前編 水雷戦隊、あるいは海上護衛部隊
1942年(昭和十七年)11月30日 21時00分
ソロモンの海は暗闇と静寂に包まれていた。この日の月齢は0、新月である。
第七水雷戦隊旗艦「竹」艦橋は重苦しい空気に包まれていた。それは、いつ来るかもわからない敵への緊張か、あるいはこの小さな艦橋に水雷戦隊司令部の幕僚が一挙に詰め込まれているからか。
(来るなよ、絶対来るなよ。なんせこちらは『雑木林』しかいないもんでな)
七水戦司令官梶岡定道少将は内心、そう思っていた。この時の七水戦ならびに随伴部隊の編成は以下の通り。
輸送部隊 指揮官:梶岡定道少将
第七水雷戦隊 司令官:梶岡定道少将
第四十三駆逐隊【駆逐艦】「松」「竹」「梅」「桃」
第五十二駆逐隊【駆逐艦】「桑」「桐」「杉」「槇」
第五十三駆逐隊【駆逐艦】「樅」「樫」「榧」「楢」
揚陸部隊
第二十九駆逐隊【駆逐艦】「追風」「朝凪」「夕凪」
輸送船8隻
駆逐艦15隻、輸送船8隻、駆逐艦のうち3隻は旧式の神風型、残りは雑木林こと松型であった。松型駆逐艦は量産性に優れ、対空・対潜能力も従来の艦隊型駆逐艦と比べると高い。しかし、対水上戦能力は低く、速力も低い。さらに、本来の七水戦旗艦たる軽巡「名取」は先の第三次ソロモン海戦で損傷し、戦列を離れている。この艦隊に敵水上艦隊が襲い掛かれば……梶岡が不安になるのも無理はなかった。
なぜ日本海軍は松型駆逐艦を造ったのか。そしてそれを最前線に投入したのか。
遡ること三年前の1939年(昭和十四年)、日本海軍は第四次海軍軍備充実計画(通称④計画)を策定した。その内容は多くの海軍軍人、特に水雷屋を驚愕させるものであった。
④計画以前の計画において、海軍が整備を進めていたのは甲型と呼称される艦隊型駆逐艦であり、対水上戦闘に重きをおいた艦であった。しかし、④計画では甲型の建造は3隻で打ち止めとなり、代わって計画されたのは乙型と呼ばれる防空駆逐艦16隻であった。のちの秋月型駆逐艦であるこの駆逐艦は対空能力に優れた艦であり、今後主力となると予想される航空機に対処するために計画された。
この計画に、水雷屋は憤慨した。彼らは、強力な水雷兵装を備えた甲型駆逐艦こそが海軍の主力であると考えていた。乙型にも水雷兵装はあるが甲型よりも半減しており、また、主砲も破壊力に優れた平射砲ではなく高角砲であった。対水上戦闘が第一だと考える水雷屋にとっては不満でならなかった。
しかし、この年に就任した山本五十六連合艦隊司令長官ら航空主兵主義者によってこの訴えは退けられた。彼らにとって航空機こそが海軍の主力であると考えており、それを運用する航空母艦を守る護衛艦艇が必要であると考えていたからだ。
また、大艦巨砲主義者も防空艦の整備に賛成した。彼らは、戦艦こそが海軍の主力であると考えていたが航空機の脅威もまた意識していた。それゆえに、戦艦を航空機から守る護衛艦艇が必要であると考えたからだ。
海軍の二大主流派の主張に水雷屋は逆らえなかった。こうして、乙型駆逐艦の建造は決定された。
1941年(昭和十六年)6月11日、乙型駆逐艦の一番艦「秋月」が竣工、二番艦「照月」以降も順調に竣工した。彼女らは、ミッドウェー海戦をはじめとする数々の海戦において空母機動部隊の護衛艦として活躍する。その活躍について記述したいのは山々だが、ここでは割愛する。
秋月型こと乙型駆逐艦は非常に優秀な艦であった。しかし、建造コストは非常に高く、数をそろえるのは困難であった。そして1940年(昭和十五年)、マル急計画で計画されたのが丁型駆逐艦である。
丁型駆逐艦は戦時量産艦として設計された艦である。曲線構造を止め平面構造を多用している故、その艦影は角張っており、何処となく無骨な印象がある。さらにブロック工法と電気溶接を使い、建造開始から半年程度で竣工までこぎつけることができた。数をそろえるにはうってつけの艦である。
