八月三十日の華厳滝は落ちてから呼ぶ
1
八月二十九日、日光は猛暑日だった。
私(大学映像研究会・神谷遼)は、同期の高瀬悠人と後輩の岩井花音を連れ、華厳滝の夜間撮影に向かった。目的は〈真夏の日本を撮る〉特集のラストカット、“落差九七メートルを逆光で捉えた滝の白”だ。
いろは坂を登りきると午後十一時半。観光駐車場は無人で、売店のシャッターが軋んだまま止まっている。虫も鳴かず、湯気のような湿気が路面から立った。
展望台の金網を越え、三脚を河原へ下ろす。頭上には半月だけ。滝壺は黒い穴で、落水は視界よりも耳朶を震わせた。
2
「録るぞ」
高瀬が ISO を上げ、私はドローンを起動。花音はハイレゾ録音機を手に、滝壺近くの岩場へ降りた。
その時だ。空気の重さが急に失せ、耳の奥で「コツン」と石を落とす音がした。
花音が振り向き、手にした録音機を覗き込む。
「低い女声が混ざってる。“まだ 落ちてる”って…」
私たちは顔を見合わせた。風も水音も違う、刺さるような母音だった。
3
午前零時。高瀬が滝壺をスローシャッターで撮影中、ファインダーの奥に白い線が走った。まるで人影が滝を駆け下りたように見えたという。
直後、岩場の闇でスマホのライトが点いた。誰かがそこにいる。
「観光客?」
私は声をかけたが、返事はなく、ライトはふっと消えた。
花音が震える声で叫ぶ。
「今、私の前を誰かが落ちた!」
私と高瀬が駆け寄ると、足元に転がっていたのは濡れた学生証。
氏名欄には「藤村操」とあった。硯で書いたような字。写真は色褪せ、裏面の日付は明治三十六年と読めた。
4
「戻ろう」
私は言ったが、高瀬は珍しい宝物でも拾った顔をしている。
「これ、例の…?」
華厳滝で身を投げた青年詩人――藤村操。今からちょうど一二〇年前、五月に自殺した実在の学生だ。
水音が一瞬掻き消え、夜空から「ツーッ」と垂直に落ちる何かが見えた。
それは人の形を保ったまま、滝壺へ吸い込まれた。水柱が上がらない。
次の瞬間、私たちの背後で草を踏む足音。振り向くと、高瀬がいない。
ドローンのライブ映像には、滝壺を見下ろす高瀬の背中が映ったまま静止している。頭上で月が揺れ、高瀬の影が垂直に伸びた。
5
「高瀬!」
花音と二人で岩場を駆ける。だが滝へ向かう木段は、何度登っても同じ踊り場に戻った。汗が粘り、口の中が金属味で満たされる。
録音機が再生モードに切り替わり、イヤフォンから轟音とは別の複数の声――
“落ちたのか”“まだ途中”“千回目だ”
そして高瀬の声が割り込んだ。
“撮れてる……もう一歩で”
6
気がつくと、私は駐車場に立っていた。花音が地面に座り込み、泣きながらドローンのコントローラを抱きしめている。空は群青に変わり、蝉の前奏が始まる寸前の静けさ。
高瀬はいない。三脚とカメラは滝側の手すりに揃えて立てかけられ、カメラの液晶には自動再生の動画があった。
映像は滝壺を見つめる高瀬の背中。背後から白い影が近づき、左肩にそっと手を置く。高瀬が振り返る前に画面が180度反転し、カメラごと宙を落ちていく。最後の1フレーム、滝壺の底が鏡のように反射し、そこに私と花音が見下ろしている姿が写った――はずなのに、私たちは映像を撮っていない。
ファイル名は「OSHI-8-12-00h56m」。日付は八月三十日、時刻は午前零時五十六分。
7
警察・消防の捜索が三日続いた。高瀬は発見されず。華厳滝は渇水で落水量が半減していたのに、潜水隊は滝壺の底に到達できなかったという。
花音の録音データはすべて再生不能になり、代わりに0.123秒の無音ファイルが残った。スペクトラム表示には、うっすらと縦の線が並ぶだけ。それは「滝の落差」と同じ97本だった。
夜になると、私のスマホに無言のLIVE招待が届く。
送り主は「Kei*tA」。アイコンは高瀬が最後に着ていた冷感Tシャツ。
リンクを開くと、真っ暗な画面で滝の落水だけが音を立てる。再生時間は毎晩0:56で止まり、そこから先は“バッファ中”のまま赤いバーが延びない。
たぶん、誰かが今も途方もない高さから降りつづけている。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【実際にあったできごと】
・1903年(明治36年)5月22日、東京の一高生・藤村操(当時17歳)が華厳滝に投身自殺。「巖頭之感」と記した遺書が大きな社会問題となり、以後“後追い”が増加。
・栃木県警の統計では、1950年代以降だけでも華厳滝で確認された投身自殺は170件超。特に夏休み期間(7〜9月)の発生率が高く、監視員の巡回が続けられている。
・2009年8月30日未明、東京都の大学生が滝壺撮影中に行方不明となり、機材のみ残された(下野新聞 2009年9月1日朝刊)。潜水捜索は水量の変動で難航し未解決。
・落下途中で姿を消す、また滝壺で「白い人影が浮上・旋回する」といった通報が地元消防に十数件記録され、いずれも暑い盛りの深夜帯であった。
これらの背景から、華厳滝周辺では現在も日没後の立入が原則禁止とされている。