「尾根のノイズ」
八月十二日の夜、私は上野駅から高崎線に乗った。目的地は群馬県上野村、御巣鷹の尾根。三十八年前、日本航空123便が墜落し、五百二十名が亡くなったあの山である。
NHKのアーカイブ部が、墜落現場から回収された民生用テープレコーダーを一括デジタル化することになり、私は外注の音声修復エンジニアとして呼ばれた。カセットの大半は再生の衝撃に耐えきれず、伸びきったテープが絡まったままだ。現場近くの臨時スタジオで作業をしていると、電源装置のアースが弱いせいか、ヘッドホンに終始ざらつくノイズが混じった。
土砂降りの午後九時、最後の一本――ラベルに“1985/8/12 16:47 JL123”とだけ殴り書きされたテープをデッキにかけた。
最初の三分は低い風切り音が続く。突然、男性の声が割って入った。
「……羽田に引き返すってさ……」
事故調査報告書でCVRに記録された同じ文言。それが民生カセットにあるはずはない。怖気を払うようにイコライザーを触れていると、ヘッドホン奥で微かに電子チャイムが鳴った。JAL機内の“ピンポン”だ。
同時にスタジオの蛍光灯がゆらぎ、壁の時計が二十三時二分で止まった。123便が群馬の山腹に激突した、あの時刻だった。
作業を中断し、外へ出た。雨は上がり、月光が濡れた杉林を白く照らす。山肌をのぼる慰霊登山道の途中、青い作業灯が一点だけ灯り、人影が立っている。事故遺族が毎年灯す「追悼の灯火」だと知っていたが、今日は遺族会の献灯式は行われていないはずだった。
私は吸い寄せられるように尾根へ向かった。半ば崩れた木の階段を登り、灯火の根元にたどり着く。石積みの上に、小さなラジカセが置いてあり、かすれた再生ボタンが光っていた。ヘッドホン端子には私のものと同型のプラグ。
再生を押すと、風のうなりの中で女の子がはしゃぐ声がした。
「パパ、雲の上、見て! 真っ白だよ!」
胸がつぶれた。事故で亡くなった小学一年生、河原田美佳さんの最後の家族録音が「雲が生まれる場所にいるみたい」と終わるのを、私はデータベースで聞いたことがある。その声に酷似していた。
ふいに杉木立の闇がざわめき、幻灯のように客室の光景が浮かんだ。酸素マスクが垂れ下がり、仰向けの母親が娘を抱く。金属が裂ける音。
そこへ、まったく異質な周波数が混ざった。
「MAYDAY……5700……」
2014年、消息を絶ったマレーシア航空MH370便の最後の呼び出しとされる疑似信号で、短波に流れた暗号そっくりだった。123便と異なる機体の悲鳴が、山の上でクロストークを起こしている。
やがてテープが切れ、再生ヘッドがカラカラと空回りした。灯火はまだ揺れている。だが足元の土に、誰かの革靴の足跡が二列つづいていた。雨上がりの泥に新しい輪郭――サイズからして高校生くらいのもの。
私は思い出した。1995年、事故現場を訪れた高校生二人が行方不明になり、二日後に別々の沢で遺体となって見つかった事件を。公式には滑落事故だが、二人の胸ポケットに壊れたICレコーダーがあり、解析不能の異常音だけが残されていたと新聞は報じた。
突然、木霊のように子供の声が背後で囁いた。
「もうすぐおうちに着くよ、安心して」
振り向くと、真新しい機内案内モニターが闇に浮かび、航路図には羽田空港B滑走路が映っていた。着陸予定時刻は“19:00”と表示されている。だが123便が羽田に戻ることはなかった。
私は半ば夢遊病者のようにモニターを指で触れた。映像はにじみ、金属疲労を起こした尾翼のリベット部が拡大される。ひとつのリベットが「カン」と弾け、画面がブラックアウトした。
耳をつんざくような警報音。気づけば私は最初の臨時スタジオに戻り、卓上のテープデッキが逆再生になっていた。磁気ヘッドから銀色の火花が小さく散る。
逆再生のテープから、はっきりと人の声が立ち上がる。
「上昇、あきらめないで……」
操縦士と機関士が最後まで機首上げを試みた声が、何百回も遡行しながら私の耳へ突き刺さる。
私は電源を引き抜いた。機材ラックが一瞬暗くなった後、背後の窓ガラスに赤いストロボが反射した。高度を示す計器灯にも似た、点滅する“777”の数字。MH370で採用されたボーイング777の型番そのものだ。
窓外の森で、青い作業灯がいくつも灯った。まるで墜落後の夜を再現するように、人の声と懐中電灯が揺れ、誰かが名前を呼び続けている。
私は肩に掛けたヘッドホンを外し、外気を吸い込んだ。杉の匂いに煤と油が混ざる幻臭は、何十年も尾根に染みついているのだろう。
そのとき背後で、止めたはずのデッキが再び動いた。自動テープリターン機能は付いていない。だがリールは逆回転し、極低速で音を吐き出す。
「もう一度だけ……家へ……」
それが誰の声か、私は知らない。520名分の肉声のうち、識別できない破片は今でも多いという。
私が電源コードを強く引いた瞬間、山が小さく揺れた。気象庁の速報が鳴り、震源地は群馬県南部・M3.3。浅い地震だった。
だが私は気づいた。8月12日23時56分――あの墜落の「9分後」に起きた地震と同じ震度、同じ震源域だったことを。
尾根には再び雨が降りだした。送電の弱い場所では、テープデッキより古い幽霊のような電流が、いまだ磁気を運ぶらしい。
私は残りのテープとラジカセを防水ケースに詰めた。もう一曲でも再生すれば、過去と現在の周波数が噛み合い、帰る滑走路を失う気がしたからだ。
遠くで自衛隊の慰霊ヘリが旋回音を残し、山の向こうへ去っていく。テールランプは一点、血のように赤い。だがヘッドホンの奥で、子供の笑い声がまだノイズにまぎれていた。雲の上の真っ白な世界を、きっと今も指さしている。
(了)
――補記――
本編は創作ですが、挿入された出来事はすべて実在します。
・1985年8月12日 日本航空123便墜落事故(群馬県上野村 御巣鷹の尾根)。
・遺族が毎年灯す「追悼の灯火」と、乗客が残した民生用テープの存在。
・1995年、現地で高校生2名が滑落死した実際の事故。
・2014年 マレーシア航空MH370便行方不明事件。
・墜落9分後に記録された群馬県南部の小規模地震(気象庁データ)。
現実の声と周波数は、今も山や海のどこかで再生を待っているのかもしれません。