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怖い話  作者: 健二
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天の川に消えた願い


「七夕の夜、天の川の下で名前を三回唱えると、亡くなった人に会える」


高校二年の夏、友人の由香から聞いたその言葉が、私の運命を変えた。


私の名前は水野美咲。昨年の七夕に、幼なじみの健太が川で溺れて亡くなった。私たちは小さい頃から「織姫と彦星」と呪わされるほど仲が良く、皆から将来を期待されていた。だが、健太は突然この世を去り、私は言いたくても言えなかった「好き」という言葉を永遠に封印することになった。


健太が亡くなって以来、私は毎晩のように同じ夢を見る。川の中で健太が私を呼んでいる夢だ。手を伸ばしても届かない。いつも目が覚めるとき、枕は涙で濡れていた。


七夕の一週間前、由香が不思議な儀式について話してくれた。


「美咲、知ってる? 昔から伝わる言い伝えなんだけど、七夕の夜、本当の天の川が見える場所で、会いたい人の名前を三回唱えると、その人の魂に会えるんだって」


「本当の天の川って?」


「普通の天の川じゃなくて、地上に映った天の川。つまり、星が映る水面のこと」


最初は半信半疑だった。でも、もう一度健太に会えるなら…その思いだけで、私は由香に儀式の詳細を聞いた。


「でも、一つだけ約束して。決して川に触れちゃダメ。あっちの世界に引きずり込まれるから」


由香の真剣な表情に、一瞬背筋が凍った。


七夕の当日、私は健太が亡くなった川へと向かった。日が沈み、辺りが暗くなると、星空が水面に映り始めた。確かにそれは、地上に降りた天の川のようだった。


川のほとりに座り、深呼吸をした。


「伊藤健太」


一回目の声は震えていた。


「伊藤健太」


二回目は少し大きな声で。


「伊藤健太!」


三回目は心を込めて叫んだ。


すると、不思議なことが起きた。川面に映る星々が、まるでインクが水に滲むように揺れ動き始めたのだ。そして、その星々が集まって人の形になっていく。


健太だった。


水面に映る健太は、亡くなる前と同じ笑顔で私を見つめていた。


「美咲…会いたかった」


健太の声が、風のように私の耳に届いた。


「私も…ずっと会いたかった」


涙が止まらなかった。健太は水面の中で微笑み、手を伸ばしてきた。思わず私も手を伸ばしかけたが、由香の警告を思い出し、ぎりぎりで止めた。


「触れちゃダメなんだ…ごめんね」


健太は悲しそうな顔をした。


「そうか…でも、話せるだけでも嬉しい。美咲、俺のこと、覚えていてくれてありがとう」


私たちは水を挟んで、たくさん話した。健太の世界のこと、私の学校のこと、そして言えなかった気持ちも。


「好きだった…ずっと好きだった」


私の告白に、健太は優しく微笑んだ。


「俺も好きだった。今も好きだよ」


話しているうちに、水面に映る健太の姿がだんだんと薄れていくのに気づいた。


「もう行かなきゃいけないみたいだ」健太が言った。


「また会える?」必死で尋ねる私に、健太は首を横に振った。


「一度だけなんだ。これが最後…」


健太の姿が星々に溶けていく。


「待って!もう少しだけ…」


私は思わず水面に手を伸ばした。その瞬間、冷たい水が私の手首を掴んだ。


それは健太の手ではなかった。


骨だけの、白い手だった。


恐怖で声も出ない。水面下から次々と白い手が現れ、私を引きずり込もうとする。


「美咲!触れちゃダメだって言ったのに!」


健太の声が叫んだ。彼の姿はもう見えなかったが、声だけが聞こえる。


「手を離して!それは俺じゃない!七夕の夜に現れるのは、死者だけじゃないんだ!」


必死で腕を引っ張るが、力が強すぎる。徐々に水中へと引きずり込まれていく。


その時、突然、川の上流から無数の光が流れてきた。


