永遠の盆踊り
八月十四日、私は仕事の取材で秋田県の山奥にある小さな集落を訪れていた。東京の民俗学雑誌の編集者として、伝統的な盆踊りを記事にするためだ。この村の「鎮魂踊り」は三百年以上の歴史を持ち、今ではほとんど継承者がいないという。
集落に着いたのは夕方近く。山に囲まれた小さな広場に、既に櫓が組まれていた。高齢の村人たちが準備を進める中、私は案内役の村長・佐藤さん(七十八歳)に挨拶をした。
「よく来てくれました。うちの踊りも、もう記録しておかないと消えてしまいますからね」
佐藤さんの案内で、私は村唯一の民宿に荷物を置いた。部屋に入ると、壁に掛けられた古い写真が目に入る。昭和初期と思われる盆踊りの様子だ。
「これは昭和八年の写真です。わしの父親の時代ですな」
写真には大勢の村人が輪になって踊る姿が写っていた。よく見ると、踊り手の中に一人だけ、他の人より白く写っている女性がいる。
「この人は?」と尋ねると、佐藤さんは少し表情を曇らせた。
「ああ、遠縁の春子さんです。その年の春に亡くなったのですが...写真には写っているんですよ」
佐藤さんは時計を見て言った。「もうすぐ始まります。準備してきてください」
夕暮れが深まり、集落に太鼓の音が響き始めた。広場には村人が集まり、中央の櫓の周りに輪ができる。私はカメラを構えながら、その様子を記録していった。
踊りが始まると、老若男女が「エーヤラサ、エーヤラサ」という掛け声と共に、ゆっくりとした動きで輪になって踊る。シンプルな動きだが、どこか厳粛な雰囲気がある。
途中、雨が降り始めたが、誰も踊りを止めない。むしろ雨脚が強まるにつれ、踊りの輪は大きくなり、調子も高まっていく。
「この踊りは雨が降ると盛り上がるんです」と近くにいた老女が教えてくれた。「雨は先祖の涙と言われてますから」
夜が更けるにつれ、不思議なことに気づいた。輪の中に、見覚えのない踊り手が混じっている。白い浴衣姿の若い女性たち。しかし村人は誰も不審に思った様子もなく、むしろ親しげに語りかけている。
「あの人たちは村の人ですか?」と老女に尋ねると、彼女は不思議そうな顔をした。
「どの人のこと?」
私が指さした方向を見ても、老女には見えていないようだった。
雨の中、踊りは深夜まで続いた。宿に戻ろうとした時、一人の白い浴衣の女性が私に近づいてきた。
「一緒に踊りませんか?」
彼女の声は遠くから聞こえるようで、雨の音に溶け込んでいる。近くで見ると、彼女の顔は青白く、浴衣からは水が滴り落ちていた。
「私は...」
言葉に詰まる私の腕を、彼女は冷たい手で掴んだ。
「一度踊ると、永遠に踊れますよ」
その時、佐藤さんが駆け寄ってきた。
「そこにいたのか!宿に戻るぞ」
彼は私の腕を引き、女性の手から引き離した。女性は悲しそうな表情で、踊りの輪の中に消えていった。
宿に戻る道すがら、佐藤さんは真剣な表情で言った。
「踊りの輪に入ってはいけません。特に招かれたらね」
「あの女性は...?」
「見えたのか」佐藤さんは驚いた様子だった。「あれは『客人』だ。この村には、盆の間だけ戻ってくる人たちがいる」
部屋に戻った私は、壁の写真をもう一度見た。白く写っている女性の顔は、さっき私を誘った女性にそっくりだった。
「この写真の春子さんというのは...」
佐藤さんは重い口調で話し始めた。
「春子さんは、昭和八年の洪水で亡くなりました。ちょうど盆踊りの前日にね。でも不思議なことに、翌日の盆踊りに現れたんです。村人たちは彼女の魂が戻ってきたと信じて、一緒に踊りました」
そして、恐ろしい事実を知らされた。
「しかし、春子さんと踊った五人の若者が、その後、原因不明の高熱で次々と亡くなったんです。それ以来、この村では『客人と踊らない』という掟ができた」
その夜、激しい雨の音で何度も目が覚めた。窓の外からは太鼓の音と「エーヤラサ」という掛け声が聞こえてくる。誰も踊っているはずがない真夜中だというのに。
カーテンを開けると、広場では白い浴衣姿の人々が輪になって踊っていた。その中心に、昨日の女性がいる。彼女は私の方を見て、手招きをした。
窓を閉め、布団に潜り込んだ私の耳に、廊下を歩く濡れた足音が聞こえた。そして障子の向こうに人影が映る。
「一緒に...踊りましょう...」
朝になると、雨は上がり、広場には誰もいなかった。ただ地面には無数の足跡が残され、まるで大勢の人が踊っていたかのようだった。
帰京の日、佐藤さんは私に小さなお守りを渡した。
「これは『戻らずの守り』です。あなたは『客人』に見初められた。来年の盆には、必ず誰かと一緒にいなさい。絶対に一人にならないように」
東京に戻った私だが、以来、雨の夜になると窓の外から太鼓の音と「エーヤラサ」という掛け声が聞こえてくる。そして時々、白い浴衣姿の女性が窓の外から私を見つめているのを感じる。
来年の盆が、私は恐ろしくてならない。
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この物語のモチーフとなったのは、秋田県北部の山間集落で語り継がれている「客人踊り」と呼ばれる怪異現象です。地元の郷土史家・佐々木清人氏の記録によれば、1933年(昭和8年)8月13日、この地域を襲った豪雨により村の若い女性が濁流に飲まれ命を落としました。しかし翌日の盆踊りの際、参加者の何人かが「彼女が踊りの輪の中にいる」と証言したといいます。
不可解なことに、その年の盆踊りを記録した写真には、確かに亡くなったはずの女性と思われる姿が写っており、他の人物より白く霞んで写っています。この写真は現在、秋田県立博物館に「盆の帰り人」として保管されています。
さらに奇妙なのは、彼女と親しく話していた村の若者5人が、盆踊りの後、二週間以内に原因不明の高熱で相次いで亡くなったことです。この出来事以降、村では「見知らぬ踊り手と一緒に踊らない」「盆の間に来訪者を迎えない」などの暗黙のルールが生まれました。
2007年には民俗学者チームがこの村の盆踊りを調査しましたが、その際撮影された映像に、現場には存在しなかった白い人影が複数写り込んでいたことが報告されています。映像分析の専門家も「合成や機材の不具合では説明できない現象」と結論づけています。
現在も村では毎年8月14日に「鎮魂踊り」が行われていますが、村外の人間は基本的に参加できず、見学も限られています。地元の古老は「盆の間は、生きている者と死者の境界が薄くなる。踊りの輪に入れば、どちらの世界に行くかわからない」と語り継いでいるそうです。