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怖い話  作者: 健二
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月下の糸


「夏の蜘蛛は、亡くなった人の魂が形を変えたものだという」


古い縁側でスイカを食べながら、祖母はぽつりとそう言った。高校二年の私は田舎の実家に夏休みを過ごしに来ていた。都会の喧騒から離れた山間の集落は、日が暮れると虫の声だけが響く別世界だった。


「え、蜘蛛が?」私は半信半疑で尋ねた。


祖母は庭の隅を指さした。「あそこに見えるのは『月読の蜘蛛』と呼ばれるもので、特別なんだよ」


庭の片隅、藤棚の下に張られた大きな蜘蛛の巣が月明かりに銀色に輝いていた。中央には黄金色の縞模様を持つ大きな蜘蛛が静かに佇んでいる。


「この辺りでは、月読の蜘蛛は先祖の魂が宿るものとされてるんだ。だから決して手を出してはいけない」


その夜、二階の客間で寝ていた私は不思議な夢を見た。月明かりの下、糸を紡ぐ美しい女性。しかし近づくと、その手は人間のものではなく、細く長い蜘蛛の脚だった。


「来てくれたのね」女性は振り返り、微笑んだ。「あなたに頼みたいことがあるの」


目が覚めると、枕元に一筋の蜘蛛の糸が落ちていた。


翌朝、祖母に夢の話をすると、彼女は急に表情を曇らせた。


「その夢を見たなら、あなたは選ばれたのかもしれない」


祖母の話によると、この地域には「月読神社」という小さな祠があり、かつては蜘蛛を神の使いとして祀っていたという。しかし30年前、開発のために祠は取り壊され、その後この村には不幸が続いたそうだ。


「月読の蜘蛛に選ばれた者は、必ず満月の夜に神社跡を訪れなければならない。そうしないと、次々と不幸が訪れるとされているんだ」


半信半疑ながらも、何か引かれるものを感じた私は、その日の夕方、祖母に案内されて廃れた山道を登った。木々が生い茂る斜面を15分ほど歩くと、朽ちた鳥居と苔むした石段が現れた。


「ここまでよ。私はもう登れないから」祖母は言った。「石段を上った先に、祠があったはずだ。満月が出る頃に行きなさい」


夕食後、懐中電灯を持って一人で山に向かった私は、徐々に不安になってきた。月が雲に隠れ、森はひどく暗い。風一つなく、虫の声さえ途切れがちに聞こえる。


石段を上り切ると、確かにそこには崩れかけた祠の跡があった。しかし、月明かりが差し込むと、その周囲に無数の蜘蛛の巣が張り巡らされているのが見えた。巣は単なる無秩序なものではなく、まるで一つの模様を描くように連なっている。


中心には、黄金の縞模様を持つ大きな蜘蛛が静かに佇んでいた。


恐る恐る近づいた私は、蜘蛛の巣の向こうに何かが見えることに気がついた。月明かりに照らされた巣は半透明になり、その向こう側には別の風景が広がっているようだった。


そこには立派な神社があり、赤い鳥居と石灯籠、そして美しい本殿が見える。現実にはありえない光景だ。


「入りなさい」


声がした。振り返ると、誰もいない。再び蜘蛛の巣を見ると、中央の蜘蛛が糸を垂らして私の前に降りてきた。


「私たちは長い間、あなたのような人を待っていました」


蜘蛛の口から人間の声が聞こえた。恐怖で足がすくむ。


「恐れることはありません。あなたには、果たしていただきたい役目があるのです」


蜘蛛は糸を吐き出し、それは私の足元に落ちた。その糸は月明かりに反射して銀色に輝いている。


「この糸を手に取り、私たちの世界に入りなさい。そうすれば、この村に訪れた不幸の真実が分かるでしょう」


震える手で糸を取ろうとした時、突然背後から声がした。


「触るな!」


振り返ると、そこには見知らぬ老人が立っていた。


「蜘蛛の誘いに乗ってはいけない。彼らは人の魂を奪うんだ」


老人は私の腕を引いて、蜘蛛から離れさせた。


「昔、この神社を取り壊したのは私たちだ。そして祟りを受けた。だが、それは単なる迷信ではない。この蜘蛛たちは、古くからこの地に住む『土蜘蛛』の末裔なんだ」


老人の説明によると、この地域に住んでいた古代の一族は「土蜘蛛」と呼ばれ、蜘蛛を神として崇拝していた。しかし時代が変わり、彼らは迫害され、最後は神社に封じ込められたという。


