風鈴の音が聞こえる家
私が故郷の山形県に帰省したのは、七年ぶりのことだった。東京での仕事に追われ、なかなか時間が取れなかったのだ。実家は山間の小さな集落にあり、夏でも夜は涼しい。
玄関を開けると、懐かしい風鈴の音が聞こえた。母は毎年夏になると、軒先に青い硝子の風鈴を下げていた。
「お帰り、聡。久しぶりね」
母の白髪が増えていた。父は三年前に他界し、今は母一人がこの古い家に住んでいる。
「隣の佐々木さん、覚えてる?」母が夕食の準備をしながら言った。「去年、亡くなったの」
佐々木さん——幼い頃によく飴をくれた優しいおばあさんだ。
「そうか...」
「でもね、不思議なことがあるのよ」母は声を潜めた。「佐々木さんの家から、今でも風鈴の音が聞こえるの」
私は苦笑した。「誰か住んでるんじゃないの?」
「いいえ、空き家よ。誰も住んでないの」
その夜、窓を開けて涼んでいると、確かに隣家から風鈴の音が聞こえてきた。心なしか、実家の風鈴よりも澄んだ、透き通るような音色だった。
「ほら、聞こえるでしょう?」母が言う。
翌朝、私は好奇心から佐々木さんの家を見に行った。庭は草が生い茂り、家の周りには人の気配がない。しかし、軒先には確かに一つの風鈴が下がっていた。朽ちかけた紐に吊るされた、古びた緑色の硝子製の風鈴。不思議なことに、無風なのに微かに揺れているように見えた。
村の古老・田中さんに尋ねてみた。
「ああ、あの風鈴か」田中さんは煙草を燻らせながら言った。「佐々木ハルが大事にしていたものだ。娘のみどりちゃんが作ったものでね」
「娘さん?佐々木さんに子供がいたんですか?」
田中さんの表情が曇った。「みどりちゃんは四十年前、夏の終わりに亡くなった。たしか聡くんが生まれる前のことだ」
「どうして...?」
「熱病だった。あの頃はまだ医者も近くになくてね。みどりちゃんは学校の図工の時間に作った風鈴を、母親にプレゼントするのを楽しみにしていたそうだが...」
その晩、私は再び風鈴の音に目を覚ました。今度はより鮮明に、より近くに聞こえる。窓から顔を出すと、月明かりの中、佐々木さんの家の前に一人の少女が立っていた。白い浴衣姿で、長い黒髪が風もないのに揺れている。
恐る恐る声をかけた。「どうしたの?こんな夜中に」
少女はゆっくりと振り返った。月明かりに照らされた顔は、年齢は十歳くらいだろうか、どこか儚げで透き通るように美しかった。
「おかあさんに、渡せなかったの」
彼女の手には緑色の風鈴が握られていた。
「風鈴...を?」
「うん。自分で作ったの。でも、熱が出て...」
少女は悲しそうに微笑んだ。
「おばあちゃん、もういないの?」
私は言葉に詰まった。「...ああ、佐々木さんは...」
「わかってる」少女は静かに言った。「だから、もう行かなきゃ。でも、風鈴だけは残していきたいの」
翌朝、目が覚めると、昨夜のことが夢だったのではないかと思った。しかし、母が驚いた声を上げた。
「聡、見て。玄関に風鈴が...」
私たちの家の軒先に、見覚えのある緑色の風鈴が下がっていた。
「これ...」
母の顔色が変わった。「みどりちゃんの風鈴...」
あれから三日後、私は東京に戻る準備をしていた。最後に佐々木さんの家を訪れると、軒先の風鈴は消えていた。代わりに、玄関の戸板には小さな絵が描かれていた。浴衣姿の少女と年老いた女性が手をつないでいる絵だった。
「さようなら」と言うように、風が優しく吹いた。
その夏以来、佐々木さんの家からは風鈴の音が聞こえなくなったという。母によれば、集落の人々は「みどりちゃんとハルさんが一緒に旅立った」と話しているそうだ。
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1970年代初頭に山形県の山間部で実際に起きた出来事があります。当時、この地域では珍しい伝染病が流行し、特に子供たちが多く犠牲になりました。
地元の小学校に残された記録によれば、10歳の女児・佐々木みどりさんは、夏休みの工作で作った風鈴を母親にプレゼントする予定でしたが、完成直後に高熱を出して倒れ、病院に運ばれる途中で息を引き取ったといいます。
興味深いのは、みどりさんの母・ハルさんが亡くなった2008年以降も、空き家となった佐々木家から風鈴の音が聞こえるという証言が多数寄せられたことです。2010年に地元の民俗学者が調査を行った際には、実際に風鈴が下がっているのを確認しましたが、2011年の調査では忽然と姿を消していました。
現在でも、この集落では夏になると風鈴を軒先に下げる習慣があり、「みどりちゃんを喜ばせるため」と語る高齢者もいます。集落の小学校では毎年、夏休みの工作で風鈴づくりが行われており、佐々木みどりさんの作った風鈴のレプリカが校長室に大切に保管されています。