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怖い話  作者: 健二
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海の家の記憶


毎年恒例の社員旅行で、私たち広告代理店の制作部は神奈川県の小さな海水浴場を訪れていた。東京から電車で二時間ほどの、観光客も少ない静かな浜辺だ。


「前に来た時より、海の家が少なくなってるね」


同僚の佐藤が言った。確かに、かつては賑わっていたであろう砂浜には、今は三軒ほどしか海の家がなかった。その中でも一番端にある「浜辺荘」という古びた建物が目に留まった。


「あそこ、なんだか雰囲気あるよね」と私は言った。「休憩に利用してみようか」


浜辺荘は他の海の家と違い、木造二階建てで少し内陸に位置していた。一階は食堂、二階は休憩室になっているらしい。


中に入ると、古い木の床が軋んだ。薄暗い店内には客がおらず、カウンターには白髪の老人が一人座っていた。


「いらっしゃい。休憩かい?」


私たちは軽い食事と飲み物を注文し、二階の休憩室に案内された。広い和室には扇風機が回り、窓からは海が見える。


「昔ながらの雰囲気で良いところだね」


昼食後、皆は海に繰り出したが、私は軽い頭痛を感じて浜辺荘で休むことにした。二階の和室で横になっていると、子供たちの笑い声が聞こえてきた。


不思議に思って窓の外を見ると、浜辺には私たちの他に人影はない。しかし笑い声は確かに聞こえる。次第にそれは賑やかな話し声や、食器の音に変わっていった。まるで別の時代の海水浴客が、この建物の中に残っているかのようだった。


「気のせいかな...」


そう思った瞬間、廊下から足音がした。ゆっくりとした、重い足音。和室のふすまが静かに開き、水着姿の少年が立っていた。十歳くらいだろうか。髪は濡れ、体からは水が滴っている。


「あの...ここは休憩室だけど...」


少年は無言で部屋に入ってきた。そして不意に私に向かって言った。


「お姉さん、一緒に泳ごうよ」


声は明るいのに、少年の顔には表情がなかった。そして近づくにつれ、その肌が異様に青白いことに気づいた。


恐怖で声が出ない私に、少年はさらに近づいてきた。


「海、気持ちいいよ。深いところまで行こう」


少年の手が私の腕に触れた瞬間、氷のような冷たさが走った。


「やめて!」


叫んだ声で我に返ると、部屋には誰もいなかった。床に水溜りだけが残っていた。


震える足で一階に降りると、老人はまだカウンターにいた。


「あの...二階に、子供が...」


言葉に詰まる私に、老人は静かに言った。


「見えたかい?あの子が」


私の表情を見て、老人は続けた。


「毎年この時期になると、あの子が現れるんだ。昭和四十年の夏、ここで溺れた子さ」


老人の話によれば、当時この建物は海水浴客で賑わう大きな海の家だった。ある日、小学生の団体が訪れ、その中の一人の少年が沖に流され、溺死したという。


「奇妙なことに、その子が溺れた時、多くの人が助けを求める声を聞いていたのに、誰も海に入る子供の姿を見ていなかったんだ」


老人はため息をついた。


「それからこの海は徐々に客足が遠のいた。でもあの子は今でも、新しく来た人に声をかけるんだ。特に若い女性がお気に入りらしい」


身震いする私に、老人は続けた。


「でも心配しないでおくれ。あの子は寂しいだけなんだ。誰かに気づいてほしいだけさ」


その夜、宿に戻ってからも私は少年のことが頭から離れなかった。窓の外を見ると、遠くの海岸線が月明かりに照らされていた。


ふと、波打ち際に人影が見えた気がした。小さな背中が海に向かって歩いていく。


翌朝、同僚たちと再び浜辺に行くと、浜辺荘の前に花が供えられていた。そして小さな看板には「海水浴の際は必ず監視員の指示に従ってください」と書かれていた。


その日の夕方、私たちが東京に戻る前、老人が私に古い新聞の切り抜きを渡してくれた。そこには「少年水死、幽霊を見て海に入った可能性」という見出しがあった。記事によれば、溺死した少年は「水着を着た男の子に誘われた」と友達に話していたという。


「あの子は、自分と同じ思いをする人が出ないよう、警告しているのかもしれないね」


老人の言葉が、夏の潮風に消えていった。


---


1965年(昭和40年)7月に神奈川県の小さな海水浴場で実際に起きた「連鎖溺死事件」です。地元紙の報道によれば、一週間のうちに同じ場所で3人の小学生が溺死するという異例の事態が発生しました。


最初の犠牲者となった10歳の少年は、友人たちに「青白い顔の男の子に誘われた」と話した後、監視の目を逃れて沖に泳ぎ出し、溺れたとされています。その後も2人の子供が同様の状況で命を落としました。


地元の警察は当初、集団ヒステリーや模倣行動の可能性を調査しましたが、事件の詳細は謎のままでした。この事件以降、海水浴場の客足は急激に減少し、かつては20軒以上あった海の家も数軒にまで減ったといいます。


現在でも、この海水浴場では毎年7月末になると、波打ち際で遊ぶ水着姿の少年の姿が目撃されるという報告が絶えません。地元の古老たちは「海の子」と呼び、海水浴客に対して「あの子に話しかけられても、決して返事をしてはいけない」と忠告しています。


2005年、あるテレビ番組の取材クルーが海岸で撮影していた際、映像に写り込んだ謎の子供の姿が話題になりました。画像解析の結果、その姿は実際にそこにいた人物とは考えられない透明度を持っていたとされています。今でも海の家「浜辺荘」では、毎年7月28日に供養の花が供えられ、地域の人々によって慰霊祭が行われています。

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