「30年前、私たちはその封印を破ってしまった。それ以来、村人たちは一人また一人と姿を消し、代わりに月読の蜘蛛が増えていった」


老人は急に咳き込み、月明かりに照らされた時、その顔には無数の蜘蛛の糸が絡みついているのが見えた。


「私ももうすぐだ。彼らの世界に取り込まれる。だが、お前は違う。お前には祖母の血が流れている。彼女は昔、この神社の巫女だった。だから蜘蛛たちはお前を仲間に引き入れようとしている」


老人は懐から古びた御札を取り出し、私に渡した。


「これを使って、祠を再建するんだ。そうすれば、蜘蛛たちとの和解ができる」


その瞬間、老人の体が震え始め、口から無数の小さな蜘蛛が這い出してきた。恐怖に叫び声を上げた私は、御札を握りしめたまま山を駆け下りた。


祖母の家に戻ると、彼女は既に寝ていた。翌朝、夜の出来事を話すと、祖母は静かに頷いた。


「あの老人は村長だった人だよ。でも、もう10年前に亡くなっているんだ」


背筋が凍る思いだった。祖母は続けた。


「確かに私は若い頃、あの神社の巫女をしていた。だから分かるんだ。蜘蛛たちは悪い存在ではない。ただ、自分たちの居場所を奪われて怒っているだけなんだよ」


その日から、私と祖母は近所の人たちの協力を得て、月読神社の再建に取り掛かった。一ヶ月後、満月の夜に小さな祠が完成した。


祭壇には黄金の蜘蛛の彫像を置き、祖母が教えてくれた古い祝詞を唱えた。すると不思議なことに、周囲の蜘蛛の巣が一斉に輝き、月明かりを反射して神秘的な光景を作り出した。


「ありがとう」という声が風に乗って聞こえた気がした。


それ以来、村には不幸な出来事が起きなくなり、人々は再び平和に暮らすようになった。そして夏になると、月読神社の周りには美しい黄金の蜘蛛が巣を張り、月明かりの下で糸を紡ぐ姿が見られるようになった。


今でも私は毎年夏休みになると祖母の家を訪れ、満月の夜には月読神社にお参りをする。そして時々、夢の中で糸を紡ぐ美しい女性に会うことがある。彼女はもう蜘蛛の姿ではなく、穏やかな微笑みを浮かべて、私を見守ってくれている。


---


日本には古くから蜘蛛にまつわる不思議な伝承が数多く存在します。特に「土蜘蛛」は、古代日本の被征服民族を指す言葉とされ、鬼や妖怪として描かれることもありました。


特に注目すべきは、島根県の八重垣神社に伝わる「縁結びの蜘蛛」の伝説です。この神社では、小さな池に映る自分の姿の上に蜘蛛が糸を垂らしてくると、良縁に恵まれるという言い伝えがあります。2012年、この神社を訪れた女性が実際にその現象を体験し、その年のうちに結婚したという報告が地元紙に掲載されました。


また、長野県の山間部では「月読蜘蛛」と呼ばれる特殊な蜘蛛の存在が伝えられています。この蜘蛛は満月の夜にだけ姿を現し、その巣に月明かりが反射すると不思議な模様が浮かび上がるといいます。2009年、地元の生物学者がこの現象を調査し、実際に通常の蜘蛛とは異なる反射率を持つ糸を吐く蜘蛛の存在を確認したという報告があります。


岐阜県の一部地域では、先祖の魂が蜘蛛に宿るという信仰があり、夏に現れる大きな蜘蛛を粗末に扱うと祟りがあるとされています。2015年、ある家庭で庭の蜘蛛の巣を全て取り払った後、家族全員が原因不明の発熱に見舞われたという事例が報告されています。地元の神社で祈祷を受けた後、症状は収まったといいます。


現代科学では、蜘蛛の糸は驚くべき特性を持っていることが解明されています。その強度は同じ太さの鋼鉄の5倍以上あり、特定の波長の光を反射する性質を持つ種もいます。これが月明かりの下で幻想的な光景を作り出すことがあり、古来より人々の想像力を刺激してきたのでしょう。


また心理学的には、蜘蛛は八本の足を持つその特異な形状から、人間の原始的な恐怖を引き起こしやすいとされています。その一方で、忍耐強く巣を張り続ける姿は「努力」の象徴として捉えられ、日本では「朝に蜘蛛を見れば吉、夜に見れば凶」という言い伝えも存在します。


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