廃校の肝試し
滴る汗が背中を伝う。七月の終わり、東京都八王子市の山間にある廃校を訪れた私たちは、真夏の夜の「肝試し」に挑もうとしていた。
私は地方の新聞社で心霊スポット特集の取材を担当する三十一歳の記者。同僚の写真担当・沢田と二人で、都内屈指の心霊スポットと噂される「旧・月見台小学校」の取材に来ていた。この学校は1973年に廃校となり、以来四十年以上放置されている。
「ほんとに入るの?マジでヤバいって聞いたけど」
沢田は不安そうに廃校の正門を見上げた。錆びついた門には「立入禁止」の看板が掛かっていたが、何度も破られた形跡があった。
「大丈夫だよ。ちゃんと管理会社の許可取ったから」
しかし本当のところ、私も不安だった。この学校については、あまりにも多くの噂を聞いていた。
「1972年、この学校で女子児童が行方不明になり、三日後に学校裏の池で遺体で発見された。事件は迷宮入りし、翌年学校は閉鎖された」
そんな話を地元の古老から聞いていた。
校舎に入ると、空気が一段と重くなった。廊下には落書きや割れた窓ガラス。かつての教室には朽ちた机や椅子が散乱していた。
「まずは三階の音楽室から見てみよう。ここが一番目撃例が多いらしい」
階段を上る度に、木の軋む音が響いた。三階の廊下は日が落ちて既に薄暗く、懐中電灯を頼りに進んだ。
音楽室のドアを開けると、中央にグランドピアノが置かれていた。壊れているはずなのに、不思議と埃一つなかった。
「これ、弾けるのかな」
沢田がピアノに近づいた瞬間、突然一音鳴った。彼は飛び上がるように後ずさった。
「触ってない、マジで触ってない!」
私たちは固まった。確かに誰も触れていないのに、ピアノが鳴った。その時、背後から女の子の笑い声が聞こえた。振り返ると、廊下に小さな影が見えた気がした。
「誰かいるの?」
返事はない。代わりに遠くで何かが落ちる音がした。
「職員室から聞こえたよ」沢田が震える声で言った。
恐る恐る職員室へ向かうと、中は荒らされた跡があった。床には古い出席簿が散乱していた。一冊を手に取ると、ページは1972年5月で止まっていた。そこには一人の生徒の名前に赤い丸が付けられていた。
「鈴木美咲…これが失踪した子?」
その瞬間、廊下から走る足音が聞こえた。小走りに廊下に出ると、階段を下りていく小さな影が見えた。
「待って!」
私たちは反射的にその影を追った。一階に降りると、影は理科室へと消えた。
理科室のドアを開けた瞬間、冷たい風が吹きつけた。窓は全て閉まっているのに。
「なあ、もう帰ろうぜ」
沢田の声が震えていた。しかし私は、何かに導かれるように部屋の奥へ進んだ。そこには古い標本棚があり、その前に小さな女の子が立っていた。制服を着た後ろ姿。
「あの、君は…」
声をかけた瞬間、女の子はゆっくりと振り返った。その顔には目も鼻も口もなかった。
私は悲鳴を上げて後ずさり、棚にぶつかった。標本瓶が床に落ち、ガラスが砕ける音がした。再び顔を上げると、女の子の姿はなく、代わりに床に一枚の写真が落ちていた。
それは古い学校の集合写真。よく見ると、前列中央の女の子の顔だけがぼやけていた。裏には「1972年5月 学校祭にて」と書かれていた。
「これ…持って帰ろう」
校舎を出る頃には、既に深夜を回っていた。車に乗り込んだ私たちは、無言のまましばらく震えていた。
「なあ、あれ…本当に見たよな?」沢田が震える声で言った。
「ああ…」
その夜、宿に戻って写真を調べようとしたが、カバンから出てきたのは白紙の紙切れだった。写真は消えていた。
翌日、地元の図書館で調査すると、1972年5月に行方不明になった鈴木美咲さんの記事が見つかった。彼女は学校祭の日に姿を消し、三日後に学校裏の池で発見された。事件は未解決のまま迷宮入りしたという。
さらに驚いたのは、記事に添えられた写真だった。それは私たちが廃校で見つけたものと同じ集合写真で、前列中央の少女の顔だけがぼやけていた。
取材を終えて東京に戻った一週間後、沢田から電話があった。
「昨日から、ずっと後ろに誰かいる気がするんだ。振り返っても誰もいないのに、女の子の笑い声が聞こえる…」
その晩、沢田は自宅のベランダから転落して重傷を負った。病院で意識を取り戻した彼は、「誰かに背中を押された」と証言した。
私も同じ頃から、夜になると携帯に不思議な着信が入るようになった。出ても無音。しかし、よく聞くと遠くでピアノの音が聞こえるような…。
そして今朝、職場のデスクに一枚の写真が置かれていた。あの集合写真だ。しかし今回は、前列中央の少女の顔がはっきりと写っていた。そして、その隣に写っている少年の顔が、ぼやけていた。
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1972年に東京都八王子市の小学校で実際に起きた女子児童変死事件と、その後「心霊スポット」として知られるようになった廃校の噂。1972年5月15日、学校行事の最中に失踪した女児が、学校の裏手にある池で遺体で発見された事件は当時の新聞でも報道されました。事件は未解決のまま時効を迎えましたが、この学校は1973年に統廃合で閉校となり、その後40年近く放置された後、2011年に取り壊されました。
廃校となった期間中、この場所は「関東十大心霊スポット」の一つとして多くの心霊写真が報告され、特に「顔のない少女」や「消える集合写真」の目撃談が多数あります。これらの現象を科学的に説明する試みもありますが、特に夏場は気温と湿度の関係で空気中の水蒸気が結露しやすく、写真フィルムに影響を与えるという説もあります。
2009年、この廃校を訪れた大学生グループが実際に不可解な体験をし、その一人が帰宅後に原因不明の事故で負傷するという出来事がありました。この事故をきっかけに廃校の解体が決定し、更地となった現在でも、毎年夏になると周辺で女児の姿を目撃したという報告が絶えないといいます。