百物語の間
七月も終わりに近づいた梅雨明けの夜、私は京都の大学に通う友人の誘いで、洛北の古い旧家を訪れていた。築二百年を超えるという重厚な木造家屋は、かつて公家の別邸だったそうだ。
「ここで今夜、百物語をやるんだ」と友人の直樹は嬉しそうに言った。「京都の怪談研究会の恒例行事なんだよ」
集まったのは十人ほど。私を含め大半が初参加だったが、白髪の老人一人だけは、この会の主催者らしく、静かな威厳を漂わせていた。
「では始めましょう」
老人の合図で、百本の蝋燭が灯された広間に、私たちは車座になって座った。
「百物語とは、百の怪談を語り終えた時、本物の怪異が現れる儀式です。一つ話が終わるごとに、一本の蝋燭を消していきます。最後の一本が消える時…」
老人はそこで言葉を切り、微かに笑みを浮かべた。
怪談が始まり、次々と蝋燭が消されていく。夜が更けるにつれ、部屋の空気は徐々に重くなり、窓の外からは蝉の声も聞こえなくなった。
七十話目が終わった頃、突然の風が吹き、残りの蝋燭が大きく揺らめいた。その瞬間、誰もが息を呑んだ。部屋の隅に、着物姿の女性が立っていたのだ。
「あの、すみません…」と直樹が声をかけたが、女性は振り返りもせず、ふらりと隣の部屋へと消えていった。
「気のせいだよ」と誰かが言ったが、私の背筋は冷たい汗で濡れていた。
八十話目の後、再び女性の姿が見えた。今度は二人に増えていた。彼女たちは無言で私たちを見つめ、やがて障子の向こうへと姿を消した。
「これは儀式の一部なのか?」と私は直樹に耳打ちした。
「いや、聞いてない…」
直樹の声には明らかな動揺が混じっていた。
九十話目が終わる頃には、女性たちは五人に増え、部屋の周囲を取り囲むように立っていた。彼女たちの着物は古めかしく、江戸時代のものにも見えた。そして全員が、私たちではなく、老人を見つめていた。
九十九話目が終わった時、老人は静かに立ち上がった。
「最後の話は私がします」
残る一本の蝋燭の光が、老人の皺だらけの顔を不気味に照らし出す。
「百年前の今夜、この家では『生け贄の儀』が行われました。五人の娘が、疫病退散の祈願のために生き埋めにされたのです」
老人の言葉に、部屋の空気が凍りついた。
「その儀式を執り行ったのは、この家の当主…そして私の曽祖父です」
最後の蝋燭が消えた瞬間、五人の女性たちが一斉に老人に向かって歩き始めた。
「待っていました。私たちの恨みを晴らす時が来ました」
女性たちの声が重なり、不協和音のように響き渡る。老人はただ静かに目を閉じ、その場に立ち尽くしていた。
恐怖で動けなくなった私たちの目の前で、女性たちは老人を取り囲み、その体が床に沈み込んでいくように見えた。
「百年の時を経て、約束は果たされました」
女性たちの声とともに、老人の姿が見えなくなった。代わりに、床に古ぼけた人形が五体、整然と並べられていた。
パニックになった私たちは、急いで部屋を飛び出した。しかし廊下は無限に続き、どこにも出口が見つからない。やがて夜が明け、朝日が差し込んできた時、ようやく私たちは出口にたどり着いた。
警察が駆けつけたが、老人の姿は最後まで見つからなかった。後日、この家の歴史を調べると、確かに百年前、疫病の流行時に五人の娘が行方不明になったという記録が見つかった。そして、老人が言っていた「生け贄の儀」についても、古い文書に記述があったという。
最も奇妙だったのは、後日届いた老人からの手紙だった。それには「百年の償いが終わりました。私も彼女たちと共に旅立ちます」とだけ書かれていた。消印は、百物語の会の前日のものだった。
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京都府北部の旧家で1973年に実際に起きた怪奇現象があります。当時、古民家保存会が主催した「百物語の夕べ」という催しの最中、参加者たちが複数の女性の幽霊を目撃したという記録が残っています。
その家の歴史を調査した結果、1870年代の明治初期、コレラの大流行時に、この地域では「疫病退散」を祈願して少女たちを生け贄にする秘密の儀式が行われていたことが古文書から明らかになりました。特にその旧家では、当主の娘5人が突然姿を消したという記録があり、家の改築工事中に発見された人骨が、当時15歳から20歳の女性のものと鑑定されました。
さらに不可解なのは、その百物語の会の主催者だった古民家保存会の会長が、会の翌日から行方不明になったことです。彼の書斎からは、「祖先の罪を償うため」と書かれた遺書のような文書が見つかりましたが、その真偽は定かではありません。現在もこの旧家は保存されていますが、毎年夏になると女性たちの泣き声が聞こえるという噂があり、地元の人々は近づかないようにしているといいます。