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怖い話  作者: 健二
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黒い蝶の舞う家


真夏の陽射しが強く照りつける八月、私は祖母の四十九日法要のため、三十年近く訪れていなかった山梨の集落へと足を運んだ。都会での喧騒を忘れさせるような静かな山あいの集落は、過疎化が進み、かつての活気は見る影もなかった。


到着した日の夕方、親戚が集まった席で叔父が「あの家には近づくなよ」と私に忠告した。


「あの家?」


「集落の外れにある、黒い屋根の家だ。十年前から空き家になっている」


叔父の表情は固く、それ以上の説明はなかった。


法要が終わり、集落を散策していた私は、ふと懐かしさに駆られて子供の頃によく遊んだ小川へと足を向けた。そして小川沿いの道を歩いているとき、叔父の言っていた「黒い屋根の家」を見つけた。


二階建ての古い日本家屋は、明らかに長年人が住んでいない様子だったが、不思議と荒れてはいなかった。庭には季節外れの彼岸花が咲き乱れ、その赤さが異様に目を引いた。


好奇心に駆られた私は、錆びた門の前まで歩み寄った。門をくぐると、玄関の戸が風もないのに軋んで開いた。本来なら引き返すべきだと頭では理解していたが、私の体は勝手に家の中へと入っていった。


内部は薄暗く、埃一つないほど整然としていた。台所のテーブルには、まるで誰かが今しがた食事をしていたかのように、湯気の立つお茶と和菓子が置かれていた。


「どなたか、いらっしゃいますか?」


私の声は虚しく響き、返事はなかった。しかし二階から、かすかに子供の笑い声が聞こえてきた。


階段を上がると、一番奥の部屋から光が漏れていた。戸を開けると、そこには十歳ほどの少女が座り、何かを折り紙で作っていた。


「あなたは誰?」


振り返った少女の顔は、まるで人形のように白く、艶やかだった。彼女は微笑むと「遊びに来てくれたの?」と尋ねた。


私が何も答えられないでいると、少女は手にしていた折り紙を差し出した。それは黒い蝶の形をしていた。


「これ、あげる。私の友達になってくれる?」


その瞬間、部屋の隅にあった古い鏡に目をやると、そこには少女の姿が映っていなかった。恐怖に震える私に、少女は再び笑顔を向けた。


「怖がらないで。私、寂しいの」


不意に、少女の首筋に深い傷跡が見えた。それは絹糸で縫われているように見えた。


「あなたのおばあちゃん、知ってたよ。よく遊びに来てくれたの」


少女の言葉に、私は震える声で尋ねた。「祖母が?」


「うん。でもある日、急に来なくなった。皆そう。最初は遊びに来てくれるけど、いつか来なくなる」


少女の声が徐々に冷たくなり、部屋の温度が急激に下がった。窓が開き、外から黒い蝶が大量に舞い込んできた。


「だから、もう誰も逃がさない」


その言葉を最後に、少女の体が崩れるように床に倒れた。驚いて駆け寄ろうとした私を、黒い蝶の群れが取り囲んだ。息ができないほどの恐怖の中、私は必死に玄関へと走り出した。


振り返ると、家全体が黒い蝶に覆われていくのが見えた。そして蝶の羽音の中に、少女の泣き声が混じっていた。


宿に戻った私は、震える手で叔父に電話をかけた。「あの家に行ってしまった」と告げると、叔父は長い沈黙の後、重い声で語り始めた。


三十年前、その家には医師の家族が住んでいた。しかし医師の妻が精神を病み、娘の咲子を殺害したという。首を細い糸で切られた咲子の体は、黒い蝶の折り紙に囲まれて発見された。妻は「娘を永遠に私のそばに置きたかった」と言い残し、自殺したという。


それから集落では、咲子の幽霊を見たという噂が広まった。特に黒い蝶を見た者は、不幸な事故に遭うと言われていた。


「おまえの祖母はな、事故で亡くなる一週間前、あの家で咲子の幽霊を見たと言っていたんだ」


翌日、私は急いで東京へと戻った。しかし、それから数日後、私の部屋に一匹の黒い蝶が舞い込んできた。そして翌朝、目覚めると枕元に黒い蝶の折り紙が置かれていた。


それ以来、夜になると「遊ぼう」という少女の声が聞こえるようになった。鏡を見ると、時々背後に咲子の姿が映る。彼女はいつも笑顔で、私に手を差し伸べている。


あれから一年、私は医師の診断を受けた。首の周りに、細い糸で縫われたような痕が現れ始めているという。そして今、この文章を書き終えようとしている机の上にも、一匹の黒い蝶が静かに羽を休めている。


---


1977年に山梨県北部の小さな集落で実際に起きた殺人事件があります。地元の開業医の妻が10歳の娘を殺害した後、自殺するという悲惨な事件でした。


特に不可解だったのは、殺害された少女の首が細い絹糸で切られていたこと、そして遺体の周りに多数の黒い蝶の折り紙が散らばっていたことです。事件当時の警察の記録によれば、母親は「娘と永遠に一緒にいたかった」という内容の遺書を残していました。


事件後、その家は長らく空き家となりましたが、近隣住民からは「夜になると少女の泣き声が聞こえる」「黒い蝶が大量に飛んでいるのを見た」という証言が相次ぎました。特に1985年には、好奇心から家に立ち入った地元の高校生が原因不明の窒息死を遂げるという出来事があり、以来、地元民はその家に近づかなくなりました。


現在、その家は取り壊されていますが、敷地には異様なほど彼岸花が咲くといい、毎年夏になると黒い蝶が多く飛来することから、地元では「黒蝶の屋敷」として語り継がれています。また、その場所で黒い蝶を見た人が、首に不可解な痕を残して亡くなるという噂も絶えません。

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