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怖い話  作者: 健二
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光の渡し守


「蛍は魂の光。岸辺で待っていれば、会いたい人に会えるかもしれない」


高校2年の夏、私は祖母の看病のため、生まれて初めて一人で田舎町を訪れていた。都会から遠く離れた山間の集落は、日が落ちると街灯もまばらで、濃密な闇に包まれる。


祖母の家は小さな川のほとりにあった。夕刻、縁側で涼んでいると、祖母が弱々しい声で語りかけてきた。


「由香、明日は八月十三日、精霊迎えの日だね」


「精霊迎え?お盆のこと?」


「そう。でもこの村では特別なんだ。川辺の蛍送りという行事があってね」


祖母はかつて村で行われていた風習について語り始めた。この村では、お盆に先祖の霊が蛍の姿で帰ってくると信じられていたという。村人たちは川辺に集まり、蛍の光を目印に先祖の霊を家に迎え入れる「蛍迎え」を行い、送り火の日には再び蛍の光に導かれて霊を送る「蛍送り」を行っていた。


「でも今はもう誰も行わないよ。最後の蛍送りが行われたのは三十年前…あの事件の後だ」


「事件?」


祖母は目を閉じ、苦しそうに息を吸った。


「あの夏、村の子どもたち五人が川で溺れたんだ。蛍を追いかけて深みにはまったって…その後、村人たちは蛍送りを禁忌としたんだよ」


祖母は続けた。「でもね、今でも送り火の夜、川辺に行くと、普通の蛍とは違う青白い光が見えるって言われているんだ。それは溺れた子どもたちの魂だって…」


私は背筋が寒くなったが、科学的に説明できる現象だと自分に言い聞かせた。


その夜、祖母の容態が急変し、救急車で病院に運ばれた。医師の話では一晩が山だという。疲れ果てた私は、深夜に一人祖母の家に戻った。


家に入ると、縁側の方から微かな光が漏れていた。「明かりを消し忘れたかな」と思い近づくと、それは電灯ではなく、庭先に浮かぶ一つの蛍だった。


八月の半ばというのに、まだ蛍がいることに驚いた私は、思わず縁側から庭に出た。すると、その蛍はゆっくりと川の方へ飛んでいく。なぜか懐かしさを感じ、私は蛍を追いかけていた。


小道を抜け、川原に辿り着くと、そこには息を呑むような光景が広がっていた。


川面に無数の青白い光が揺らめいていた。通常の蛍の黄緑色とは明らかに違う、神秘的な青の光だった。それらは川の流れに沿って、一定のリズムで明滅している。


「きれい…」


思わず呟いた瞬間、川面の光が一斉に私の方を向いた気がした。そして、ゆっくりと岸辺に近づいてくる。


その時、背後から声がした。


「そこに立っちゃいけない」


振り返ると、白髪の老人が立っていた。村の古老らしく、手には古い提灯を持っている。


「あんた、由香ちゃんだろう?直美さんの孫」


祖母の名前を出した老人に、私は頷いた。


「ここは渡し場だ。今夜は精霊迎えの日。あの光は迎えを待っている」


「あの光って、蛍ですよね?」


「ああ、蛍だ。だがただの虫じゃない」


老人は川面を見つめ、静かに語り始めた。


「昔、この村では『蛍の渡し守』という伝承があってな。お盆の時期、あの世とこの世の境目である川に現れる渡し守が、魂を乗せて行き来するという」


「渡し守?」


「ああ。渡し守は蛍の群れとなって現れ、迷える魂を正しい道へ導く。だがな、時に生きている者も連れていこうとするんだ」


老人は続けた。「三十年前、五人の子どもが溺れたのは、渡し守に魅入られたからだと村人は言ってる。子どもたちは蛍が人の形になったのを見たって言って川に入っていったんだ」


