地蔵の足元に小さな祠があり、中には古ぼけた位牌が納められていた。埃をぬぐって文字を読むと、「水子之霊」と書かれていた。


夕食後、美咲と私は祖父の遺品から見つかった古い写真を眺めていた。すると一枚の写真に目が止まった。祖父が若い頃、裏庭の地蔵の前で数人と一緒に写っている。


「この人たち誰だろう?」と美咲が言った。


写真の裏には「昭和20年 地蔵祭り」と書かれていた。戦争が終わった年だ。


その夜、私は二階の客間で眠ることになった。美咲は一階の和室を使っていた。


夜中、「コンコン」という音で目が覚めた。誰かが障子を叩いているような音だ。窓の外は真っ暗で、月明かりだけが庭を照らしていた。


音の方向に目をやると、窓の外に小さな影が見えた。


心臓が早鐘を打つ。カーテンを開け、恐る恐る窓の外を見た。


庭には何もなかった。


「気のせいか...」


安心して再び布団に潜り込もうとした時、廊下から「トン...トン...」と足音が聞こえてきた。重い足音ではなく、小さな子供が歩くような軽い音だった。


恐怖で体が硬直する。音は私の部屋の前で止まり、障子がゆっくりと開いた。


しかし、そこには誰もいなかった。


翌朝、美咲に昨夜のことを話すと、彼女も同じような経験をしていたという。


「私の部屋の前でも足音が止まったの。でも開けても誰もいなくて...」


二人で昨日見つけた日記を詳しく読んでみることにした。すると、祖父は最後の一年、奇妙な現象に悩まされていたことがわかった。


「裏庭の地蔵が夜になると場所を変える」

「子供の泣き声が聞こえる」

「このままでは集落に祟りが...」


日記の後半には、地元の神主に相談したことや、ある儀式を行おうとしていたことが書かれていた。しかし、その詳細は記されていなかった。


「神主さんに会いに行ってみよう」と私は提案した。


集落の小さな神社に向かうと、80代ほどの老神主が私たちを迎えた。祖父の名前を告げると、神主は深刻な表情になった。


「あの地蔵のことか...」


神主の話によると、祖父の家の裏庭にある地蔵は、終戦直後にこの地に建てられたものだという。当時、疎開していた子供たちが病気で亡くなり、その霊を鎮めるために建てられたのだ。


「しかし、あの地蔵には他の役目もあった」と神主は静かに言った。


この集落には古くから伝わる言い伝えがあった。七十七年に一度、「鎮めの儀」を行わないと、地下に眠る「何か」が目覚めるという。その「何か」を封じるための結界として、地蔵が建てられていたのだ。


「今年で七十七年目だ。君たちのおじいさんは、その儀式の準備をしていたのだろう」


私たちは言葉を失った。


「では、どうすれば...」


神主は古い巻物を取り出した。


「これを持っていきなさい。今夜、満月の時に地蔵の前で読むのだ」


家に戻った私たちは、巻物に書かれた古い祝詞を練習した。夕方になり、庭に出て地蔵を見ると、昨日とは明らかに向きが変わっていた。今は家の方を向いている。


美咲が震える声で言った。「昨日は反対を向いてたよね...?」


日が落ち、満月が上がり始めた。私たちは裏庭に出て、地蔵の前に座った。


巻物を広げ、二人で祝詞を唱え始めた。すると不思議なことに、地蔵の周りに青白い光が宿り始めた。そして、地蔵から小さな声が聞こえてきた。


「ありがとう...」


それは子供の声だった。


突然、地面が揺れ始めた。地蔵の下から黒い霧のようなものが立ち上り、人の形に変わっていく。長い髪と痩せこけた体を持つ女性の姿だった。しかし、顔はなく、ただ黒い穴が開いているだけだった。


恐怖で声も出ない。女性の霧は私たちに近づいてきた。


「逃げろ!」と美咲が叫んだ。


しかし、私たちの足は地面に釘付けになっていた。その時、地蔵から再び光が放たれ、子供たちの声が重なって聞こえてきた。


「もう大丈夫だよ。僕たちがいるから」


光は次第に強くなり、黒い霧の女性を包み込んだ。悲鳴のような風の音と共に、女性の霧は消えていった。


静寂が戻った庭に、月明かりだけが降り注いでいた。地蔵は元の場所に戻り、表情が穏やかになったように見えた。


翌朝、神主が訪ねてきた。昨夜のことを話すと、彼は深く頷いた。


「よくやった。君たちのおじいさんも、きっと安心しただろう」


神主の説明によると、終戦直後、この地域で起きた悲劇があったという。疎開してきた子供たちの中に、一人の女性教師がいた。彼女は精神を病み、数人の子供を殺害した後、自害したのだ。


「その女性の怨念を封じるために地蔵が建てられ、子供たちの霊がそれを見守っていた。七十七年に一度、その封印を更新する必要があったのだ」


その後、私たちは祖父の遺品整理を終え、東京に戻った。しかし、毎年夏になると、あの家を訪れ、裏庭の地蔵に水をかけ、手を合わせるようになった。


地蔵は二度と動くことはなかったが、時々、夏の風が吹くと、子供たちの笑い声が聞こえるような気がする。


---


地蔵信仰は日本全国に広く分布しており、特に水子地蔵は亡くなった子供たちの霊を慰めるために建立されることが多いです。


実際に1947年(昭和22年)、山梨県の山間部では、疎開した子供たちの中で疫病が流行し、多くの命が失われました。当時の記録によると、この悲劇を機に地域住民が地蔵を建立し、毎年8月に「地蔵祭り」を行うようになったといいます。


2005年には、この地域の古い民家を改装した民宿で不可解な現象が報告されました。宿泊客が夜中に子供の足音や泣き声を聞いたり、庭の地蔵が向きを変えていたりするという証言があったのです。


さらに興味深いのは、2015年に地元の大学が行った調査です。この地域には「七十七年祭」と呼ばれる伝統行事があり、地下水脈や地殻変動に関係した自然現象を鎮める意味があったことが判明しました。科学的には、この地域特有の地質が引き起こす微小な地震や地下水の変化が、古くから「地下の怪異」として伝承されてきた可能性があります。


民俗学者の調査によれば、日本各地の山間部には、地蔵が「結界」として機能する信仰が根強く残っています。特に境界領域(村と村の境、山と里の境など)に地蔵が建てられることが多く、これは異界との境を守る役割があったとされています。


また、長野県の一部地域では今も「地蔵返し」という風習があり、定期的に地蔵の向きを変える習慣があります。

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