蛍火の追憶
梅雨明け間もない七月末、私は教員採用試験の面接練習のため、十五年ぶりに母校の中学校を訪れていた。田舎の小さな学校は、すでに夏休みに入っており、校舎は静まり返っていた。
「懐かしいでしょう?」
案内してくれたのは、かつての恩師・藤原先生だ。定年間近だという彼は、昔と変わらぬ穏やかな笑顔で私を迎えてくれた。
「放課後の補習をやっていた頃のことを思い出します」
私の言葉に、藤原先生の表情が一瞬曇った。
「そうだったな…あの夏のことは、まだ覚えているか?」
あの夏—。十五年前の夏休み、補習授業のため残っていた私たち三年生十人と、当時新任だった藤原先生が体験した、あの出来事だ。
私たちの学校の裏には小さな谷があり、夏になると蛍が舞う場所として知られていた。「蛍谷」と呼ばれるその場所には、古い言い伝えがあった。真夏の夜、蛍が群れをなして飛ぶとき、その中に青白い大きな蛍が混じっていれば、それは人の魂だという。
あの日、補習が終わった後、私たちは藤原先生の提案で蛍谷に蛍を見に行った。そこで目にしたのは、数えきれないほどの蛍の光だった。
しかし、その美しい光景の中に、私たちは異様な蛍を見つけた。一つだけ、青白く大きな光を放つ蛍が、まるで私たちを誘うように飛んでいた。好奇心から、私たちはその蛍を追いかけた。谷の奥へ、奥へと。
そして辿り着いたのは、誰も知らなかった古い校舎の廃墟だった。説明によれば、戦時中に空襲で焼けた分校の跡だという。
「みんな、もう帰ろう」
藤原先生の声が震えていた。しかし、私たちのうちの一人、田中が中に入ってしまった。彼を追いかけて入った私たちが見たのは、教室のような空間で佇む、青白い光に包まれた少女の姿だった。
古い制服を着た少女は、黒板に何かを書いていた。振り返った少女の顔には目も鼻も口もなく、ただ黒い穴が空いているだけだった。恐怖で逃げ出した私たちだったが、田中だけが戻ってこなかった。
翌朝、捜索隊が田中を発見したのは谷底だった。転落死と判断されたが、不可解だったのは、彼の遺体から大量の蛍が飛び立ったことだ。
それから十五年。田中の死は事故として処理され、私たちも次第にその出来事を口にしなくなった。
「あの後、何度か調べたんだ」藤原先生は静かに語り始めた。「あの廃墟は確かに空襲で焼けた分校舎なんだが、実は焼けたのは授業中だったらしい。十人の生徒と一人の教師が亡くなった」
私の背筋が凍りついた。私たちと同じ人数だ。
「そして、最も不思議なことに、その事故があった日付が…」
「七月二十七日」私は思わず口にした。今日と同じ日だ。
藤原先生はうなずいた。「あの夜以来、二十七日の夜になると、蛍谷に十一の大きな蛍が現れるようになった。そして…」
その時、廊下から奇妙な音が聞こえた。チョークで黒板をこする音。誰もいないはずの校舎で。
「先生、あれは…」
「夕方になると、時々聞こえるんだ。誰もいない教室から、チョークの音や笑い声が」
藤原先生の言葉が途切れたとき、窓の外に無数の蛍の光が見えた。日が落ちる前だというのに。そして、その中心に大きな青白い光が一つ。
「田中くん…」
私は思わず呟いた。光は窓の前で静止し、まるで中を覗き込んでいるようだった。
「藤原先生、実は私、あの日から時々…夢を見るんです」
私は十五年間誰にも言えなかったことを打ち明けた。夢の中で田中は、あの少女の黒板を見ていた。そこには未来の日付と名前が書かれていた。そして、その名前の人物が次々と事故で亡くなっていったのだ。
「最後の一人の名前が、藤原先生でした。そして日付が…今日なんです」
話し終えると同時に、校内放送が突然鳴り響いた。しかし流れてきたのは、雑音の中の微かな子供の声。
「かえって…かえって…」
藤原先生と私は恐る恐る窓の外を見た。蛍の群れは校庭に降り立ち、人の形を形作っていた。十一人の人影。そのうちの一人が手招きをしている。
「先生、あれは…」
「田中くんだ」
その瞬間、校舎が大きく揺れた。地震だ。天井から照明が落ち、私は咄嗟に机の下に潜り込んだ。しかし、藤原先生は立ち尽くしたまま、窓の外を見ていた。
「先生!危ない!」
声を上げた時には遅かった。天井の一部が崩れ落ち、藤原先生は下敷きになった。私は必死に彼を助け出そうとしたが、彼はすでに息絶えていた。
その夜、警察の事情聴取を受けた後、私は再び学校の近くを通った。校舎は立入禁止となり、暗闇に沈んでいた。しかし、蛍谷からは無数の蛍の光が見えた。そして今、その中には十二の大きな青白い光があった。
***
日本各地に伝わる蛍にまつわる民間伝承があります。特に岐阜県の一部地域では、「大きな青白い蛍は人の魂の化身」という言い伝えが残っています。
実際に2008年、岐阜県の某中学校で起きた出来事として、夏休み中の学校で教員と生徒が目撃した「蛍の群れが人の形になる現象」が報告されています。この学校は戦時中に空襲の被害を受けた歴史があり、毎年7月末から8月上旬にかけて、夜間に不可解な現象が多発するとして、地元では有名な話となっています。
また、東北地方の一部では「蛍火招魂」という古い風習があります。戦争や災害で亡くなった人々の魂を、蛍に例える伝統です。特に身元不明の遺体が見つかった場所や、行方不明者が最後に目撃された場所では、夏になると不自然な数の蛍が発生するという報告が複数あります。
さらに興味深いのは、2011年の東日本大震災後、被災地の複数箇所で「通常ではありえない時期や場所に蛍が大量発生した」という証言があることです。地元の人々は「犠牲者の魂が蛍となって現れた」と信じています。
日本の夏の風物詩である蛍の美しい光の中に、私たちの知らない世界との繋がりがあるのかもしれません。