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怖い話  作者: 健二
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入道雲の見える浜


高校教師になって五年目の夏、私は故郷の九州に一時帰省していた。東京での慌ただしい日々を離れ、実家でのんびりと過ごすつもりだった。


しかし、帰省三日目の朝、突然の電話で平穏は破られた。受話器の向こうは高校時代の親友、直樹だった。


「透、急いで来てくれ。美咲が戻ってきたんだ」


その言葉に、私は息を呑んだ。美咲—高校時代の同級生で、直樹の婚約者だった彼女は、三年前の夏に行方不明になったはずだった。


「どういうことだ?」


「とにかく来てくれ。白砂浜で待ってる」


直樹の声は切迫していた。白砂浜とは、私たちの地元にある小さな入江のことだ。周囲を岩場に囲まれ、観光客もあまり来ない静かな場所だった。高校時代、私たち三人はよくそこで過ごした。


三十分後、私は白砂浜に到着した。遠くに巨大な入道雲が立ち上り、夏の強い日差しが照りつける中、直樹は一人で浜辺に立っていた。


「美咲は?」


私の問いに、直樹は沖を指さした。


「さっきまでそこにいたんだ。でも、また消えた」


直樹の顔色は悪く、目は充血していた。不安定な精神状態であることは明らかだった。


「落ち着いて話してくれ。何があった?」


二人で砂浜に腰を下ろし、直樹は語り始めた。


昨夜、彼はこの浜辺を訪れたという。美咲の失踪から三年目の命日だった。例年のように献花をするためだ。


「海を見ていたら、突然、彼女が波間から現れたんだ。白い服を着て、濡れていないのに」


直樹の話によれば、美咲は三年前と変わらぬ姿で現れ、彼に手を振ったという。しかし、近づこうとすると海に戻っていき、姿を消した。


「狂ったと思っただろ?でも、今朝も来たんだ。同じ場所に。そして『直樹と透に会いたい』と言ったんだ」


私は半信半疑だったが、親友の切実な表情に何も言えなかった。


「彼女、何か言ってなかったか?なぜ消えたのか、どこにいたのか」


直樹は首を振った。


「ただ『入道雲が完成したら、全てを話す』と言っただけだ」


不可解な言葉だったが、私たちは待つことにした。沖を見つめながら、三年前の出来事を思い返していた。


美咲が消えたのも、この浜辺だった。三人で海水浴に来た日のことだ。私は早めに帰り、直樹と美咲だけが残った。そして、彼女は帰らぬ人となった。直樹の説明では、彼が一瞬目を離した隙に、美咲が姿を消したという。大規模な捜索が行われたが、彼女の行方は分からずじまいだった。


