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怖い話  作者: 健二
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祓われぬ雛


「人形は、長く使うと魂が宿るんだよ」


祖母はそう言って、押し入れから出てきた古い雛人形を見つめていた。夏休みに祖母の家に泊まりに来ていた私は、屋根裏部屋の整理を手伝っていた。


「どうして夏なのに雛人形が出てきたの?」私は不思議に思って尋ねた。


「明日は七月七日。昔はこの日に『流し雛』をする地域もあったんだよ」祖母は懐かしそうに語った。「人形に宿った厄や災いを川に流して祓うんだ」


手元の雛人形は、かなり古いもののようだった。色あせた衣装に、少し割れた顔。おそらく大正か昭和初期のものだろう。


「これ、供養した方がいいんじゃない?」私が言うと、祖母は少し困ったような表情を見せた。


「実は...これはあなたのお母さんの雛人形なの。本当は処分したいんだけど、お母さんが『捨てないで』と言うから...」


私の母は二年前に病気で亡くなっていた。その母が大切にしていた雛人形と聞いて、私も簡単に処分する気にはなれなかった。


「じゃあ、きれいに飾っておこうよ」


その夜、私は不思議な夢を見た。小さな女の子が泣きながら川を流されていく。よく見ると、その子は人形のようにも見える。「助けて」と叫ぶ声が聞こえた気がした。


目が覚めると、真夜中だった。窓の外から風鈴の音が聞こえる。でも、祖母の家に風鈴は下げていなかったはずだ。


不安になって居間に行くと、そこには昼間見つけた雛人形が飾られていた。おかしい。私たちは雛人形を箱に戻して押し入れにしまったはずだ。


「おばあちゃん?」と呼びかけたが、返事はない。深夜の静けさの中、かすかに水の流れる音が聞こえた。


恐る恐る音の方に近づくと、台所の蛇口から水が少しずつ漏れていた。「おかしいな」と思いながら蛇口を閉めると、背後で何かが動いた気配がした。


振り返ると、雛人形が先ほどの場所から消えていた。代わりに、廊下に小さな水たまりがあり、それは玄関へと続いていた。


怖くなった私は祖母の部屋へ行こうとしたが、何かに突き動かされるように、その水たまりの跡をたどった。玄関のドアは少し開いていて、外は満月の夜だった。


月明かりの下、庭を横切り、裏手の小川へと続く水の跡。そこには、雛人形が置かれていた。いや、よく見ると、それは雛人形ではなく、小さな女の子のようにも見えた。


「来てくれたのね」


振り返ると、そこには若い女性が立っていた。月明かりに照らされた彼女の顔は、どこか懐かしい。母に似ている。


「あなた...」


「私はこの人形と一緒にいるの」女性は静かに言った。「でも、もう離れなきゃいけない時間なの」


恐怖で足がすくむ中、女性は小川の方へと歩み寄った。そして、川辺に置かれた雛人形を手に取った。


「長い間、ありがとう。でも、もうお別れの時間よ」


彼女はそう言って、人形を優しく川に浮かべた。人形はゆっくりと流れ始める。女性の姿も、月明かりの中で徐々に透明になっていった。


「待って!あなたは...」


言葉が出る前に、彼女は完全に消えてしまった。残されたのは、川に流れていく雛人形だけ。


次の瞬間、誰かが私の肩を叩いた。驚いて振り返ると、祖母が立っていた。


「どうしたの?こんな夜中に」


「おばあちゃん...雛人形が...」


祖母は川を見つめ、静かに頷いた。


「やっと解放されたのね」


祖母の説明によると、その雛人形には悲しい歴史があった。母が子供の頃、母の親友がいた。二人はいつも一緒に遊び、特にその雛人形を使った「お雛様ごっこ」が好きだった。しかし、その友達は七歳の時、この小川で溺れて亡くなってしまった。ちょうど七月七日、流し雛の日だった。


母はその後、友達の形見のようにその雛人形を大切にし、「絶対に処分しないで」と言い続けた。母自身も、その友達の死を一生引きずっていたという。


「お母さんはね、あの子を救えなかった罪悪感を抱えていたんだ」祖母は悲しそうに言った。「だから、人形を通してあの子とつながっていたいと思ったのかもしれない」


翌朝、私たちは川を探したが、雛人形は見つからなかった。代わりに、川辺には一輪の白い花が咲いていた。


「やっと成仏できたのね」祖母はつぶやいた。


その日から、私の夢に母が現れるようになった。夢の中の母は、生前よりも穏やかな表情で、いつも小さな女の子と手をつないでいる。二人とも笑顔だ。


夏休みが終わる前に、祖母と一緒に地元の神社で「人形供養祭」に参加した。古くなった人形やぬいぐるみを持ち寄り、感謝の気持ちを込めて供養する儀式だ。


祭りの最中、一瞬だけ、人形の山の中から誰かが手を振っているように見えた。それは母と、あの小さな女の子のようにも思えた。


今でも毎年七月七日になると、私はその小川を訪れる。そして、流れる水に向かって「ありがとう」と言う。人形に宿った魂も、母の友達の魂も、そして母自身も、ようやく安らかに眠れるようになったことを祈りながら。


---


日本では古くから、人形には魂が宿るという信仰があり、特に長く使われた人形は適切に供養する習慣があります。「人形供養」や「流し雛」はその代表的な行事で、各地の神社や寺で今も行われています。


特に注目すべきは、徳島県の「人形供養祭」と岩手県の「流し雛」です。徳島県の人形供養祭は毎年秋に行われますが、岩手県の一部地域では七月七日に「流し雛」が行われ、不要になった雛人形を小さな船に乗せて川に流す習慣があります。この行事は、人形に宿った厄や災いを流すと同時に、子どもの成長と安全を祈願する意味もあります。


2014年、岩手県のある集落で行われた「流し雛」の際、参加者の一人が不思議な体験をしたという報告があります。川に流した雛人形の後ろに、小さな子どもの姿が見えたというのです。その集落では40年前、七月七日に幼い女の子が川で亡くなったという記録が残されています。


また、2017年には千葉県の人形供養祭で、供養される人形の中から「ありがとう」というかすかな声が聞こえたという複数の証言も報告されています。参加者の中には、その声と同時に、故人の姿を一瞬見たという人もいました。


心理学者によれば、人間は物に感情移入する傾向があり、特に顔を持つ人形には強い愛着を感じるといいます。また、特定の人形と大切な人の記憶が結びついていると、その人形を通じて故人とつながりを感じることもあるそうです。


科学では説明しきれない現象もありますが、長く愛された人形を丁寧に供養する日本の習慣には、物を大切にする心や、目に見えない存在への敬意が込められています。現代でも多くの神社や寺で人形供養祭が行われていますので、もし手放す予定の古い人形があれば、供養祭に参加してみるのも一つの選択かもしれません。そうすることで、人形に込められた思い出や感情も、穏やかに送り出すことができるのではないでしょうか。

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