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怖い話  作者: 健二
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「三階のボタンが押せなくなる日」


――1――

 配達アプリの副業を始めて三週間、雨の日曜の夕方にその通知は来た。届け先は「都営○○西団地3号棟305号室」。駅から歩いて五分、高層でもないから楽勝だと自転車を飛ばした。

 団地入口の掲示板には、色あせた注意書きがまだ残っている。

 《エレベーター保守点検強化のお知らせ(2006年)》

 十数年前、同じメーカー(シンドラー社)のエレベーターで高校生が挟まれて亡くなった事故のあと、ここでも一度総点検が入ったらしい。けれど外観は古いまま、かご内の鏡も擦りガラスみたいに白く濁っている。


 私は左手で宅配バッグ、右手でスマホの地図を確認して、何気なくボタンを押した。

 1階、2階――点灯ランプがあがっていく。ところが「3」が近づくと、階数字の横に赤い“×”が現れ、かごは止まらず4階へ抜けた。3階のボタンは押した覚えがないほど冷たい。仕方なく4階で降り、非常階段を半フロア下る。コンクリ壁に湿った空気がまとわりつき、スリッパが転がっていた。


 305号室のドアには剥げかけた苗字がプレートに残る。「西山」。呼び鈴を押すと、ラッチがカチャリと外れてドアが少し開いた。応答はないが、置き配指定なので足元に袋をそっと置く。次の注文が来てスマホを見た瞬間、後ろで小さく「ピッ」と電子音がした。


 振り向くとドアポストから、古びた室内用子機が覗いている。実家にあった固定電話と同じ型。液晶にぼんやり文字が浮かんだ。


  2006/06/03 13:18


 思わず息を呑んだ。その日時は──六本木ヒルズのエレベーター死亡事故が起きた時刻とほぼ一致している。この団地に固定電話のタイムスタンプが必要な理由などない。だが次の瞬間、かすれた女の声が子機のスピーカーから漏れた。

 「開けて……2センチでいいから……」


 背筋が凍る。玄関はわずかに開いている。覗くと暗い廊下の突き当たりに、ビニール傘が二本倒れているだけ。気味が悪くなり踵を返した。


――2――

 エレベーターに戻ると、かごの扉が半開きで止まっていた。行先ランプは「3」を点灯したまま、床とホールのあいだに指一本ぶんの隙間。あのとき亡くなった高校生も、たった7センチのズレから挟まれたと新聞で読んだ。私は息を殺し、非常階段へ逃げるように下った。


 1階ロビーに降り、出口へ向かう途中、管理人室の掲示板に貼られた事故報告書が目に留まる。

 《2018年7月17日 3階非常階段で女性死亡》

 そう記して、新聞記事のコピーが添えてある。遺体は引っ越し段ボールに腰掛けた格好で、死後2日後に発見された。名前は──西山弓子。さっきの呼び鈴の表札と同じだ。原因は心不全、ただし搬入作業中に体勢を崩し、胸を圧迫した可能性とある。


 もし彼女があのエレベーターを使えず、重い段ボールを抱えて非常階段を往復していたのなら──。気づけば、耳鳴りの奥で「ピッ」という電子音が続いている。懐のスマホが鳴っていた。画面を開くと配達アプリではなく、見覚えのないタイマーが動いている。


  00:03:00 … 進入防止間隔


 進入防止? それは事故後にエレベーターに追加された安全装置の名称だ。カウントがゼロになると何が起きる? 私は自転車を押し、団地から離れようとした。が、敷地を抜ける角でふと気配を感じて振り返る。

 3号棟のガラス越し、エレベーターの鏡面に白い人影が映った。ショッピングバッグを抱え、背を丸め、こちらへ歩み出る寸前で扉が閉じる。その背後、階表示が「3」で止まった。


――3――

 夜、シフトを終え帰宅すると、配達アプリの売上履歴に見知らぬ伝票が加算されていた。届け先はあの305号室、受取人「西山弓子」。受け取りサイン欄に手書きでこうある。


  2センチ、ありがとう


 動悸が跳ね上がった。あの玄関は最初から2センチ開いていた。私が押し広げた瞬間、タイムスタンプの世界に“受取完了”が刻まれてしまったのか。


 思い切ってスマホを初期化した。が、再起動後、最初に表示された時計は「2006/06/03 13:18」。そしてホーム画面右上、電波強度を示すバーの隣に、見慣れない小さなアイコンが点いている。

 それはエレベーターの錆びたドアを模したシルエット。指で触れると、階表示の“3”が赤く明滅した。


――4――

 翌朝、団地は警察と管理会社の車で囲まれていた。深夜の巡回で警備員が異常を検知し、3号棟エレベーターが急停止しているのが見つかったという。中では誰も傷ついていなかった。誰も──「居なかった」のだ。ブレーカーは落ち、扉は押し込んだ跡が残り、かごは1階と2階のあいだで止まっていた。

 警察無線が小さく漏れる。「乗客ゼロ。原因不明」


 私は遠巻きに現場を眺めながら、胸ポケットで震えるスマホを見た。


  次の配達:3号棟 305号室

  指定時刻 13:18


 キャンセルしようにもボタンがグレーアウトしている。ロック画面を上から引き下ろすと、新しいタイマーが動きはじめた。


  00:02:59 … 進入防止間隔


 カウントダウンを止める方法はない。視界の端で、3号棟の非常階段にビニール傘が二本倒れたのが見えた。まるで昨夜そのままの位置に。


 私は自転車をゆっくり漕ぎ出した。ハンドルがひどく冷たい。どこかの非常ベルが鳴り、風が団地の通路を抜ける。「3……3……3」というかすかなエコーが重なる。都市伝説でも幽霊でもない。あれは二度の死亡事故が産んだ、まぎれもない「装置の故障音」だ。


 それはあの日から、誰の生活にも入り込む可能性がある。宅配員のスマホにも、あなたのエレベーターにも。安全装置はわずか2センチのズレを感知できず、タイマーが0になる瞬間だけ、静かに眠りを解く。


 そして扉は、開く。必ず、3階で。


                          (了)


――物語に登場する実在の出来事――

・2006年6月3日、東京都港区六本木ヒルズ森タワーで起きたシンドラー社製エレベーター挟扉死亡事故。

・事故後、国土交通省が全国の同型機に「進入防止間隔検知タイマー」など追加改修を指示した。

・2018年7月、都内の集合住宅で引っ越し作業中の女性が非常階段で急死し、荷物に挟まれる形で発見されたと報じられた(事故原因は疾病とされる)。

・古い団地では今も改修が終わっていないエレベーターが存在し、停止階が点検でスキップされる例がある。


 以上の事実をもとに、物語と超常現象の部分は創作されています。

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