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怖い話  作者: 健二
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蛍火の追憶


真夏の陽射しが照りつける七月の終わり、私は恩師・高橋教授から突然の電話を受けた。かつて大学で民俗学を教えていた彼は、数年前に定年退職し、今は長野県の山奥で静かに暮らしていた。


「君に見せたいものがある。できれば今週中に来てくれないか」


慌ただしく休暇を取り、私は長野行きの電車に乗った。山間の小さな駅に降り立つと、懐かしい高橋教授が軽トラックで待っていてくれた。


「久しぶりだな、中村君」


教授の家は人里離れた山あいにあった。周囲には民家も少なく、夜になると虫の声だけが響く静かな場所だ。


「これを見てほしい」


教授は古びた木箱を取り出した。中には黄ばんだノートと、古い8ミリフィルムが入っていた。


「これは昭和三十八年、この地域で起きた『蛍火事件』の記録だ」


教授の説明によれば、この地域では昔から蛍狩りが盛んだったという。しかし1963年の夏、蛍を採りに行った子供たち五人が山で行方不明になる事件が起きた。捜索は一週間続いたが、子供たちは見つからなかった。


「しかし、不思議なことに、その後も蛍の季節になると、あの子供たちが持っていた提灯に似た光が、山の中で目撃されるようになった」


教授はノートを開いた。そこには当時の目撃証言や、捜索の記録が克明に記されていた。


「このフィルムは、事件から十年後の昭和四十八年に、地元の青年が撮影したものだ」


古い映写機でフィルムを再生すると、夜の山の風景が映し出された。画質は粗いが、木々の間を飛び交う複数の明かりが確認できる。それは蛍にしては大きく、動きも不自然だった。


「蛍の乱舞とは違う動きをしている」と私は言った。


教授は頷いた。「地元では『子供たちの魂』だと信じられている」


夕食後、教授は私を蛍が見られる渓流へと案内した。


「今夜は旧暦の七月七日。昔からこの日に蛍火が最も活発になると言われている」


夜の山道を歩くと、次第に蛍の光が見え始めた。美しい光の点々が闇の中で舞っている。


「あれを見ろ」


教授が指差す方向には、一般的な蛍よりも大きな光が五つ、列をなして動いていた。まるで誰かが提灯を持って歩いているようだった。


「追いかけてみようか」


私たちは光の列の後を追った。光は私たちを意識しているかのように、一定の距離を保ちながら山の奥へと進んでいく。


やがて開けた場所に出た。そこは小さな滝のある渓谷だった。五つの光は滝の前で円を描くように回り始めた。


「まるで...踊っているようだ」と教授がつぶやいた。


突然、光の一つが私たちの方に近づいてきた。それは子供の顔ほどの大きさで、中に人影のようなものが見える気がした。


恐怖で足がすくむ私に、教授が言った。「怖がらなくていい。彼らは君を観察しているだけだ」


光はゆっくりと私の周りを回り、やがて仲間の元へ戻っていった。


「彼らは毎年、この日にだけ現れる。おそらく自分たちが迷い込んだ場所を探しているのだろう」


帰り道、私たちの後ろから子供の笑い声が聞こえた気がした。振り返ると、五つの光は既に見えなくなっていた。


翌朝、教授は私に一冊の古い新聞記事のコピーを見せた。そこには「山中で五人の子供の遺体発見」という見出しがあった。日付は1964年5月、つまり失踪から約一年後のことだ。


「彼らの遺体は、昨夜私たちが行った滝の近くで見つかった。しかし不思議なことに、全員が手を繋いだ状態で、笑顔のまま亡くなっていたという」


教授は続けた。「この地域では今でも、蛍の季節には子供を山に行かせない習慣がある。それと、この話は他言無用でお願いしたい」


東京に戻った私は、長野県の郷土史を調べ始めた。そして驚くべき事実を知った。この地域では昔から「蛍火の子供たち」と呼ばれる伝説があり、迷い込んだ子供の魂が蛍に宿るという言い伝えがあったのだ。


そして今年も七月七日が近づいている。教授から届いた封筒には、短い手紙と一枚の写真が入っていた。写真には夜の渓流と、五つの明るい光が写っていた。手紙にはこうあった。


「彼らは今年も来た。そして君の名前を呼んでいた」


---


1963年に長野県北部の山村で実際に起きた「五人行方不明事件」です。当時の地方新聞によれば、7月7日の夕方、蛍狩りに出かけた10歳から12歳の子供たち5人が行方不明になり、大規模な捜索が行われました。


約10か月後の1964年5月、雪解け後に彼らの遺体が発見されましたが、不可解だったのは、全員が円陣を組むように手をつないだ状態で発見されたことでした。死因は低体温症と判断されましたが、なぜ助けを求めず、その場所にとどまったのかは謎のままです。


さらに奇妙なのは、発見された場所が集落からそれほど遠くなかったことです。通常であれば、声を上げれば誰かに聞こえる距離だったとされています。


この事件以降、地元では旧暦7月7日の夜になると、失踪した子供たちの数と同じ5つの明るい光が山中で目撃されるようになりました。長野大学の民俗学研究チームが1973年に撮影した8ミリフィルムには、確かに通常の蛍とは動きが異なる光の群れが記録されています。


現在でもこの地域では、7月上旬の夜に子供だけで山に入ることを厳しく禁じる習慣が残っています。地元の古老たちは「子供たちは今も蛍になって、帰り道を探している」と語り継いでいます。

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