写真機の少女
うだるような暑さが続く八月の終わり、私は祖父の遺品整理のため、長崎県の島原半島にある実家に帰省していた。東京での仕事を一週間休み、久しぶりに故郷の空気を吸う。
祖父は戦後間もなく写真館を開業し、地元では「岸田写真館」として親しまれていた。デジタルカメラの普及と共に経営は厳しくなったが、祖父は最期まで銀塩写真にこだわり続けた。
「隆太、この箱は開けないでくれ」
遺品整理を手伝ってくれていた叔父が、私が土蔵から運び出した古びた木箱を見て、顔色を変えた。「祖父さんが生前、誰にも見せるなと言っていた物だ」
その言葉が逆に私の好奇心を刺激した。その夜、家族が寝静まった頃、私はこっそりと土蔵に戻り、例の木箱を取り出した。
箱には古い南京錠がかけられていたが、錆びついて簡単に壊れた。中には古いカメラと、黄ばんだ写真が数十枚収められていた。
カメラは1930年代のものと思われる古いライカだった。レンズの周りには奇妙な模様が彫られている。写真を見ると、それらは全て同じ少女を撮影したものだった。
十歳くらいの少女は、白い夏服を着て、どの写真でも無表情だった。背景は祖父の写真館や近所の風景。写真の裏には日付が記されており、最も古いものは1952年8月15日、最も新しいものは1953年8月14日だった。
最後の一枚だけが他と違っていた。少女の姿が霞んでおり、その顔は恐怖で歪んでいるように見えた。そして写真の隅には、何かの影が写っていた。人の形をしているようだが、異様に長い手足を持ち、顔の部分は黒く塗りつぶされていた。
「これは一体…」
写真を手に取った瞬間、部屋の温度が急激に下がった。真夏の夜なのに、息が白くなるほどの冷気が漂う。
「返して…」
微かな声が耳元で囁いた。振り返ると、そこには写真の少女が立っていた。白い服を着た彼女は、生きているようには見えなかった。肌は青白く、目は虚ろだった。
恐怖で声も出せない私の前で、少女はゆっくりと手を伸ばした。
「私の写真を返して…」
とっさに写真を床に落とした私は、部屋から飛び出した。心臓が口から飛び出しそうなほど動悸が激しい。
翌朝、叔父に昨夜のことを話すと、彼は深いため息をついた。
「話さねばならないことがあるようだ」
叔父の話によれば、その少女は戦後まもなく、祖父の写真館の近くに住んでいた「美智子」という名の子だった。1952年の夏、祖父は彼女の写真を撮り始めた。毎日一枚、彼女の姿を記録していたという。
「祖父さんはある噂を確かめようとしていたんだ。その子が『影の人』に憑かれているという噂をね」
地元では「影の人」と呼ばれる怪異の噂があった。異様に背の高い人影が、特定の人間につきまとい、最終的にその人を連れ去ってしまうという。
「祖父さんは、カメラの力で『影の人』を捉えようとしたんだ。写真には人の目に見えないものも写ると信じていたからね」
1953年8月14日、祖父が最後の写真を撮った翌日、美智子は行方不明になった。村中で捜索が行われたが、彼女が見つかることはなかった。
「祖父さんは自分の責任だと感じていた。カメラで『影の人』を追いかけたことで、美智子ちゃんを危険にさらしてしまったと」
その後、祖父は写真と共にカメラも箱に封印し、誰にも見せないようにしたという。
「でも、なぜこのカメラを壊さなかったんだろう?」と私が尋ねると、叔父は首を振った。
「壊せなかったんだ。何度試みても、そのカメラは傷一つつかなかった」
その日の夕方、私は写真館の跡地を訪れた。建物は今も残っているが、中は空っぽだ。かつての暗室だった場所に立つと、壁に小さな落書きを見つけた。
「美智子、1953年8月15日」
その日付は、彼女が失踪した日だった。
帰りがけ、ふと路地の奥に人影を見つけた。白い服を着た少女が立っている。美智子だ。彼女はこちらを見て、小さく手を振った。思わず近づこうとした瞬間、彼女の背後に別の影が見えた。異様に長い手足を持つ人影。写真に映っていたものだ。
恐怖で足がすくみ、その場から動けない。少女は再び手を振り、何かを言おうとしているようだった。
「助けて…」
その言葉が聞こえた気がした瞬間、目の前の光景が歪んだ。少女も影も消え、路地には誰もいなかった。
その晩、例の木箱を再び開けてみると、カメラは消えていた。そして写真の束の一番上には、新しい一枚が加わっていた。そこには私自身が写っており、背後には例の影が迫っていた。裏には日付が記されていた。
「2023年8月15日」—— 明日の日付だ。
恐怖に震える私に、叔父は静かに告げた。
「祖父さんは言っていたよ。『影の人』は七十年に一度、八月十五日に現れ、生贄を求めると」
翌日、私は急いで東京に戻ることにした。駅へ向かう途中、空が急に暗くなった。振り返ると、異様に長い影が私を追いかけてくるのが見えた。
そして今、この文章を書いている私の背後にも、その影が迫っている。窓の外は真っ暗だ。時計を見ると午後三時のはずなのに。
もう逃げられないのかもしれない。せめて、この記録を残しておく。
私の後にも、七十年後にも、「影の人」は現れるだろう。
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長崎県島原半島の小さな集落で1953年に実際に起きた少女失踪事件があります。当時10歳だった少女は、8月15日の夕方、自宅近くで遊んでいるのを最後に姿を消しました。大規模な捜索が行われましたが、彼女が発見されることはありませんでした。
特に奇妙だったのは、地元の写真館の主人が、失踪前の約一年間、ほぼ毎日その少女の写真を撮っていたという事実です。写真館の主人の日記によれば、彼は少女の周りに「異常な影」を感じ、それをカメラで捉えようとしていたと記されていました。
警察の捜査記録には残されていませんが、地元の古老たちの間では、少女の失踪の前日に撮影された最後の写真には、少女の背後に不自然に伸びた人影が写っていたという噂があります。写真館の主人は1978年に亡くなりましたが、彼が使っていたカメラと写真は長らく行方不明となっていました。
2018年、その写真館の建物を解体する際、床下から密封された木箱が発見されました。中には古いカメラと数十枚の写真が入っていましたが、調査のため県の民俗資料館に送られた途中で行方不明になったといいます。興味深いことに、その木箱が発見された日も8月15日でした。
現在も島原半島の一部の地域では、8月15日の夕方になると子供たちを外に出さない風習が残っており、「影の人」という存在を恐れる伝承が語り継がれています。