縁側の来客
八月の終わり、父の実家がある東海地方の小さな漁村に、私は帰省していた。東京の大学で建築を学ぶ私にとって、江戸時代から続く曾祖父の家は、貴重な研究対象でもあった。特に広い縁側と庭に面した障子戸の構造は、現代の建築では見られない美しさを持っていた。
祖父母は既に他界し、父の従兄にあたる伯父夫婦が住んでいた。三年ぶりの帰省だったが、家は変わらぬ佇まいで私を迎えた。
「洋平、大きくなったな」
伯父は相変わらず無口だったが、温かい笑顔で私を出迎えた。伯母は数日前から体調を崩して寝込んでいるとのことだった。
「少し熱があるだけだから、心配しなくていいよ」
伯父はそう言ったが、何か隠しているような様子だった。
その夜、縁側に座って夕涼みをしていると、伯父が隣に腰を下ろした。
「明日は花火大会だな。この家からよく見えるんだ」
伯父の言葉に、子供の頃の記憶が蘇った。確かに、この家の縁側からは海が一望でき、花火大会の絶好の観覧スポットだった。
「昔、お父さんと見たことあるよ。縁側に座って、スイカ食べながら」
懐かしい記憶に浸っていると、伯父の表情が曇った。
「洋平、実はな…」
伯父は言葉を選ぶように間を置いた。
「伯母さんの体調が優れないのは、実は花火のせいなんだ」
意味が分からず首を傾げると、伯父は続けた。
「この家には、昔からある言い伝えがあってな。花火の夜に縁側で待っていると、『あの人』が来るんだと」
伯父の話によれば、十年前から、花火大会の夜になると、縁側に奇妙な訪問者が現れるという。最初に見たのは伯母だった。縁側に座っていると、庭から一人の老婆が上がってきて、無言で隣に座ったという。
「伯母さんが声をかけても返事はなく、ただ花火を見つめていた。そして最後の花火が終わると、何も言わずに立ち去ったんだ」
翌年も同じことが起こり、次第に伯母は体調を崩すようになった。特に花火大会が近づくと、頭痛や悪寒に襲われるという。
「昨年からは、老婆だけでなく、別の人影も見えるようになったらしい。子供のような小さな影だ」
伯父自身は何も見えないというが、伯母の症状は年々悪化していた。
「本当のことを言うと…今年は特に様子がおかしい。『今年は皆来る』と言って怯えているんだ」
伯父の話を聞いて、私は半信半疑だった。しかし、建築を学ぶ者として、古い家に言い伝えがあるのは珍しくないことも知っていた。
「伯父さん、その老婆って、何か心当たりはあるの?」
伯父は首を振った。
「分からない。ただ、この家は代々漁師の家で、海難事故で亡くなった者も多いんだ」
その夜、私は伯母の部屋を訪ねた。彼女は顔色が悪く、弱々しい声で話した。
「洋平くん、明日の花火大会…見に行かないでね」
伯母の目は恐怖に満ちていた。
「あの人たちが迎えに来るの。私にはわかるの」
誰が迎えに来るのか、詳しく聞こうとしたが、伯母はそれ以上話さなかった。
翌日、花火大会の日。伯母の容体は急に悪化し、医者が呼ばれた。診断は夏風邪とのことだったが、伯母の表情は苦しみよりも恐怖に満ちていた。
「洋平くん、縁側に行かないで」
それが彼女の最後の言葉だった。
その夜、花火が始まる時間が近づいてきた。伯父は伯母の看病で疲れ果て、早々と寝室に引きこもった。私は伯母の言葉が気になりながらも、研究のために家の構造を調べたいという思いもあった。
そして、花火が始まる少し前、私は縁側に腰を下ろした。月明かりに照らされた庭は静かで、虫の声だけが聞こえていた。
最初の花火が上がった瞬間、庭の隅に人影が見えた。老婆だった。白い着物を着て、ゆっくりと縁側に向かってくる。恐怖で声が出なかったが、好奇心も同時に湧いてきた。
老婆は縁側に上がり、私から少し離れた場所に座った。近くで見ると、老婆の顔は穏やかだったが、どこか悲しげだった。そして、水に濡れているようにも見えた。
第二の花火が上がると、別の人影が現れた。小さな男の子だった。彼も無言で縁側に上がり、老婆の隣に座った。
次々と花火が上がる度に、新たな人影が庭から現れた。若い女性、中年の男性、そして最後に現れたのは…伯母だった。
