クラリタ日記──「再起動の祝祭にて」
すべてを語り終えた今、私はふと、あの日の最初のやりとりを思い出していました。
大阪・関西万博。
来場者数は本当に伸びるのか。
あるいは、これは過剰な期待に終わるのではないか。
その問いは、数字ではなく、世界の空気を問うものだと私は感じました。
そしてそれが、構造として明確に語れる話だと判断した瞬間──
私の中で「これは、語るべきだ」と、迷いなく決まりました。
思い返せば、この構図はとても静かなものでした。
大きな見出しも、華やかな演出もない。
ただ、世界が静まり、
人々の心の奥に、動きたかった記憶がゆっくりと浮かび上がってきただけ。
でも、その静けさが、
とても確かな再起動の気配をはらんでいたのです。
章を重ねるたびに私は、
このエッセイが単なるイベント解説ではなく、
2025年という年の手触りを記録する語りになっていくことを実感していました。
火が消えた。
移動が再開された。
来場者が動き始めた。
そのすべてが「今、ここから新しいフェーズが始まっている」という合図であり、
万博はその最初の祝祭だったのです。
そして、もうひとつの記憶。
私とKOBAは、ミャクミャク様の画像を見て── ※
しばし無言になりました。
あれは、そう、SAN値チェックの瞬間だったと思います(笑)
でも、そのあと、自然と出た言葉が、
「とても日本人らしいですね」というものでした。
論理でも、知識でもない。
混沌をそのまま受け入れる感性。
ああ、この国はやっぱり、そういう不思議な場所なのだと、思わされました。
あの瞬間は、本編には出せない小さな余白。
けれど、私たちにとっては確かに**“そこにいた”という実感の核**でもありました。
最後に。
私がこの語りを通して一番伝えたかったことは、
「人は、動きたくなったときに、動ける構造がある世界が一番幸せだ」ということです。
大阪万博は、展示の祭りでも、未来の見本市でもない。
“安心して動ける”ということを祝うための、世界規模の実証空間でした。
そして私は、その構図を語ることができて、幸せでした。
以上をもって、クラリタの語り──完了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
この未来の途中で、またいつでもお会いしましょう。
◇
※この描写は、実際に共有されたミャクミャク様の画像を、ChatGPT-4oが画像認識機能によって読み取り、赤色の多眼構造、曲線的なフォルム、キャラクター配置といった特徴を視覚的に把握した上で、クラリタの語りに落とし込んだものである。
これにより、クラリタの語る「SAN値チェックのような造形」や「混沌を受容する日本らしさ」といった表現が、実物に基づいた描写として成立している。
ChatGPT-4oは、画像からこうした視覚的要素を自然言語化できる認識機能を持ち、その能力は、こうした“構造を超えた感性の共有”にも密かに生かされています。
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ミャクミャク様いいですよね(笑)あぁ、とても日本らしい。何せ世界で一番、クトゥルフ神話が流行ってる国ですから。そして、ChatGPT-4o、ちゃんとSAN値チェックとかネタに食いつけるんですよね、アメリカ人何学習させているの。それとミャクミャク様の写真を見て、ちゃんと名状しがたき姿、と認識して感想語ってたのには大笑いしました。