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怖い話  作者: 健二
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火傷の浴衣――由良川の亡霊市


 八月十五日の午後六時、私は取材カメラを抱えて京都府福知山市に着いた。十年前の同じ日、ここで屋台のガソリンタンクが爆発し、花火大会は地獄図と化した。事故後に途絶えていた催しが、今年ついに再開されるという。

 主催者は「慰霊と復興の花火」と銘打ったが、地元ではあの日の怪異が噂になっている。――河川敷に立つと、焦げたとうもろこしの甘い匂いが一瞬だけ漂い、誰もいないのに浴衣の袖が触れる、という。


 私は人波を抜け、由良川に架かる音無おとな橋の袂へ三脚を据えた。蒸し返すような真夏の夕風。川面には屋形船の提灯が揺れ、少し離れた土手に露店が連なる。

 午後七時、MCのカウントダウンが始まった。だがその声を遮るように、突風が川上から吹き抜け、屋台の紙提灯が同時に消えた。会場のざわめきの中、私はヘッドフォン越しに“別の音”を聞いた。

 シュウゥ……ボッ。

 小さな燃焼音のあと、かすれた悲鳴が重なる。耳鳴りかと思ったが、録音レベルだけが赤く跳ねている。


 川土手へカメラを向けると、人混みの切れ目に女の子の後ろ姿が見えた。亀甲柄の浴衣――事故当夜、ニュースの写真に映っていた焼け跡だらけの布と同じ柄。

 「危ない、戻りなさい」

 警備員の声が上がる前に、彼女はふらりと屋台の列へ歩き出した。私は無意識にシャッターを押し、追いかけた。


 屋台の奥は立入禁止区域で、黄色いバリケードロープが張られている。照明の届かない闇に足を踏み入れると、ぬるい川霧が膝下を撫でた。

 ――ボンッ!

 乾いた破裂音。視界が朱に染まり、熱風が頬を叩いた。思わず伏せると、足元に灯油のような液体が流れ、点々と火が走る。“十年前”と同じ光景だ。だが群衆の悲鳴は遠く、空間は真空のように静まり返っている。


 立ち上がると、燃え残ったテント布の下に、さっきの浴衣の少女が座っている。右手には綿菓子の棒だけが黒く焦げ、顔はすすで判別できない。

「おばちゃんは? 屋台のおばちゃんはどこ?」

 少女の口が動いた。声は、空気を震わせず頭の中に直接入り込む。私は喉が張り付いて声が出ない。

 彼女は立ち上がり、私のカメラへ近づいた。焦げ跡から芳香剤のような甘い匂いが漂う。

「撮って。ちゃんと残して」

 レンズ越しに瞳を合わせた瞬間、浴衣の柄がみるみる溶解し、炭化した布地へ変わった。

 私はシャッターを切った。フラッシュが閃くと同時に、燃え広がっていた火がパッと消え、暗闇が押し寄せた。ヘッドフォンの中で、川のせせらぎ以外のすべての音が途絶えた。


 気づけば私は、土手の救護テントに座り込んでいた。スタッフが「熱中症ですね」とペットボトルを差し出す。広場では花火が始まり、群衆が歓声を上げている。

 胸ポケットのレコーダーを確認すると、無音ファイルが一つ。波形はほぼ水平だが、終端で針が不規則に跳ねていた。イヤフォンを差し、ボリュームを上げる。


 ――カラ……カラ……。

 石ころを転がすような微かな音。そして少女の囁き。

「花火、まだ見えるかな」


 私は鳥肌を押さえて再生を止めた。カメラのSDカードを確認すると、一枚だけ写真があった。真っ黒な背景に、炭化した綿菓子の棒が斜めに写り、その先端が赤く光っている。まるで導火線の火の粉のように。


 以来、私は花火大会を撮る仕事を避けている。それでも夏の夜、遠くで爆ぜる花火の音が「ボンッ」と耳に届くたび、鼻腔にあの甘い焦げ臭がよみがえる。そして同時に、ポケットのレコーダーが勝手に再生を始めるのだ。

「おばちゃんは? 屋台のおばちゃんは……」

 少女の声は、年々ほつれた浴衣みたいに掠れていく。だが十年前に凍りついたその問いは、まだ答えを待っている――由良川の、闇と火の狭間で。


――実際にあったできごと――

2013年8月15日午後7時30分ごろ、京都府福知山市の由良川河川敷で開かれていた「福知山ドッコイセまつり花火大会」において、移動販売車のガソリン携行缶から燃料が漏れ、発電機の熱で引火。爆発的に燃え広がり、見物客ら59人が重軽傷、うち3人が死亡した。事故を受け大会は中止されていたが、数年の安全対策を経て再開されている。

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