写し鏡の夏
八月上旬、私は祖父の遺品整理のために久しぶりに実家に戻った。三重県の山奥にある古い家は、私が大学進学で家を出てから十年以上誰も住んでいなかった。
玄関を開けると、湿った畳の匂いと埃の匂いが混ざった独特の空気が鼻をついた。父はすでに作業を始めており、縁側で段ボール箱を仕分けていた。
「おう、来たか。祖父さんの部屋の荷物を頼む」
父の指示に従い、二階の祖父の部屋へ向かった。部屋の中央には古い箪笥があり、その上には白木の位牌が置かれていた。部屋の隅には段ボール箱が何箱も積まれている。
作業を始めて一時間ほど経った頃、一番奥の箱から古いアルバムが出てきた。表紙には「昭和三十七年夏」と記されていた。
アルバムを開くと、白黒写真が整然と並んでいた。どれも夏祭りや海水浴の様子を写したものだ。最後のページに、一枚だけカラー写真があった。祖父を含む五人の男性が、海辺で笑顔で写っている。
「これは珍しい」
当時、カラー写真はまだ一般的ではなかったはずだ。写真の裏には「盆の入り 鏡浦にて 最後の一枚」と書かれていた。
その写真を見ていると、不思議な感覚に襲われた。五人の顔がどこか歪んで見える。特に真ん中の男性、おそらく祖父だと思うが、その目だけが妙に鮮明で、こちらを見つめているようだった。
「何か面白いもの見つけたか?」
階段を上がってきた父に写真を見せると、彼の表情が一瞬凍りついた。
「これ、捨てろ」
父は珍しく厳しい口調で言った。
「どうして? 祖父さんの若い頃の…」
「言うとおりにしろ」
父は写真を取り上げ、その場で引き裂こうとした。しかし、私は反射的に父の手を止めた。
「待って! これは家族の歴史だよ。どうしてそんなに…」
父は深いため息をついた。
「あの写真に写っている五人は、この写真が撮られた三日後、全員亡くなった」
父の言葉に、背筋が凍る思いがした。
「鏡浦での海難事故。祖父さんだけが一度は助かったが、その後も十三年間昏睡状態だった。おまえは知らないだろうが、祖父さんが目覚めたのは、お前が生まれた日なんだ」
その夜、私は写真をもう一度詳しく見ようと思い、こっそりアルバムを自分の部屋に持ち帰った。懐中電灯の明かりで写真を照らすと、さっきは気づかなかったものが見えた。
五人の男性の後ろの海面に、人の顔のようなものが映っている。一つではない。無数の顔だ。
ゾッとして写真を裏返した。すると、さっきは見えなかった文字が浮かび上がっていた。「五人の命、我らに捧ぐ」
恐怖で写真を落としてしまった。その瞬間、部屋の電球が切れ、真っ暗になった。窓から差し込む月明かりだけが、部屋を青白く照らしている。
そのとき、窓ガラスに自分の姿が映った。しかし、よく見ると、それは私ではなかった。若い祖父の姿だった。そして、窓の向こうにも同じ姿が見える。
窓を開けると、庭に五人の人影が立っていた。全員が海水に濡れたように水滴を垂らし、私の方を見上げている。そして、彼らの後ろには無数の人影が…。
「やめろ!」
父の声だった。彼は庭に飛び出し、何かを振りかざしていた。古い御札だ。
「家に入れるな! 約束は守ったはずだ!」
父は必死に御札を振りかざしていた。人影は徐々に後退したが、その目は私から離れなかった。
翌朝、父は全てを話してくれた。鏡浦には古くから「写し鏡の浦」という言い伝えがあった。満月の夜、海面が鏡のように人の姿を映し、その姿を映された者は、次の満月までに海に命を捧げなければならないという。
祖父たちはその言い伝えを知らずに写真を撮った。それが彼らの死を招いた。しかし、祖父だけは生き延びた。そのかわり、次の世代の命を約束したのだ。
「おまえの誕生と引き換えに、祖父さんは目を覚ました。そして『次の満月の夜、五つの命を』と言い残して亡くなった。おまえが五歳の時だった」
父は続けた。「あれから毎年、盆の入りの夜に彼らはやってくる。だが私は寺で特別な護符を作ってもらい、家を守ってきた。今年でちょうど十三年目。祖父さんが昏睡していた年数と同じだ」
その夜、私たちは徹夜で家中に新しい御札を貼り、仏間では僧侶に読経してもらった。夜が明けると、不思議と心が軽くなった気がした。
しかし、帰り際、最後に仏壇を確認すると、中から一枚の紙が落ちてきた。それは先日見つけた写真のコピーだった。しかし、元の写真には五人だけだったが、このコピーには六人目が写っていた。
私だった。
***
実際に三重県の某海岸で昭和30年代に起きた海難事故があります。地元では「写し鏡の浦」と呼ばれるこの場所で、満月の夜に五人の若者が集合写真を撮った後、不可解な形で全員が海で命を落としました。一人だけが一度は救助されましたが、長期間意識不明の状態が続きました。
地元の古老によれば、この海岸には「海面に映った自分の姿を持ち帰ると、海神の怒りを買う」という言い伝えがあったといいます。写真というのは、まさに「映した姿を持ち帰る」行為にほかなりません。
また、日本各地の海岸には「満月の夜に海に映る顔は先祖の顔」という言い伝えがあります。特に「盆の入り」の時期は先祖の霊が戻ってくる時期とされ、海面に映る月と人の姿には特別な意味があるとされてきました。
近年、心霊写真の研究家である山口敏夫氏は「昭和期に撮影された海辺の集合写真には、不可解な現象が写り込みやすい」と指摘しています。特に「最後の一枚」と称して撮影された写真には、写っている本人も気づかなかった人影が映り込んでいることが多いといいます。写真という近代技術と古来からの霊的な言い伝えが、私たちの知らないところで交差しているのかもしれません。