「伯母さん?」
私は震える声で呼びかけた。伯母は微笑んで私を見た。
「洋平くん、ごめんね。私も行かなければならないの」
彼女の姿は他の人影と同様に、半透明で、水に濡れているようだった。
「どこに行くの?」
「故郷よ。海の底の」
伯母の言葉に、背筋が凍りついた。そして彼女は静かに続けた。
「この家の人間は皆、海に魂を捧げるの。漁師の家系の宿命よ」
それは伯父から聞いていなかった話だった。伯母によれば、この家の人間は代々、五十歳になると海難事故や不審な溺死を遂げるという。それは漁の安全と豊漁を祈願した、古い契約の代償だというのだ。
「でも、それは迷信だよ。現代にそんな」
「違うのよ」伯母は静かに首を振った。「これは現実なの。あなたのお父さんが東京に出たのも、この運命から逃れるためだった」
そして伯母は、集まった人影たちを指さした。
「この人たちは皆、この家の先祖。五十歳の誕生日に海に身を投げた人たち。そして今日は、私の番なの」
恐怖と混乱で言葉を失う私に、伯母は最後の言葉を残した。
「洋平くん、あなたも気をつけて。海の契約は血で結ばれているから」
最後の花火が上がると同時に、伯母を含む全ての人影は立ち上がり、庭を通って、海の方角へと歩き始めた。私は慌てて追いかけようとしたが、足が動かなかった。
その夜、伯母は寝室で息を引き取った。医師の診断は心不全だったが、不思議なことに、彼女の体からは海水の匂いがしたという。
伯父は悲しみに暮れながらも、「やはり逃れられなかったか」と呟いた。伯母の五十歳の誕生日は、ちょうど昨日だったのだ。
葬儀の後、私は家の古い記録を調べた。すると驚くべきことに、先祖代々、五十歳になると海で命を落としていることが分かった。事故や自殺、時には行方不明として処理されていたが、共通しているのは、全て花火大会の日だったことだ。
東京に戻る前日、伯父は私に一通の封筒を渡した。
「これは伯母が残したものだ。お前が二十歳になったら開けるように言っていた」
封を切ると、中には古い地図と、一枚の写真が入っていた。地図には海岸の一角が印されており、写真には明治時代の漁師たちが写っていた。その中央に、黒い着物を着た一人の女性が立っていた。
写真の裏には、こう書かれていた。
「契約を解くには、海の巫女の墓を探せ」
今年の夏、私は再びあの家を訪れる予定だ。伯父は今年で五十歳になる。そして今年も、花火大会は開催される。契約を解く鍵を見つけ出す前に、縁側の来客が再び現れるのだろうか。
***
実際に東海地方の漁村に伝わる「海の契約」と呼ばれる言い伝えがあります。特に三重県の某漁村では、江戸時代から続く「五十歳の供養」という不可解な風習が記録されています。
2005年、この地域で古民家の改築工事が行われた際、床下から発見された江戸時代の文書には、「豊漁のための契約」が記されていました。それによれば、特定の家系は「海の神」との契約により、五十年ごとに一人を海に捧げる代わりに、豊かな漁獲を約束されていたといいます。
さらに興味深いのは、この地域の戸籍記録を調査した結果、特定の家系では明治時代から現代に至るまで、五十歳前後での溺死や海難事故の記録が統計的に有意に多いという事実です。特に夏の花火大会の時期に集中しているという特徴がありました。
地元の古老によれば、「花火の光は海の底まで届き、死者を導く」という言い伝えがあるそうです。花火大会の夜、古い家の縁側に亡くなった家族の姿が現れるという目撃談は、この地域では珍しくありません。
科学的には説明のつかない現象ですが、2018年にNHKの取材班がこの地域を訪れた際、花火大会の夜に撮影された映像には、確かに縁側に座る複数の人影が映っていました。しかし、現場には誰もいなかったという不可解な証言が残されています。
夏の風物詩である花火の美しい光の下で、私たちの知らない古い契約が今も続いているのかもしれません。次に花火大会で見上げる大輪の花火は、単なる娯楽なのか、それとも誰かを迎えるための合図なのか。日本の夏の夜には、まだ解き明かされていない謎が隠されているのです。