送り火の夜
立て続けに降った夕立で、蝉の声が一瞬途絶えた。山口県の小さな漁村に帰省した私は、久しぶりに見る海の景色に心を奪われていた。
祖母は昨年他界し、海沿いの古い家は空き家となっていた。私は東京の出版社に勤める三十五歳の編集者。お盆の時期に実家の整理をするため、一週間の休暇を取っていた。
「お帰り、京子さん」
隣家の老女・和田さんが声をかけてきた。
「ばあちゃんの四十九日以来やね。今年の精霊送りはどうする?」
この村では毎年八月十六日の夜、海辺で亡くなった人を送る小さな送り火を焚く風習があった。祖母が生きている間は、毎年一緒に参加していた。
「もちろん、参加します」
家に入ると、懐かしい潮の香りと古い畳の匂いが混ざっていた。二階の祖母の部屋には、遺された品々がそのままだった。箪笥の中を整理していると、一番下の引き出しから古い写真が出てきた。
それは海辺で撮られた集合写真だった。子供たちが数人、大人に混じって写っている。裏には「昭和三十三年 精霊送り」と記されていた。よく見ると、写真の端に写っている少女の顔だけがぼやけていた。
夕食後、庭先で涼んでいると、潮風に混じって笛の音が聞こえてきた。単調だが不思議と心に響く音色。しかし、村は高齢化が進み、若い人はほとんどいない。誰が笛を吹いているのだろう。
音の方向に耳を澄ますと、それは海岸からのようだった。好奇心に駆られて、家を出て海へと向かった。
満月に照らされた浜辺には誰もいなかった。波音だけが響き、笛の音は止んでいた。帰りかけたその時、波打ち際に何かが光るのが見えた。
近づいてみると、それは古い笛だった。貝殻に混じって打ち上げられたようだ。手に取ると、木製の笛には「みどり」と刻まれていた。
翌朝、和田さんに笛のことを尋ねると、彼女は顔色を変えた。
「その笛、どこで?」
「昨夜、浜辺で見つけました」
和田さんは深いため息をついた。
「みどりちゃんのやね。六十年以上前、精霊送りの夜に亡くなった子や」
和田さんの話によると、昭和三十三年のお盆、村の子供たちが海で遊んでいた時、急な潮の変化で一人の少女が沖に流された。必死の捜索の末、三日後に遺体で発見された。それが「みどり」という少女だった。
「あの子、笛が上手でねぇ。精霊送りの時も、いつも先頭で笛を吹いとった。それ以来、たまに海から笛の音が聞こえると言われとる」
和田さんはさらに続けた。
「でも不思議なことに、笛の音が聞こえる年は、海の事故が一つもないんよ。あの子が村を守っとるんやろうね」
その夜、再び笛の音で目が覚めた。今度は家の中から聞こえてくる。恐る恐る廊下に出ると、音は二階の祖母の部屋から聞こえていた。
戸を開けると、月明かりに照らされた部屋に、誰もいないはずなのに、畳に小さな跪いた影があった。そして窓際には、半透明の少女の姿が見えた。振り返った顔は、あの写真の中のぼやけた少女そのものだった。
「みどりさん…?」
少女はかすかに微笑み、窓の外を指さした。海の方だ。そして姿は消えた。
不思議な気持ちに導かれるまま、私は再び海へと向かった。月明かりの浜辺には、今度は老婆の姿があった。よく見ると、それは祖母だった。
「ばあちゃん?」
老婆は振り返り、穏やかな表情で私を見た。そして静かに言った。
「みどりちゃんが教えてくれたんよ。今年、大きな波が来るって」
翌朝、村長に昨夜の出来事を話すと、彼は真剣な表情で聞き入った。気象庁に問い合わせたところ、確かに数日後に台風が接近する予報が出ていた。村では直ちに避難準備が始まった。
そして予報通り、三日後、記録的な高波が村を襲った。しかし、事前の準備のおかげで、人的被害はゼロだった。
お盆の最終日、精霊送りの夜。村人たちが集まり、海辺で小さな火を焚いた。私も祖母の遺影を持って参加した。
送り火の炎が揺らめく中、再び笛の音が聞こえた。村人の中には聞こえない人もいるようだったが、子供たちは皆、海の方を指さして「笛の音がする」と言った。
火が小さくなり始めたとき、炎の向こうに、祖母と少女が手をつないで立っているのが見えた気がした。二人は穏やかな表情で微笑み、そして波間に消えていった。
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昭和33年(1958年)8月の山口県日本海側の漁村で実際に起きた少女溺死事件と、それ以降、地元で伝えられている「警告の笛」の伝承。当時の地方新聞には「海難事故を前に奇妙な笛の音」という記事が何度か掲載され、これは現在も地元の郷土史料館に保存されています。
特に注目すべきは、2018年の西日本豪雨の際、この地域では前夜に「海から笛の音」を聞いたという住民の証言があり、早期避難につながったとされる例があります。気象学的には、高波の前に特殊な気圧変化が起き、それが特定の地形で「鳴り響く」現象として説明されることもありますが、なぜ特定の災害の前にのみこの現象が起きるのかは、科学的に完全に解明されていません。
日本の精霊送り(送り火)の風習は、先祖の霊をあの世に送り返す儀式として、特に西日本で広く行われています。そして海辺の集落では、海難事故で亡くなった人々を慰霊する独自の風習が今も残っています。亡くなった人が生きている人に警告を与えるという伝承は、日本各地に存在し、特に災害の多い地域では、そうした言い伝えが実際の防災意識につながっているケースも少なくないのです。