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怖い話  作者: 健二
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真夏の夜の当直医


梅雨明けの猛暑が続く七月末、私は地方都市の総合病院で初めての当直勤務に就いていた。医師になって二年目の夏、指導医不在の夜間当直は緊張の連続だった。


午後十時を過ぎ、外来患者も途絶え、病院は静寂に包まれていた。夜勤の看護師長・佐藤さんが声をかけてきた。


「先生、お疲れ様です。今夜は患者さん少なそうですね」


「ええ、このまま平穏な夜になるといいんですが」


佐藤さん(五十代)は微笑んだ後、少し表情を曇らせた。


「そういえば、今日は七月二十七日ですね」


「何か特別な日なんですか?」


「いえ...」彼女は言葉を濁した。「ちょっと古い話です。気にしないでください」


午前零時を回り、私は仮眠室で休んでいた。すると、廊下から小さな足音が聞こえてきた。子供のような軽い足取りだ。


「夜間に小児科の患者でも来たのかな」


ドアを開けると、廊下には誰もいなかった。代わりに、床に水の跡が続いていた。まるで濡れた足で歩いたかのように。


「変だな...」


足跡を追って歩いていくと、使われていないはずの旧棟への通路に続いていた。この病院は五年前に新棟が建てられ、旧棟は倉庫として使われているだけだという。


通路の扉は開いており、向こう側の廊下には明かりがついていた。誰かが入ったのだろうか。


「どなたかいますか?」


返事はない。しかし、水の滴る音と、かすかに子供の笑い声が聞こえた。


不安を感じながらも、医師としての責任感から先に進んだ私は、旧棟の小児科病棟に足を踏み入れた。そこは時が止まったかのように、古いナースステーションや病室がそのまま残されていた。


ふと、一つの病室から光が漏れているのに気づいた。ドアには「609号室」と書かれている。


恐る恐るドアを開けると、そこには青白い病衣を着た少年が窓際に立っていた。十歳くらいだろうか。背中を向けていて顔は見えない。


「あの、どうしたの?ここにいちゃダメだよ」


少年はゆっくりと振り返った。月明かりに照らされた顔は青白く、目の下には大きな隈がある。


「先生ですか?」少年の声は不思議なほど澄んでいた。「ぼく、熱があるんです」


近づこうとした私の足元で、水たまりが広がっていることに気づいた。少年の体からは水が滴り落ち、床を濡らしている。


「あなた、どこから来たの?保護者は?」


「お母さんはもう帰りました。でも大丈夫、ぼくはずっとここにいるから」


少年の言葉に違和感を覚えた瞬間、廊下から声が聞こえた。


「先生!そこにいたんですか!」


振り返ると、佐藤さんが懐中電灯を持って立っていた。彼女の顔は恐怖で引きつっている。


「何やってるんですか!早く戻りましょう!」


佐藤さんは私の腕を強く引っ張った。振り返ると、病室には誰もいなかった。ただ窓が開いており、カーテンが夜風に揺れていた。


ナースステーションに戻ると、佐藤さんは震える手でお茶を入れた。


「見たんですね。あの子を」


「あの子って...」


「七年前の七月二十七日、この病院の旧棟で起きた水難事故の犠牲者です」


佐藤さんの話によれば、当時小児科に入院していた少年が、病室の冷房が故障した真夏の夜に、病院の屋上プールに忍び込んだという。翌朝、プールで溺死体で発見された。


「不思議なことに、彼は609号室の患者でしたが、全身ずぶ濡れのまま病室のベッドで発見されたんです。どうやってプールから病室まで戻ったのか...」


それ以来、七月二十七日の夜になると、旧棟の廊下に濡れた足跡が現れ、609号室から子供の声が聞こえるという噂が広まった。病院側は事故を揉み消そうとし、結局新棟建設を機に旧棟の使用を中止したのだという。


「実は先生が最初ではないんです。過去にも何人かの当直医が彼を見ています。でも、みんな『熱がある』と訴える少年を診察しようとして...」


佐藤さんの言葉が途切れた時、ナースステーションの電話が鳴った。


「はい、当直ナースステーションです...え?609号室から?そんな...」


佐藤さんの顔色が変わった。「患者からの呼び出しです。609号室から内線がかかってきたと...」


その瞬間、私の携帯電話が鳴った。見知らぬ番号からだ。恐る恐る出ると、子供の声が聞こえた。


「先生、まだ熱があるんです。診察してくれませんか?」


翌朝、私は高熱で目覚めた。診察した医師は原因不明の感染症の疑いがあると言う。そして退院の際、古参の医師が私にこう言った。


「七月二十七日の当直は、なるべく新人に任せるんだ。彼は新しい医師を好むからね」


それ以来、私は毎年七月下旬になると必ず体調を崩す。そして夢の中で、609号室の窓際に立つ少年が私を待っている。


「先生、約束したでしょう?ぼくを診察してくれるって」


---


この物語のモチーフとなったのは、2002年に関東地方の県立病院で実際に起きた「病室609事件」と呼ばれる不可解な出来事です。地元紙の報道によれば、1995年7月27日、この病院の小児科病棟に入院していた10歳の男児が、真夏の夜に無断で病室を抜け出し、病院の屋上プール(当時はリハビリ用として使用)で溺死する事故が発生しました。


奇妙なことに、遺体は翌朝、病室のベッドで発見されたとされています。全身が濡れており、床には水たまりができていましたが、プールから病室までの廊下には水の跡がなかったという不可解な点がありました。病院側は事故の詳細を公表せず、内部調査で「睡眠中の移動(夢遊病)による事故」と結論づけましたが、遺族は納得せず、訴訟に発展したといいます。


この事件以降、毎年7月27日の夜になると、病院の廊下に濡れた足跡が現れ、609号室から子供の泣き声が聞こえるという噂が医療スタッフの間で広まりました。2007年に病院が改築され新棟に移転した後も、元小児科病棟があった場所からは奇妙な現象の報告が続いているそうです。


元看護師の証言によれば、事件後に609号室で当直していた研修医が「熱がある」と訴える少年を診察しようとしたところ、翌日から原因不明の高熱に見舞われ、一週間入院したというケースもあったといいます。病院では現在も7月27日は新人医師や研修医に当直を任せない暗黙のルールがあるそうです。


2015年には地元のテレビ局が特集番組で取り上げ、旧病棟を訪れた際に録音された音声には、確かに「先生、熱があるんです」という子供の声が記録されていました。音声分析の専門家も「合成や編集の痕跡はない」と証言しています。

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