石の見守る道
八月の炎天下、私は卒業研究のフィールドワークのため、長野県の山間にある小さな村を訪れていた。民俗学を専攻する私のテーマは「道祖神信仰と現代社会」。この村には古い道祖神が数多く残されているという。
「あんた一人で大丈夫かい?」
民宿の女将さんは、私の計画を聞くと心配そうな顔をした。
「道祖神様の写真を撮るなんて、気をつけないとね」
村に点在する道祖神を調査する予定を話すと、女将は真剣な表情で忠告してきた。
「特に『御魂分けの道』の道祖神だけは、日が落ちてからは近づかないこと。写真も撮らないほうがいい」
女将の言葉に首を傾げる私に、彼女は村に伝わる古い言い伝えを語ってくれた。
この村には「御魂分けの道」と呼ばれる古道があり、そこに立つ道祖神は普通のものとは違うという。江戸時代、疫病が流行った際、村人たちは病を村外に追い出すため、藁人形に病を移す「道切り」の儀式を行った。その人形を埋めた場所に建てられたのが、この道祖神だという。
「道祖神様は旅人を守る神様だけど、同時に境界を守る神様でもあるんだよ。あの道祖神は、生者と死者の境界を守っているんだ」
女将の話では、夏になると「御魂分けの道」を通って、死者が一時的にこの世に戻ってくるという。特に「七夕の入り」と呼ばれる立秋の前日は、道祖神の力が弱まり、境界が曖昧になる日だという。
「今日がまさにその日なんだよ」
その言葉に、私は背筋が寒くなった。しかし、研究者としての好奇心が恐怖を上回った。
「御魂分けの道」は村はずれの山へと続く細い道だった。道沿いには、苔むした石の道祖神が点々と立っている。男女一対の素朴な姿は、どこか愛らしくもあり、不気味でもあった。
昼間のうちに数体の道祖神を撮影し、メモを取る。女将の言う特別な道祖神は、道の最も奥、森との境にあるという。
午後四時頃、ようやくその場所に辿り着いた。他の道祖神と違い、こちらは一体だけで立っていた。苔に覆われた石像は、風化で表情が判別しづらいが、どことなく悲しげな表情に見える。台座には判読困難な文字が刻まれていた。
「これが噂の道祖神か」
カメラを構えて数枚撮影し、スケッチも取る。作業に夢中になっているうちに、空が薄暗くなってきた。時計を見ると、既に六時を回っていた。
「やばい、帰らないと」
荷物をまとめ始めた時、不思議な感覚に襲われた。誰かに見られているような気配。振り返ると、道祖神が私をじっと見つめているように感じた。
「気のせいだ」
そう言い聞かせ、来た道を引き返そうとしたが、道が違って見える。来た時は明るく開けた道だったはずなのに、今は木々が生い茂り、薄暗い獣道のようになっていた。
「おかしいな…」
不安を感じながらも、その道を進む。しばらく歩くと、また別の道祖神に出くわした。しかし、これは来た時に見たものとは明らかに違う。より古く、風化が進んでいる。
混乱する私の前に、一人の老人が現れた。麦わら帽子をかぶり、杖をついている。
「迷ったかい、若いの」
老人は穏やかな笑顔で声をかけてきた。
「はい、民宿に戻る道を探しています」
「そうかい。ならついておいで」
老人の案内で道を進むが、どんどん見知らぬ風景になっていく。やがて小さな集落に到着した。しかし、そこは私が滞在している村とは明らかに違っていた。古い茅葺屋根の家々が並び、明かりはランプの明かりだけ。まるで時代劇のセットのような光景だ。
「ここは…」
「俺の村さ。一晩泊まっていきな」
不安を感じながらも、日も落ち、他に選択肢がないように思えた。老人の家に案内され、そこで一晩を過ごすことにした。
家の中には老人の妻らしき老婆と、若い女性がいた。孫だろうか。女性は私に微笑みかけたが、何も話さなかった。
「お二人は御魂分けの道のことをご存知ですか?」
夕食を囲みながら尋ねると、老夫婦は顔を見合わせた。
「あんた、うっかり境を越えちまったんだよ」老人が静かに言った。「今日は七夕の入り。生者と死者の境目が曖昧になる日なんだ」
