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怖い話  作者: 健二
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八月の路地裏


東京の下町、蒸し暑い八月の終わり。私は出版社の編集者として、古い民家を改装したカフェでインタビューの約束をしていた。取材対象は、かつてこの地域で起きた連続失踪事件を調査している民間研究者の中田さんだった。


カフェに入ると、奥のテーブルで年配の男性が一人、資料を広げていた。


「中田さんですか?」


彼は静かに頷いた。その目は、何かを見透かすように鋭かった。


「あなたが新書の担当編集者ですね。想像より若いですね」


私たちは昭和五十年代に起きた「路地裏の消失」と呼ばれる事件について話し始めた。夏の終わりから秋にかけて、下町の路地裏で十人以上の女性が忽然と姿を消した事件だ。警察の捜査は難航し、結局犯人は特定されなかった。


「事件から四十年以上経ちますが、この地域には今も不思議な噂が残っています」


中田さんは古い新聞記事のコピーを見せてくれた。そこには失踪者の写真と、最後に目撃された場所の地図が載っていた。


「気づきましたか?」彼は地図を指さした。「全ての失踪地点を結ぶと、ある形が浮かび上がるんです」


確かに、点を線で結ぶと、何かの印のような形になった。


「それに、失踪事件が起きたのは、すべて八月二十七日から九月九日までの間。これは偶然ではないでしょう」


インタビューを終えて外に出ると、日は既に沈みかけていた。私は中田さんから教えてもらった失踪現場を見て回ることにした。


古い路地は予想以上に入り組んでいた。狭い路地を曲がるたび、風景が少しずつ変わっていく。現代的なビルの影に、昭和の面影を残す長屋が点在していた。


そのうちの一つの前で足を止めた。ここが最初の失踪現場だった。今は誰も住んでいないらしく、表札も外されていた。しかし、玄関先には新しい花が供えられていた。


その時、背後から声がした。


「あんた、この家に何か用?」


振り返ると、老婆が立っていた。話を聞くと、彼女はこの路地に六十年以上住んでいるという。


「あの事件のことを調べてるなら、夜に歩き回るのは止めな。特に今の時期は」


老婆は続けた。


「あの時、警察は何も分からなかったけど、私らは知ってたよ。あの家の人が…」


老婆は急に口を閉ざした。「もう、言わない方がいい。この辺りじゃ、今でも『あの人』の名前は口にしないことになってる」


日が暮れると、路地はさらに不気味さを増した。帰ろうとした時、私は道に迷ってしまった。入ってきたはずの路地が見つからない。


そのとき、かすかに女性の泣き声が聞こえた。


声のする方へ行くと、古い井戸のある小さな広場に出た。周囲には誰もいないのに、確かに泣き声がする。井戸の中からだ。


恐る恐る覗き込むと、闇の中から女性の顔が浮かび上がった。


思わず後ずさりした私は、後ろにいた人にぶつかった。振り返ると、そこには中田さんが立っていた。


「やはり聞こえましたか」彼は静かに言った。「あなたには『見える』素質があるんでしょう」


彼の説明によると、この井戸は昭和初期まで使われていたが、ある夏の夜、若い女性が身を投げて以来、使われなくなったという。そして、連続失踪事件の発端となったのも、この井戸のすぐそばだった。


「実は私の姉も、失踪者の一人なんです」


中田さんの告白に、私は言葉を失った。


「四十年以上探し続けて、ようやく分かったことがあります。この地域には、昔から『人を喰らう路地』という言い伝えがあった。特定の日、特定の場所を通ると、別の世界に迷い込む。そして…」


彼の言葉が途切れたとき、周囲の空気が急に冷たくなった。


「今日は八月二十七日です。もう、帰った方がいい」


急かされるように路地を抜けると、不思議なことに、すぐに大通りに出ることができた。振り返ると、中田さんの姿はなく、入ったはずの路地も見当たらなかった。


翌日、中田さんに電話をかけたが、つながらなかった。出版社に戻り、資料を確認すると、彼の住所は四十年前に取り壊された古いアパートだった。


一週間後、私は警察に相談した。調査の結果、中田という名の民間研究者は存在せず、私が会ったという人物の特徴は、四十年前に失踪した最後の被害者と一致していた。


それから一年、私は古い資料を掘り起こし、失踪事件の真相を追った。ある日、古い新聞の切り抜きの中から、衝撃の写真を見つけた。


それは事件当時の捜査関係者の集合写真だったが、その中に、私が会った中田さんにそっくりの刑事の姿があった。キャプションには「担当刑事・中田和彦、事件解決に執念」とあった。


さらに調べると、中田刑事は事件の捜査中に精神を病み、退職後も独自に捜査を続けていたが、事件から十年後の八月二十七日、失踪したという記録が見つかった。


今年も八月が近づいている。夜、窓の外を見ると、時々路地から誰かが呼ぶ声が聞こえる気がする。


---


1970年代から80年代にかけて東京の下町で実際に起きた連続失踪事件をモチーフにしています。公式記録では、1978年から1982年にかけて、東京都台東区と墨田区の路地裏で9名の若い女性が失踪し、うち3名の遺体が発見されましたが、残りの6名は今も行方不明のままです。当時の捜査資料には、失踪地点が特定の図形を描くという捜査員のメモが残されており、これが都市伝説として語り継がれています。


また、この事件を担当した刑事の一人が、退職後も独自捜査を続け、最終的に姿を消したという事実も、警視庁OBの回想録に記録されています。彼の残した資料には「路地の異空間」という不可解なメモが多数あったといいます。


東京の古い下町には、道路整備などで失われた路地が多数あり、その記憶は地域の古老たちによって語り継がれています。特に夏の終わりから秋にかけて、気圧の変化で霧が発生しやすい時期には、かつてあった路地が一時的に「戻ってくる」という目撃談が、今も時折報告されています。科学的には説明困難なこれらの現象は、都市の記憶と人間の知覚の不思議な関係を示しているのかもしれません。

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