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怖い話  作者: 健二
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真夏の病棟


七月末の蒸し暑い夜、私は母の見舞いのため、東京郊外にある総合病院を訪れていた。母は心臓の手術を受け、四階の回復室に入院していた。


面会時間は午後八時までだったが、仕事の都合で到着したのは七時半を過ぎていた。エレベーターを降りると、廊下はすでに薄暗く、蛍光灯が数カ所だけ点いていた。


「404号室…」


部屋番号を確認しながら歩いていると、廊下の先から車椅子の音が聞こえてきた。振り返ると、白い病衣を着た老婆が一人、ゆっくりと車椅子を漕いでいた。


「すみません、404号室はどちらですか?」


老婆は動きを止め、じっと私を見つめた。彼女の目は異様に澄んでいて、若々しく見えた。


「まっすぐ行って、左の突き当たり」


その声は、年齢に似合わず透き通っていた。お礼を言い、指示された方向へ進んだ。振り返ると、老婆の姿はもうなかった。


404号室のドアを開けると、母はベッドで眠っていた。顔色は良くなく、点滴が繋がれていた。母を起こさないようそっと椅子に座った時、背後から声がした。


「あなた、面会の方?」


振り返ると、三十代くらいの看護師が立っていた。名札には「高橋」とあった。


「はい、母の様子を見に来ました」


「面会時間はもうすぐ終わりますよ。それと…」彼女は声を潜めた。「この階では、夜間に一人で廊下を歩かないでください。特に奥の非常階段付近は」


不思議に思いながらも頷いた私に、高橋さんは「送りますから」と言って、面会終了まで部屋で待っていた。


八時ちょうど、母に短く別れを告げて廊下に出た。高橋さんが先導し、エレベーターまで案内してくれた。


「実は十年前、この階で事故があったんです。それ以来、夜になると…」


そこまで言いかけた時、彼女のポケットのPHSが鳴った。


「すみません、急患です。エレベーターはまっすぐです」


彼女は急いで去っていった。エレベーターに向かう途中、水を飲もうと給水機のある小部屋に立ち寄った。水を飲み終え、廊下に戻ろうとした時、奥の非常階段から物音がした。


好奇心に駆られ、音のする方へ歩いた。非常階段のドアは少し開いていた。そこから覗くと、階段の踊り場に白衣を着た医師が一人で立っていた。


「先生?」


声をかけると、医師はゆっくりと振り返った。四十代くらいの男性で、眼鏡をかけていた。しかし、その顔には奇妙な陰りがあった。


「あなたは…見えるんですね」


意味の分からない言葉に戸惑う私に、医師は一歩近づいた。


「私は斎藤です。かつてこの病院の外科医でした」


「かつて…?」


「十年前、私はこの階段で命を絶ちました。手術ミスで患者を亡くし、責任を取れなかったんです」


恐怖で体が硬直した。医師の足元を見ると、床に血の跡が広がっていた。


「あなたのお母さんの主治医…私の教え子なんです。彼はきっといい医者になった」


そう言うと、医師は笑顔を見せた。その顔があまりにも悲しげで、恐怖より同情を覚えた。


「毎年この時期になると、私は現れます。患者さんの家族を見守るために」


医師の姿が少しずつ透明になっていく。


「お母さんは大丈夫です。彼女に伝えてください。『斎藤先生が言ってた』と」


その言葉を最後に、医師の姿は完全に消えた。震える足でエレベーターまで戻り、急いで病院を後にした。


翌日、勇気を出して母の主治医に昨夜のことを話した。若い医師は顔色を変えた。


「斎藤先生のこと、ご存じなんですか?」


彼の説明によると、斎藤医師は確かに十年前、医療事故の責任を取って自ら命を絶ったという。それ以来、七月末から八月初めにかけて、病院の四階では不思議な現象が報告されていた。


「特に手術を受けた患者さんのご家族によく見えるようです。斎藤先生は私の恩師で…彼の死後、この病院では手術の安全対策が徹底されました」


さらに驚いたのは、私が会った老婆の話をした時だった。


「404号室の前の患者さんですね。三ヶ月前に亡くなられました」


その日の夕方、母が目を覚ました時、彼女は不思議そうに言った。


「昨夜、斎藤先生という人が夢に出てきたの。『大丈夫だから安心して』って」


一週間後、母は予想以上の回復を見せ、退院が決まった。病室を片付けていると、窓際の小さな花瓶に新しい花が活けられていた。


「これ、誰が?」


看護師の高橋さんも首を傾げた。「さあ…朝からありましたよ」


退院の日、エレベーターを待っていると、廊下の先に白衣の医師と車椅子の老婆が並んで立っているのが見えた。二人は微笑みながら静かに手を振った。


私も手を振り返そうとした瞬間、エレベーターが到着し、ドアが開いた。再び廊下を見ると、二人の姿はもうなかった。


---


東京都内の大学病院で2007年7月末に実際に起きた医師の自殺事件と、その後に報告された怪異現象。当時の新聞報道によれば、手術中のミスで患者を失った外科医が、病院の非常階段で自ら命を絶つという悲劇がありました。


特筆すべきは、この事件をきっかけに病院内の安全管理体制が見直され、その後の医療事故が大幅に減少したという事実です。また、事件から数年後、この病院の特定の階では毎年7月末から8月上旬にかけて、「白衣の医師の姿を見た」という報告が複数寄せられるようになりました。


病院という場所は、生と死が交錯する特別な空間です。特に夏は「お盆」などで霊的な現象が起きやすいとされる季節であり、医療従事者の間では「夏の病棟の七不思議」として様々な体験談が語り継がれています。心理学では、極度の緊張状態や睡眠不足、病院特有の消毒薬の匂いなどが感覚を敏感にし、通常なら気づかない現象を知覚しやすくなると説明されることもあります。


しかし興味深いことに、こうした現象を目撃するのは、医療従事者よりも患者の家族に多いという統計があります。強いストレスや不安を抱えた状態で病院を訪れる家族は、普段とは異なる感覚を持ち合わせているのかもしれません。あるいは、亡くなった医療者が、今も患者とその家族を見守り続けているという解釈も、多くの人に支持されています。

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