蛍だった。


数え切れないほどの蛍が、私の周りを飛び交い始めた。蛍の光に照らされると、私を引っ張っていた白い手が焦げるように黒ずみ、力を緩めた。


「蛍は先祖の魂…守ってくれているんだ」


健太の声が遠くから聞こえた。


蛍たちは私を守るように川面の上を舞い、白い手は次々と水中へと消えていった。最後の一つが消えると同時に、水面は元の静けさを取り戻した。


息を整えながら立ち上がると、川面には再び星空だけが映っていた。健太の姿も声ももうない。


しかし、不思議なことに心は穏やかだった。言葉にできなかった思いを伝えられたからだろうか。それとも、本当に健太に会えたという確信があったからだろうか。


帰り道、一匹の蛍が私の前に現れ、ゆっくりと円を描くように飛んだ。まるで「さようなら」と言っているかのように。


その翌日から、私は健太の夢を見なくなった。そして、七夕の短冊に「健太が安らかでありますように」と書くようになった。


三年後、大学生になった私は民俗学を専攻し、七夕と死者の関係について研究するようになった。そして知ったのだ。七夕は本来、先祖の霊が天の川を渡って戻ってくる日だったということを。織姫と彦星の伝説は中国から伝わったものだが、日本ではそれ以前から、七夕は死者と生者が出会う特別な日とされていたのだ。


時々、七夕の夜には川辺に行き、空を見上げる。そして、あの日守ってくれた蛍たちに感謝する。彼らはきっと、私たちの知らないところで、この世とあの世の境界を守っているのだろう。


健太に会えたあの夜から、私はもう怖れていない。死は終わりではなく、別の世界への旅立ちなのだと知ったから。


ただ、あの白い手の正体だけは、今も時々夜中に目が覚めると思い出してしまう。由香の言っていた「あっちの世界」とは、必ずしも安らかな死者の世界だけではないのかもしれない。


だから今も、七夕の夜に水辺で名前を呼ぶ儀式をする人がいるなら、伝えたい。


「水には決して触れないで」と。


---


七夕と死者の世界の関係については、実際に日本各地に伝承が残っています。


岩手県の一部地域では、七夕の夜に川や池の水面に映る星を「魂の通り道」と呼び、この日だけは亡くなった人の魂が水面を通じて戻ってくると信じられてきました。また、福島県南部では「七夕水」と呼ばれる風習があり、七夕の夜に汲んだ水には特別な力があるとされ、病気治療や厄除けに使われました。


2011年、東日本大震災の後、宮城県の被災地では不思議な現象が報告されています。その年の七夕の夜、津波で多くの犠牲者を出した海岸線に沿って、例年の数倍もの蛍が出現したのです。地元の古老によれば「蛍は先祖の魂の化身。きっと亡くなった人たちが家族に会いに来たのだろう」と語ったといいます。


また、2015年には長野県の山間部で、七夕の夜に一人で川辺を訪れた女性が、水面に映る星々が動き出すのを目撃したという証言が記録されています。女性は「水面から誰かが手を伸ばしてきた」と証言しましたが、恐怖で逃げ出したため、それ以上の接触はなかったそうです。


民俗学者の間では、日本の七夕行事には中国から伝わった織姫・彦星の伝説と、古来からの日本の死者の魂を迎える儀式が融合していると考えられています。特に、短冊に願い事を書く習慣は、もともと亡くなった先祖への手紙だったとする説もあります。


興味深いのは、全国各地の七夕伝承に「水」が関わっていることです。天の川(銀河)は文字通り「川」として認識され、その地上の反映として実際の川や水面が神聖視されてきました。


現代科学では説明できない現象も多いですが、こうした伝承は先人たちの自然観や死生観を反映したものとして、今も大切に語り継がれています。七夕の夜、星空を見上げながら、遠い存在とつながっているような感覚を覚えるのは、こうした文化的背景があるからかもしれません。

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