「あの日、本当は何があったんだ?」


私の質問に、直樹の表情が曇った。


「正直に言うと…あの日、俺たち喧嘩したんだ。美咲が『別の人を好きになった』と言って」


初めて聞く話に、私は驚いた。


「誰だ?」


「名前は言わなかった。ただ…」直樹は言葉を濁した。「お前じゃないかと思ったんだ」


私は絶句した。確かに美咲とは仲が良かったが、特別な感情はなかった。少なくとも私の中では。


「俺じゃない。そんなことはない」


直樹は安堵したように頷いた。


「でも、誰かがいたんだ。あの日、浜辺で見かけたんだ。遠くから美咲を見つめる男を」


話し込んでいるうちに、空の入道雲はさらに大きく成長していた。そして突然、波間に人影が見えた。


「美咲!」


直樹が叫ぶと、確かにそこには彼女が立っていた。白いワンピースを着た彼女は、三年前と全く変わらない姿だった。しかし、その表情は悲しげで、どこか虚ろだった。


私たちが近づくと、彼女はゆっくりと浜辺に上がってきた。その足跡は、不思議なことに砂に残らなかった。


「久しぶり、直樹、透」


彼女の声は風のようにかすかだった。


「どこにいたんだ?何があったんだ?」


直樹の問いに、美咲は空を指さした。入道雲は今や巨大な塔のように立ち上り、その頂は平たく広がっていた。


「もうすぐ完成する。あの雲が頂点に達したら、私は永遠にここを去る」


彼女の言葉は謎めいていた。


「何を言っているんだ?どういうことだ?」


「あの日、私は誰かに連れていかれたの。海の向こうへ」


美咲は静かに語り始めた。


「その人は自分を『入道』と呼んでいた。毎年この時期に、雲の姿で現れる存在だって」


私と直樹は困惑したまま、彼女の話を聞いた。


「入道は三年に一度、人間の魂を一つ連れていくんだって。そして今年、私の代わりに新しい人を選ばなきゃいけないの」


「何を言っているんだ?」


直樹が混乱した様子で問いかけると、美咲は突然、彼の手を取った。


「直樹、あなたが選ばれたの。私の代わりに」


その言葉に、背筋が凍りついた。入道雲はさらに大きくなり、その影が浜辺に落ちていた。


「私が連れて行かれたのは、あなたのせいじゃない。あの日、本当は…」


美咲の言葉が途切れた瞬間、突然の暗闇が浜辺を包んだ。入道雲が太陽を隠したのだ。


その暗がりの中、私は気づいた。美咲の体が徐々に透明になっていくのを。


「美咲!」


直樹が叫んだとき、激しい風が吹き始めた。海が荒れ、波が高くなる。そして美咲の姿は風に溶けるように消えていった。


代わりに、浜辺に一人の男が立っていた。長身で痩せた体つき、顔は奇妙なまでに白く、表情がなかった。


「お前が『入道』か?」


私の問いに、男は微動だにしなかった。しかし、直樹が一歩前に出ると、男は彼に手を差し伸べた。


「待て、直樹!行くな!」


私は叫んだが、直樹はすでに男の手を取っていた。二人の姿は波しぶきに包まれ、見えなくなった。


次の瞬間、轟音と共に光が戻った。入道雲は消え、空は鮮やかな青に戻っていた。


浜辺には私一人だけが残されていた。直樹も美咲も、そして奇妙な男も姿を消していた。


その後、大規模な捜索が行われたが、直樹の姿は見つからなかった。警察は、溺死の可能性が高いとして、最終的に捜索を打ち切った。


しかし、不思議なことに、直樹の失踪現場からは、三年前に美咲が残したものと同じ形の砂模様が見つかった。まるで巨大な雲の形を描いたかのような、同心円状の模様だった。


あれから二年。私は故郷に戻り、地元の高校で教えている。そして毎年夏になると、あの白砂浜を訪れる。特に入道雲が立ち上る日には。


去年、浜辺で一人の少女に出会った。彼女は砂浜に座り、空を見上げていた。話しかけると、彼女は「来年の夏、ここで素敵な人に会える」と言った。


その言葉に背筋が凍りつきながらも、私は彼女に尋ねた。


「その人は誰?」


少女は微笑んだ。


「直樹さんだよ。あなたに会いたいって」


少女が指さした先には、完璧な形の入道雲が立ち上っていた。


***


九州南部の沿岸地域に伝わる奇妙な言い伝えがあります。特に鹿児島県の一部地域では、「入道雲の使者」と呼ばれる現象が古くから記録されています。


実際に2011年8月、鹿児島県の某海岸で起きた事件として、若い男性が入道雲の見える日に忽然と姿を消したという記録があります。目撃者の証言によれば、彼は「白い服を着た女性」と話した後、波間に消えたとされています。


地元の古老によれば、「入道雲」の名前の由来は、かつて白装束の修行僧(入道)が海岸に現れ、人々を連れ去ったという伝説からきているそうです。特に3年周期で人が消える傾向があり、その前兆として「同心円状の砂模様」が浜辺に現れるという言い伝えが残っています。


興味深いことに、この地域では古くから「人身御供」の風習があったとされ、海の神を鎮めるために若者を海に沈める儀式が行われていたという記録が残っています。現代ではもちろんそのような習慣はありませんが、7月から8月にかけて、特に大きな入道雲が出る日には、地元の人々は海岸に近づかないという慣習があります。


科学的には説明できない現象ですが、九州南部の海岸では今も、夏の入道雲が立ち上る日には、何者かの姿が波間に見えるという目撃談が絶えません。

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