百物語の最後の一つ
空調の効いた研究室で、私は古い資料と向き合っていた。文化人類学を専攻する大学院生として、日本の怪談文化についての論文を執筆中だった。その日、指導教授から一冊の古い日記帳を渡された。
「これは江戸時代末期、ある武家の次男が記した日記だ。百物語についての珍しい記述がある」
百物語—それは、夏の夜に集まった人々が蝋燭を百本灯し、一話ずつ怪談を語り、一話終わるごとに一本ずつ蝋燭を消していくという儀式だ。すべての蝋燭が消えた時、本物の怪異が現れるという。
日記の持ち主・倉田源太郎は、文政年間に友人たちと百物語を行った際の顛末を克明に記していた。
「七月十五日。残暑厳しき夜、友人五人と屋敷の離れにて百物語を始む」
源太郎たちは順番に怪談を語り、蝋燭を一本ずつ消していった。しかし、九十九話目を終えた時、奇妙なことが起きる。
「九十九の話を終え、蝋燭を消した瞬間、外より『次は私の番』との声。障子の向こうに人影一つ。しかし、我ら六人は皆、部屋の中にいる」
好奇心から、彼らは最後の一話を聞くことにした。障子が音もなく開き、白い着物を着た女性が現れる。その顔は見えなかったという。
女性は静かに語り始めた—自分は二十年前、この屋敷で非業の死を遂げたこと、そして自分を殺した主への復讐を果たせず、成仏できないことを。
「話の終わり、彼女は『私の仇は、この中にいる』と言い残し、最後の蝋燭に息を吹きかけた」
日記はそこで唐突に終わっていた。
翌日、私は教授に「この後どうなったのですか?」と尋ねた。
「それが謎なんだ。日記の続きは見つかっていない。倉田家の記録によると、この百物語の翌日、参加者六人のうち五人が原因不明の高熱で亡くなっている。生き残ったのは源太郎だけだ」
その話を聞いた夜、私は研究室に残って資料整理をしていた。真夏の夜、冷房が効いているはずなのに、急に冷たい風を感じた。
振り返ると、書架の間に白い着物の女性が立っていた。
「あなたも聞きたいですか?私の最後の話を」
恐怖で動けない私に、彼女はゆっくりと近づいてきた。
「百年に一度、私の話を聞いた者は、私の代わりに語り部となる」
彼女の顔が見えた時、私は悲鳴を上げた。顔のない女だった。
次の瞬間、私の目の前に開かれた古い日記。そこには源太郎の筆跡ではない、新しい文字が浮かび上がっていた。
「私は彼女の話を聞いた。そして今、彼女の代わりに語る立場となった」
私は慌てて研究室を出た。廊下で警備員と出会い、研究室に人がいると伝えたが、一緒に戻ると誰もいなかった。ただ、エアコンだけが強く唸っていた。
翌日から、私は激しい悪寒と高熱に襲われた。医者は原因不明の熱だと言う。そして毎晩、白い着物の女性が夢に現れ、「語りなさい」と囁く。
一週間後、熱は突然引いた。そして私は理解した—彼女の物語を語り継がなければならないのだと。
こうして私は、友人たちを集め、百物語を始めた。九十九の話が終わり、最後の一つを語る番になった時、私の口から出る言葉は私のものではなかった。
「私は文政五年、この地で殺された女です...」
語り終えた瞬間、最後の蝋燭が消え、部屋は闇に包まれた。その闇の中で、友人の一人が悲鳴を上げた。
「誰かいる!後ろに!」
明かりをつけると、友人の後ろには誰もいなかった。しかし翌日から、彼らは次々と高熱で倒れていった。生き残ったのは一人だけ。
彼は今、別の場所で百物語を始めようとしている。
---
文政年間に京都で実際に起きた「百物語死亡事件」と呼ばれる出来事がこの物語の元になっています。京都の武家屋敷で行われた百物語の会で、参加者六名のうち五名が翌日から三日以内に原因不明の高熱で亡くなったという記録が残されています。唯一の生存者となった武家の次男は、後に「百物語の最後の一つは聞いてはならない」という警告文を残しています。
この事件は当時の公的記録にも残されており、江戸幕府の役人による調査も行われましたが、死因は特定されませんでした。興味深いことに、生き残った男性は後に俳人となり、毎年夏になると「顔なき女」を題材にした句を詠んでいます。
京都大学の民俗学研究室には現在も当時の日記の一部が保管されていますが、最後の数ページは判読不能になっているそうです。また、この日記を詳しく研究した学者たちの中にも、原因不明の体調不良を訴える者が複数いたという噂があります。現在でも、夏の終わりに京都の古い町家では、百物語を行う際、九十九話で必ず止めるという不文律があるそうです。