その言葉に、恐怖が込み上げてきた。
「つまり、ここは…」
「あんたから見れば、百年以上前の世界さ」老婆が言った。「道祖神様の向こう側は、もう生きている人の世界じゃない」
パニックになる私を、若い女性が静かに制した。彼女は懐から古い写真を取り出した。そこには、私が今日見た道祖神と、その前に立つ若い女性の姿があった。女性は今目の前にいる人と同じ顔だった。
「私は七十年前、あの道で命を落としました」女性が初めて口を開いた。「以来、道祖神様の側で、迷い込む人を助けています」
彼女の話によれば、道祖神は単なる石像ではなく、二つの世界の境界を守る門番だという。通常は生者が死者の世界に入ることはないが、七夕の入りの日だけは例外だ。
「でも、朝になれば元の世界に戻れます。ただし、何も持ち帰ってはいけません」
一晩、不安な眠りについた私は、鶏の鳴き声で目を覚ました。外はまだ薄暗い。老人が言うには、夜明け前に道祖神のところに戻れば、元の世界に帰れるという。
急いで支度をし、若い女性の案内で「御魂分けの道」へと向かった。道中、彼女は私に警告した。
「道祖神様の写真、撮りましたよね?あれは消してください。境界の姿を留めると、魂も留まってしまいます」
道祖神の前に立った時、女性は私に別れを告げた。
「さようなら。もう会うことはないでしょう」
彼女の姿が朝霧の中に消えると同時に、景色が歪み始めた。目を閉じると、体が回転するような感覚。再び目を開けた時、私は元の道に立っていた。周囲は明るく、鳥のさえずりが聞こえる。
急いで民宿に戻ると、女将が心配そうに出迎えた。
「大変だったわね!一晩中捜してたのよ」
彼女の話では、私は昨日の夕方から行方不明になっていたという。警察にも連絡するところだったそうだ。
「御魂分けの道に行ったの?」
私が昨晩の体験を話すと、女将は青ざめた顔をした。
「あの道で夜を過ごした人間が、生きて戻ったのは百年ぶりだよ」
その後、カメラの中の道祖神の写真を確認しようとしたが、不思議なことにデータは破損していた。一枚も見ることができない。しかし、最後の一枚だけは、かろうじて映っていた。そこには道祖神と、その横に立つ若い女性の姿があった。
民宿を去る日、私は最後にもう一度「御魂分けの道」を訪れた。道祖神の前に立ち、深く頭を下げる。風が吹き、木々がざわめいた。その音が「気をつけて」と言っているように聞こえた。
***
この物語の背景には、日本各地に実際に伝わる道祖神信仰があります。特に長野県や山梨県の山間部では、道祖神は単なる旅の守り神ではなく、「この世とあの世の境界を守る神」としても信仰されてきました。
実際に長野県の某村では、「七夕の入り」と呼ばれる立秋の前日に、道祖神の前で特別な祭祀が行われます。この日は「境界が薄くなる日」とされ、村人たちは道祖神に供物を捧げ、先祖の霊が村に迷い込まないよう祈願します。
2015年、この地域で民俗調査を行っていた大学院生が体験した不思議な出来事も報告されています。彼女は道祖神の調査中に道に迷い、一晩を過ごした古い家の住人と会話を交わしたといいます。後日、村の古老に尋ねると、彼女が描写した家や人々は、50年以上前に火事で失われた集落と、そこに住んでいた人々の特徴と一致していたそうです。
また、道祖神の写真に関する不思議な現象も各地で報告されています。特に古い道祖神を撮影した写真には、撮影時には見えなかった人影が写りこむことがあるといいます。2018年には、プロの写真家が長野県の道祖神を撮影した際、写真には明らかに昔の装いをした女性が写っていましたが、撮影時にその場にいた人は誰もそのような人物を目撃していませんでした。
日本の夏の風物詩である七夕。星に願いを託す美しい行事の裏には、異界との境界が薄くなるという古い信仰が隠されているのかもしれません。道祖神の前を通り過ぎる時、特に夏の終わりが近づくこの時期には、一礼して通るのが無難かもしれませんね。