水の記憶
八月の終わり、私は大学のゼミ合宿で三重県の山奥にある古い旅館に滞在していた。築百年を超える木造の建物は、渓流のすぐそばに建っており、部屋の窓からは清らかな水の流れる音が絶えず聞こえていた。
「この旅館、夜は気をつけた方がいいよ」
同じゼミの田中が夕食後、他の学生たちが温泉に向かった後で私に囁いた。
「何のこと?」
「この辺りは昔、大きな水害があったんだ。この旅館だけが残ったって言うけど...実は犠牲者が出たらしい」
そんな話を笑い飛ばし、私も温泉へ向かった。露天風呂から見上げる夜空は星で埋め尽くされ、流れ星まで見えた。心地よい疲労感と共に布団に入ると、すぐに眠りに落ちた。
深夜、激しい雨音で目が覚めた。窓の外を見ると、さっきまで穏やかだった渓流が轟音を立てて増水している。部屋の中まで水の匂いが漂ってきた。
ふと廊下に人影が見えた気がして、ドアを開けると、濡れた浴衣を着た少女が立っていた。髪から水が滴り、足元には小さな水たまりができている。
「迷子?」と声をかけると、少女は無言で廊下の奥へと歩き始めた。心配になって後を追った私は、使われていないはずの古い客室の前で立ち止まる少女を見た。
「そこは...」
言葉が終わる前に少女は部屋に入り、私も続いた。中は古い和室で、窓の外には増水した渓流が見えた。少女は窓際に立ち、外を見つめている。
「危ないよ、そんなところに」
手を伸ばした瞬間、少女は振り返った。月明かりに照らされた顔には、目も鼻も口もなかった。
恐怖で後ずさりした私の足元から、水が湧き上がってきた。床板の隙間から清水ではなく、どろりとした泥水が染み出し、みるみる部屋中に広がっていく。
「たすけて...」
声の主はどこにもいないのに、確かに聞こえた。
「おぼれる...」
部屋中が泥水で満たされていく感覚に襲われ、私は悲鳴を上げて部屋から飛び出した。廊下には誰もいない。足元も乾いていた。慌てて自分の部屋に戻り、朝まで布団から出なかった。
翌朝、田中に昨夜の出来事を話すと、彼は顔色を変えた。
「ここで起きた水害は、昭和三十四年の伊勢湾台風の時なんだ。この旅館の離れに泊まっていた家族が流されて...特に幼い娘さんの遺体は見つからなかったって」
その日の午後、私たちは地元の古老から旅館の歴史について話を聞く機会があった。
「あの台風の夜、離れにいた家族は助かったんですよ。でも、母親が『娘が部屋にいない』と気づいたのは既に手遅れでした。娘さんは眠りながら歩く癖があって、豪雨の中、外に出てしまったんでしょう」
帰り際、古老は私たちに言った。
「あの子は今でも雨の夜になると現れるそうです。自分が溺れた場所を永遠にさまよっている。だから雨の夜は、窓の近くに行かないことです」
その晩も大雨が降った。寝付けなかった私は、窓辺で雨音を聞いていた。すると窓ガラスに、小さな手形が内側から押し付けられた。水滴のように消えていく手形の向こうに、少女の姿が川面に映っていた。
後日、旅館の従業員から教えてもらった話では、毎年八月末の大雨の夜には、渓流の水位が異常に上昇するという。地元の人々は「あの子が水を呼んでいる」と言うそうだ。
帰京後、伊勢湾台風について調べてみると、確かにこの地域でも甚大な被害があり、特に子供たちの犠牲が多かったことが分かった。中でも、行方不明のまま記録されている少女が一人いた。
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1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で実際に起きた悲劇です。三重県の山間部にある小さな集落では、増水した川によって多くの家屋が流され、13人の命が奪われました。特に痛ましいのは、7歳の少女が夜中に一人で外に出てしまい、行方不明になったという記録です。彼女の遺体は発見されず、地元では「水子さん」として今も供養が続けられています。現在でもこの地域では、台風シーズンになると川の近くで子供の泣き声が聞こえるという目撃談が報告されており、地元の古老たちは「水の記憶」として語り継いでいます。少女の家族は代々この土地を離れることなく暮らし、毎年命日には川辺で供養を行っているそうです。