海の盆踊り
真夏の暑さが最も厳しくなる八月中旬、私は故郷である三重県南部の漁村に帰省していた。十年ぶりの帰郷だった。都会の喧騒を忘れ、海の匂いと潮風に包まれる日々は、一見穏やかに思えた。
村では例年通り、盆の期間中に盆踊りが開催される予定だった。しかし、到着した翌日、親戚の家を訪ねた際に村の異変に気づいた。
「今年の盆踊りは中止だって?」と私が尋ねると、いとこの和也は言葉を濁した。
「ああ、まあ…そういうことになってる」
それ以上は何も語ろうとしない彼に違和感を覚えた。村を歩くと、確かに例年なら準備が始まるはずの公民館前の広場には、何の動きもなかった。
その夜、宿泊していた実家で、母が深刻な顔で私に語りかけた。
「実は先月、海難事故があったのよ。漁に出た船が嵐で沈んで、五人が亡くなった。だから今年は自粛ということになったの」
それを聞いて納得したが、何か引っかかるものがあった。村では昔から「海の死者を弔わないと祟りがある」と言われていた。むしろ盆踊りで霊を慰める必要があるのではないかと思ったからだ。
盆の入りの晩、私は海岸沿いを散歩していた。日が落ち、辺りが暗くなり始めた頃、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。
「盆踊りは中止のはずなのに…?」
好奇心に駆られ、音の方へ歩いて行くと、村から少し離れた浜辺に、提灯の明かりが揺れているのが見えた。そこでは大勢の人々が輪になって踊っていた。
「やっぱり開催するんだ」と思いながら近づいていくと、踊りの様子が少しおかしいことに気づいた。輪になって踊る人々の動きが不自然に遅く、その表情は見えなかった。
さらに近づくと、太鼓を打つ男性の姿が見えた。その男性は背中を私に向けていたが、何かが違和感を覚えた。
「すみません、今年の盆踊りはここでやるんですか?」と声をかけると、太鼓を打つ男性はゆっくりと振り返った。
月明かりに照らされたその顔は、海藻が絡みつき、片目が抜け落ちていた。そして、その首筋には大きな裂傷があった。
恐怖で声も出ない私の前で、男性は口を開いた。海水がどくどくと流れ出る。
「踊りの輪に入りなさい。今夜は特別な盆踊りだ」
その声は、水の中から聞こえるような、不気味な響きだった。
やっと我に返った私は、その場から必死に逃げ出した。振り返ると、浜辺で踊る人々の姿が見えた。月明かりの下、彼らの着物からは海水が滴り、足元には魚や海藻が散らばっていた。
翌朝、恐る恐る母に昨夜の出来事を話すと、母の顔から血の気が引いた。
「あの浜には近づかないで!」
震える声で母は語り始めた。先月の海難事故の犠牲者たちは、実は漁業権をめぐる争いから、村の若者たちによって殺されたのだという。彼らは漁に出たところを襲われ、生きたまま海に沈められた。事件は隠蔽され、事故として処理された。
「でも、海に沈められた者は、必ず戻ってくる。特に盆の時期には…」
その日の夕方、村に異変が起きた。先月の「事故」に関わったとされる若者たちが、次々と行方不明になったのだ。彼らの家族の証言によれば、皆、「浜辺で何かが見える」と言って夜に家を出たきり、戻らなかったという。
不安に駆られた村人たちが例の浜辺へ向かうと、そこには何もなかった。ただ、波打ち際に五つの輪が描かれていた。そして砂浜には、無数の足跡が残されていた。どの足跡も海へ向かっており、浜辺に戻ってくる足跡は一つもなかった。
それから数日後、行方不明になった若者たちの遺体が、次々と海岸に打ち上げられた。全員、首に大きな裂傷があり、体には海藻が絡みついていた。
その年以来、村では盆踊りが行われなくなった。そして毎年盆の期間中、浜辺からは太鼓の音と踊りの輪が見えるという噂が絶えない。地元の漁師たちは、その期間は決して海に出ないようにしている。
私は翌日、急いで村を後にした。しかし今でも夏になると、波の音と共に聞こえてくる太鼓の音と、「踊りの輪に入りなさい」という声が、私の耳から消えることはない。
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1963年に三重県南部の漁村で実際に起きた出来事があります。ある夏の夜、漁業権をめぐる争いから5人の漁師が殺害され、海に沈められるという事件が発生しました。当初は海難事故として処理されましたが、3年後に真相が明らかになりました。
地元では、この事件の後、毎年お盆の時期になると、事件現場となった浜辺で提灯の明かりと太鼓の音が聞こえるという噂が広まりました。特に1965年には、事件に関わったとされる若者たちが相次いで溺死体で発見されるという不可解な出来事が起きています。遺体の状態から自殺や事故ではなく他殺の可能性が高いとされましたが、犯人は特定されませんでした。
現在でもこの地域では、お盆の期間中は特定の浜辺に近づかないという暗黙のルールがあり、地元の漁師たちはこの時期に漁に出ることを避けるといいます。