百物語の夜
「最後の蝋燭が消えるとき、何かが現れるという」
高校二年の夏。私たち「怪異研究同好会」のメンバー5人は、廃寺となった真照寺で百物語をすることになった。部活最後の夏の思い出作りだった。
真照寺は山の中腹にあり、戦後間もなく無住となった古刹だ。地元では「百年に一度、百物語をした者の前に本物の怪異が現れる」と言い伝えられていた。
「今年はちょうど百年目なんだよ」と地元出身の友人・健太が言った。「1923年の夏、最後に百物語をした5人の高校生のうち2人が行方不明になったんだ」
「嘘だろ?」と言う私に、健太はスマホの画面を見せた。地元の古い新聞記事のコピーだった。確かに、1923年8月13日の夜、真照寺で怪談会をしていた5人の若者のうち2人が忽然と姿を消したと記されていた。
「でも廃寺だよ?入っても大丈夫なの?」と美咲が不安そうに尋ねた。
「俺の祖父が管理人をしてるから問題ない。鍵も借りてある」と健太は胸を張った。
そうして8月13日の夕刻、私たちは山道を登り、苔むした石段を上って真照寺に到着した。夕日に照らされた本堂は、不気味な影を落としていた。
「うわ、マジで廃寺じゃん…」と陽介が呟いた。
健太が重い木戸を開けると、埃っぽい空気が漂う本堂が現れた。正面には大きな仏壇があり、薄暗い中でも金色の仏像が微かに光っていた。
「ここで百物語をする。各自、怖い話を一つずつ持ってきたよな?」と健太が問いかけた。
全員が頷くと、私たちは本堂の中央に円になって座り、百本の蝋燭を並べた。それぞれが一話語るごとに一本の蝋燭を消していく。これが百物語の基本だ。
「最初は俺から」と健太が言い、一本目の蝋燭に火を灯した。
怪談は次々と語られ、蝋燭の数は減っていった。夜が更けるにつれ、本堂の闇はより深くなり、私たちの語る怪談も次第に熱を帯びていった。
50話を過ぎたあたりで、奇妙なことが起き始めた。
「聞こえる?」と美咲が突然言った。「誰かが外を歩いている音…」
確かに、本堂の周りから、重い足音が聞こえてきた。カサカサと落ち葉を踏む音、そして時々、何かが引きずられるような音。
「きっと動物だよ」と笑った健太だったが、その声は少し震えていた。
75話目を過ぎた頃、私たちは全員が同じものを見た。仏壇の上の仏像が、わずかに首を動かしたのだ。微かな動きだったが、間違いなく動いた。
「気のせいだ」と陽介は言ったが、誰も彼の言葉を信じてはいなかった。
90話を超えると、本堂の外から聞こえていた足音が止んだ。代わりに、木戸が軋む音がした。
「誰か来たの?」と由香が震える声で尋ねた。
健太がスマホのライトを木戸に向けると、そこには何もなかった。しかし、床には濡れた足跡が残されていた。外は雨も降っていないのに。
99話目。最後の怪談は私の番だった。残りの蝋燭はたった二本。私は喉の渇きを感じながら、祖母から聞いた「百物語の鬼」の話を始めた。
「百物語の最後、百話目を語り終えると、百年に一度、百物語の鬼が現れると言われている。その鬼は、百話目を語った者の魂を奪うという…」
話し終え、99本目の蝋燭を消した瞬間、本堂の木戸が大きな音を立てて開いた。外は真っ暗で、何も見えない。しかし、その闇の中から、誰かが—あるいは何かが—こちらに向かって歩いてくる気配がした。
「最後の話をするのは誰?」と美咲が震える声で尋ねた。
誰も答えられなかった。最後の一本の蝋燭の炎が、何もない所からの風に揺れていた。
その時、本堂の奥から、低い声が聞こえてきた。
「最後の話は…私がしよう」
振り返ると、仏壇の前に一人の老僧が立っていた。枯れ木のような痩せた体に、灰色の僧衣。しかし、その顔はあまりにも若く、まるで私たちと同年代の少年のようだった。
「何者だ?」と健太が叫んだ。
老僧は微笑むと、ゆっくりと私たちに近づいてきた。
「私は…この寺の最後の住職だ。百年前の百物語の夜、私は二人の若者を連れていった。彼らの魂は今も、この寺の百物語を完成させるのを待っている」
私たちは恐怖で動けなかった。老僧の足は床に着いておらず、わずかに宙に浮いていた。
「さあ、最後の話をしよう。百話目は『魂の行方』…」
その瞬間、最後の蝋燭の火が風もないのに大きく揺れた。老僧の姿がゆらめき、その背後に二人の若者の姿が浮かび上がった。彼らの目は虚ろで、私たちを見つめていた。
