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怖い話  作者: 健二
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人形の祈り


八月も終わりに近づいた蒸し暑い日、私は取材のため、徳島県の山間にある小さな集落を訪れていた。民俗学雑誌の編集者として、古い風習や伝承を記録する仕事をしている私は、この集落に伝わる「人形供養祭」を取材するためにやって来たのだ。


集落の入り口には「上勝町細野地区」と書かれた古い看板があった。人口減少が進み、今では数十軒の家屋が点在するのみ。戦前は製糸業で栄えたというこの地域も、今は高齢者ばかりが残る過疎の村となっていた。


案内役を務めてくれたのは、地元の古老・田中さん。八十代の彼は、この地に代々続く家の当主だった。


「うちの集落の人形供養祭は特別なんよ。戦争と深い関係があるんじゃ」


田中さんの案内で向かったのは、集落外れの小さな神社。参道の両脇には、何百体もの人形が祀られていた。


「これは『人形塚』と呼ばれる場所じゃ。明治時代から続く、古い供養の場所なんじゃよ」


人形たちの多くは古びた市松人形や雛人形だったが、中には軍服を着た人形や、西洋風の人形も混ざっていた。不気味なことに、どの人形も目の部分が黒く塗りつぶされていた。


「目を塗るのは、魂が宿るのを防ぐためじゃ。特に、戦時中に亡くなった子供の形見の人形は要注意なんよ」


田中さんによれば、この集落では毎年八月三十日の夜に「人形供養祭」が行われるという。古くなった人形や、持ち主が亡くなった人形を供養する儀式だ。


「でも、本当の由来を知る者は、もうわしくらいしかおらん」


彼の話によると、この儀式の始まりは太平洋戦争末期にさかのぼるという。当時、この集落には「頓田疎開学園」という施設があり、神戸や大阪から多くの子供たちが疎開してきていた。


「一九四五年七月、この地域も空襲に遭ったんじゃ。学園には爆弾は落ちなかったが、その日を境に奇妙なことが起き始めた」


子供たちが次々と高熱を出して倒れ、一週間で十五人が亡くなったという。医師は伝染病と診断したが、田中さんは首を振った。


「病気じゃなかった。子供たちは皆、同じ夢を見ていたんじゃ。『人形が呼んでいる』という夢をな」


集落にあった製糸工場は、戦時中に人形の製造に転換されていた。特に、前線の兵士の士気を高めるための「武運人形」と呼ばれる軍服姿の人形が作られていたという。


「子供たちは、亡くなる前に『人形が話しかけてくる』と言っていた。『家に帰りたい』『一緒に来て』とな」


震える手で、田中さんは古い写真を差し出した。そこには、疎開学園の子供たちと教師が写っていた。最前列の子供たちは皆、人形を抱いていた。


「この写真に写っている子供のうち、半数以上が生きて故郷に帰れなかったんじゃ」


田中さんの案内で、かつての疎開学園があった場所を訪れた。今は廃屋となった木造校舎は、森に飲み込まれかけていた。


「今夜、この場所で供養祭が行われる。取材するなら、夕方までに戻ってくるといい」


私は学園の内部を調査することにした。懐中電灯を頼りに、朽ちた廊下を進む。教室はほとんど崩壊していたが、奥の一室だけは比較的状態が良かった。


その部屋に足を踏み入れた瞬間、異様な冷気を感じた。八月というのに、息が白くなるほどの寒さだった。部屋の中央には、小さな祭壇のようなものがあり、その上に一体の人形が置かれていた。