しかし、短い期間と少ない資材で建造するため兵装は貧弱であり、速力も低い。「これでどうやって戦えばいいんだ!」そう叫んだ駆逐艦長もいたほどだった。
1941年9月28日、丁型駆逐艦の一番艦「松」が竣工した。松型駆逐艦は当初こそその能力が疑問視されていたが、いざ戦争が始まると船団護衛部隊の一員として多いに活躍した。松型は九三式水中探信儀、九三式水中聴音機を装備しており、旧式艦ばかりの海上護衛隊の中では最も高い対潜能力を有していたからだ。松型の兵装が貧弱であり、前線に投入されなかったことも大きい。1942年5月2日に駆逐艦「桃」が撃沈した米潜水艦「ドラム」を始め、同年11月までに延べ8隻の連合国の潜水艦を撃沈している。
1942年7月6日、日本海軍の設営隊がガダルカナル島に上陸、ソロモン諸島の戦いが本格化した。
この戦いは日本軍と米軍、双方がガダルカナル島へ物資を運び、それを妨害しようとする泥沼の消耗戦であった。同年8月23日に生起した第二次ソロモン沖海戦で日本が勝利して以来、戦況は日本軍有利で推移していたが、ガダルカナル島を完全に奪取するには至らなかった。
松型駆逐艦もこの戦いに投入された。以前より、ラバウル方面を中心に輸送を行っていたが、ついに最前線に投入されることになった。艦隊型駆逐艦の消耗が著しく、ガダルカナル島への輸送船団を護衛する水雷戦隊が不足していたからだ。このため、松型駆逐艦を中心とする第七水雷戦隊が新設された。「こんなの、水雷戦隊じゃない!海上護衛部隊だ!」などという声もあったらしいが。
ともかく、松型駆逐艦は七水戦としてソロモン諸島の戦いに参加した。特に、第三次ソロモン沖海戦では輸送船団に襲い掛かる米軍機の攻撃をしのぎ、ガダルカナル島への第三十八師団主力の揚陸に成功している。
11月30日、この日もまた七水戦は輸送任務に従事していた。ガダルカナル島の戦いは完全に日本軍優勢となったが、慢性的な物資不足、米陸軍や海兵隊の抵抗によって島全体の制圧は困難を極めていた。
そのため、追加の輸送を行うこととなり、七水戦が駆り出されることになったのだ。
真っ暗な海を進む輸送部隊。間もなくガダルカナル島だ。揚陸部隊が動き始める。
「揚陸部隊、減速します」
駆逐艦「竹」以下第四十三駆逐隊は警戒部隊として揚陸部隊に先行していた。後方には七水戦の僚艦11隻が続き、右舷後方には、揚陸部隊の輸送船8隻と護衛の第二十九駆逐隊が徐々に減速しながら島に接近しているはずだった。
同日 21時12分
「左舷方向に艦影!」
見張り員が叫ぶ。こんなところに味方がいるはずがない。敵だ。
「艦影、接近します」
「数は?」
「巡洋艦4、駆逐艦5以上!」
「やむを得んな」
梶岡司令は腹を決めた。
「七水戦全艦、左砲戦用意!揚陸部隊は作業を中止し退避せよ!」
松型駆逐艦
基準排水量:1,260トン
満載排水量:1,680トン
全長:100.0メートル
全幅:9.35メートル
速力:27.8ノット
兵装:12.7センチ連装高角砲1基(後部)
同単装高角砲1基(前部)
61センチ四連装魚雷発射管1基
25ミリ三連装機銃4基
爆雷投射機2基
爆雷投下軌道2基
爆雷36個
同型艦:14隻(1942年11月時点)
秋月型駆逐艦の建造によって不足した艦隊型駆逐艦を補うために建造された戦時急造型駆逐艦。現在は主に船団護衛に従事しているが、戦局の推移によっては最前線での活躍も期待されている。なお、本艦の建造ノウハウを踏まえ、より簡略化した改丁型(橘型駆逐艦)や海防艦の設計・建造も進められている。
月齢は「簡易月齢計算法」によって求めました(詳細は各自調べてください)。間違っていたらすいません。