「1923年、この寺で百物語をした5人の若者たちがいた。彼らの中の2人は、最後の蝋燭が消えた瞬間、闇に消えた。その魂は…」
老僧の声が途切れた。そして私は、彼の次の言葉を聞く前に、最後の蝋燭に手を伸ばしていた。恐怖と好奇心が入り混じった衝動だった。
「やめろ!」と健太が叫んだが、遅かった。
私の指が蝋燭の炎に触れた瞬間、本堂全体が激しく揺れ始めた。床から埃が舞い上がり、木戸が激しく開け閉めを繰り返した。
そして次の瞬間、全てが静かになった。
目を開けると、私たちは本堂の中央に円になって座っていた。しかし、円の中には蝋燭が99本。そして、私たちの隣に座っていたはずの由香の姿がなかった。
「由香!」と美咲が叫んだ。
私たちは慌てて立ち上がり、本堂中を探し回った。しかし、由香の姿はどこにもなかった。彼女のスマホとバッグだけが、座っていた場所に残されていた。
「逃げろ!」と陽介が叫び、私たちは本堂から飛び出した。
外は夜明け前の薄暗さだった。私たちは息も絶え絶えに山を下り、警察に通報した。しかし、警察が真照寺を捜索しても、由香の姿は見つからなかった。
不思議なことに、私たちがその夜に経験したことを警察に話すと、警官たちは奇妙な表情を見せた。
「真照寺ですか?あそこは20年前に火事で全焼し、今は更地になっていますよ」
私たちは信じられない思いで、再び山に登った。警官の言う通り、そこにあったのは焼け跡の更地だった。しかし、その地面には、一晩前に私たちが座った円の形に、99本の蝋燭が置かれていた。全て燃え尽きていたが、最後の一本だけが手つかずのまま残されていた。
それから一週間後、由香は山の反対側の集落で発見された。彼女は記憶を失っており、あの夜のことを何も覚えていなかった。唯一覚えていたのは「百話目を聞いてしまった」という言葉だけだった。
由香は退学し、転居してしまった。私たち残された四人は、あの夜の出来事について二度と口にしないと誓った。
しかし今、私はこの話を書いている。あれから一年、再び8月13日が近づいている。最近、夜になると窓の外から誰かが私の名前を呼ぶ声がする。そして昨夜、机の上に一本の新しい蝋燭が置かれていた。
誰が置いたのか、私には分からない。ただ、その蝋燭の横には小さな紙切れがあり、そこには「百話目はまだ終わっていない」と書かれていた。
---
日本には古くから「百物語」という風習があります。江戸時代に始まったとされるこの行事は、夏の夜に集まった人々が、百の怪談を語り、一話終わるごとに一本の蝋燭を消していくというものです。最後の蝋燭が消えた時、本物の怪異が現れるという言い伝えがありました。
実際、1998年8月、岐阜県の古い寺院で高校生のグループが「百物語」を試みた際の怪奇現象が地元で話題になりました。参加者の一人が突然意識を失い、目覚めた時には寺から数キロ離れた墓地にいたという出来事が報告されています。医師の診断では、特に身体的異常は見られず、一種の解離性障害ではないかと推測されました。
また、2005年には京都の某大学の民俗学研究会が、古い日記から1923年の「百物語」で起きた失踪事件の記録を発見しました。当時5人の若者が古寺で百物語を行い、そのうち2人が行方不明になったという記録です。後に1人は発見されましたが、もう1人は永遠に見つからなかったとされています。
心理学者によれば、暗闇の中で怖い話を聞き続けることで、人間の脳は高度な緊張状態に置かれ、幻覚や錯覚を起こしやすくなるといいます。特に集団で行うと、「集団ヒステリー」のような現象が起きることもあるそうです。
一方、民俗学的観点からは、百物語のような儀式は「境界」を一時的に曖昧にする役割があったとも考えられています。生と死、現世と異界の境目が薄くなる夏、特にお盆の時期にこうした儀式が行われたのは偶然ではないのでしょう。
現代でも夏になると「肝試し」や「怪談会」が行われますが、古来からの伝統的な「百物語」のルールに厳密に従って行うことは少なくなりました。それは単なる娯楽の変化なのか、それとも何か別の理由があるのか—私たちの先祖は、何かを知っていたのかもしれません。