軍服を着た少年の人形。他の人形と違い、この人形の目は塗りつぶされていなかった。不気味なガラス製の目が、私をじっと見つめているようだった。


「触らない方がいい」


突然の声に驚いて振り返ると、入り口に十歳くらいの少年が立っていた。疎開学園の制服のような古い服を着ていた。


「あの人形は特別なんだ。名前もあるんだよ」


「名前?」


「健太っていうんだ。僕の友達」


少年は淋しそうに微笑んだ。


「健太は故郷に帰りたがってるんだ。でも帰れない」


何か違和感を覚えながらも、私は少年に近づいた。


「君は何て名前?」


「晋一。大阪から来たんだ」


「一人でここにいるの?」


少年は首を振った。「みんないるよ。見えないだけで」


その時、外から風鈴の音が聞こえた。振り返ると、少年の姿はなく、代わりに床に古い名札が落ちていた。「頓田疎開学園 三年 山本晋一」。


震える手でそれを拾い上げた私は、急いで田中さんの家に戻った。彼に名札を見せると、顔色が変わった。


「晋一くん…。写真に写っていた子じゃ」


田中さんは震える手で、先ほどの集合写真を指さした。前列中央、人形を抱いている少年。名札には確かに「山本晋一」とあった。


「彼は一九四五年八月十五日、終戦の日に亡くなった最後の子じゃった。人形を抱いたまま…」


その夜、私は供養祭に参加した。集落の人々が神社に集まり、白装束の神主が祝詞を上げる中、古い人形が次々と特別な火で焚き上げられていった。


儀式の最中、ふと森の方を見ると、学園の方向に明かりが灯っているのが見えた。田中さんに尋ねると、彼は驚いた顔をした。


「あそこに電気はないはずじゃが…」


儀式の後、私たちは学園に向かった。建物は暗く、明かりの正体は分からなかった。


しかし、私が先ほど人形を見つけた部屋に入ると、そこには人形がなかった。代わりに、小さな足跡が床に残されていた。足跡は出口へと続き、そして消えていた。


翌朝、田中さんから人形の話を詳しく聞いた。健太という名の人形は、大阪で空襲に遭った少年の形見だったという。その少年の魂が人形に宿り、他の子供たちを呼び寄せていたという噂があった。


「だから目を塗りつぶす習慣が始まったんじゃ。魂が宿らないようにな」


帰京の途中、地元の古文書館で調査すると、頓田疎開学園に関する記録が見つかった。一九四五年七月から八月にかけて、確かに十六人の子供が謎の熱病で亡くなっていた。


さらに驚いたのは、山本晋一という少年の遺品リストに「兵隊人形(健太と命名)」という記載があったことだ。


それから一年後、再び供養祭の時期に上勝町を訪れた私は、衝撃的な知らせを受けた。田中さんが亡くなったのだ。彼の遺品整理を手伝っていた親族から、私宛の封筒が見つかった。


中には一枚の古い写真。製糸工場で人形を作る作業員たちの姿が写っていた。その中に、田中さんの若い頃の姿があった。写真の裏には「一九四四年 武運人形製作 原料は…」と書かれ、そこで文字が途切れていた。


さらに不気味だったのは、同封されていた小さな布切れ。「学童服の残り」と書かれたそれは、疎開学園の制服の一部だった。


今でも毎年八月三十日、上勝町では人形供養祭が行われている。地元の人々は「魂の宿った人形を供養しないと、持ち主の元に戻ろうとする」と信じているという。そして時々、人形塚から泣き声が聞こえるという噂は、今も絶えないという。


---


徳島県上勝町(実在の場所)で1945年に実際に起きた「頓田疎開学園」での子供たちの集団死亡事件と、現在も続く「人形供養祭」の風習。


徳島県には戦時中、関西地方から多くの子供たちが疎開しており、特に上勝町の頓田地区には大阪市の小学生約300名が集団疎開していました。当時の記録によれば、1945年7月から8月にかけて、疎開児童の中で原因不明の高熱による死亡例が相次ぎ、最終的に16名の児童が亡くなったとされています。当時は伝染病と診断されましたが、特定の病名は記録されていません。


また、この地域には戦前から続く製糸業があり、戦時中には軍需品の生産に転換された工場もありました。「武運人形」と呼ばれる兵士の姿をした人形は実際に製造されており、前線の兵士への慰問品として送られていました。


人形供養の風習は日本各地に存在しますが、特に徳島県の一部地域では、「目を塗りつぶす」という特殊な習慣が記録されています。これは「魂が宿るのを防ぐため」という説明が一般的ですが、歴史学者の中には、戦時中の心理的トラウマや子供の死と関連づける研究もあります。


2005年には、上勝町の古い民家の改築中に、壁の中から複数の人形が発見され、その中には目が塗りつぶされていないものもあったという記録が地方紙に残されています。こうした人形は現在、地元の民俗資料館に保管されていますが、館内では時折不可解な音が聞こえるという証言も報告されています。


戦争と人形にまつわる怪談は日本各地に存在し、特に夏の終わりから秋にかけて、戦災で亡くなった子供たちの霊が現れるという言い伝えは、集合的記憶として今も語り継がれています。

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