身震いがした。祖母の話と重なる。


「今夜は迎え火の夜。渡し守は魂を迎えに来ている。生きてる者が近づくと、あっちの世界に連れていかれるかもしれん」


その言葉に背筋が凍りついたとき、川面の青い光の群れが、さらに岸辺に近づいてきた。そして、光の中から人影のようなものが浮かび上がってきた。


子どもの姿だった。


青白い光に包まれた五人の子どもたちが、水面に立っている。彼らは手を振り、私を呼んでいるようだった。


「あの子たちは渡せなかった魂なんだ。毎年、自分たちと一緒に向こう岸へ渡る人を探している」


恐怖で動けない私の背中を、老人が押した。


「行っちゃいけない。生きてる者の居場所じゃない」


老人は懐から何かを取り出し、川に向かって投げ入れた。それは小さな紙の舟だった。舟には火が灯され、川面をゆっくりと流れていく。


「身代わりだ。これで今夜は大丈夫だろう」


紙の舟が流れていくと、子どもたちの姿は再び青い光の粒となり、舟を追うように川上へと移動していった。


「お前さんのおばあさんは、この村で最後の『蛍の語り部』だった。蛍の正しい迎え方と送り方を知っている。だから、あの子たちは由香ちゃんを選んだんだろう」


私は震える声で尋ねた。「選んだ?何のために?」


「新しい渡し守として」


その夜、私は老人に連れられて家に戻った。彼は縁側に古い箱を置いていった。


「これはおばあさんが守ってきたものだ。中には蛍の渡し守についての教えが書かれている。おばあさんが…もしものことがあったら、お前さんに託すと言っていた」


翌朝、病院からの電話で祖母が夜明け前に息を引き取ったことを知らされた。


葬儀の準備で忙しい日々が過ぎ、送り火の日がやってきた。私は老人から教わった通り、祖母の遺影と共に川辺へと向かった。箱の中にあった古い巻物に記された作法に従い、小さな灯籠を川に浮かべた。


すると、川上から青い光の列が現れた。蛍の光は祖母の遺影の周りを回り、やがて一筋の光の道となって川下へと続いていった。


その光の中に、祖母の姿を見た気がした。振り返った祖母は微笑み、別れを告げるように手を振った。


その後、私は毎年お盆になると祖母の家を訪れ、蛍の渡し守の儀式を行うようになった。老人によれば、私が儀式を引き継いだことで、三十年間迷っていた子どもたちの魂も、ようやく向こう岸へ渡ることができたという。


今では村の若い世代にも、蛍の渡し守の伝承を伝えている。蛍は単なる夏の風物詩ではなく、あの世とこの世を結ぶ神聖な存在なのだということを。


そして時々、普通の蛍とは違う青い光を見かけることがある。それは新たな渡し守となった魂たちが、迷える者を導いているのだと思う。


---


日本各地には蛍にまつわる不思議な伝承が残されています。特に西日本の山間部では、蛍を先祖の霊の化身と考える風習があり、「蛍火」を「魂火」と同一視する地域もあります。


福岡県筑後地方の一部では、今でも「蛍迎え」という風習が残っており、お盆の入りの日に川辺で蛍を集め、それを家に持ち帰ることで先祖の霊を迎えるとされています。


実際に1973年、島根県の山間部で起きた出来事として記録されているのは、ある集落で一晩に限り、通常の蛍とは色の異なる青白い発光を持つ蛍が大量に現れたという事例です。この現象は地元の古老たちによって「百年に一度の魂迎え」と呼ばれ、その夜に亡くなった老人が三人いたことから、村人たちの間で語り継がれています。


科学的には、蛍の発光色が変化する現象は、餌や生息環境によって生じることが知られています。2011年には東北大学の研究チームが、特定の条件下で蛍のルシフェラーゼという発光酵素が通常とは異なる波長の光を放つことを発見しています。


興味深いのは、蛍が多く生息する地域と古くからの葬送文化が残る地域が重なることです。民俗学者の調査によると、川や沼の近くに墓地がある地域では、水辺と蛍を「彼岸への通路」と見なす信仰が強い傾向があるとされています。


2005年には、和歌山県の古い寺院の境内で、毎年お盆の時期にだけ現れる蛍の群れが確認されています。通常、蛍の発生時期は5月から7月とされていますが、この寺院では8月中旬に限定して出現するという特異な現象が記録されています。寺の住職によれば、この現象は江戸時代から続いているといいます。


蛍と死者の魂を結びつける信仰は、科学では説明できない部分も多くありますが、自然と共生してきた日本人の死生観を象徴する美しい文化遺産と言えるでしょう。夏の夜、川辺で揺らめく蛍の光を見ながら、私たちの先祖が見ていた世界に思いを馳せてみるのも、日本の夏の過ごし方の一つかもしれません。

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