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第2章:五年ぶりの「行きたい」世界へ

もし、2020年という年を境に、世界の「自由な移動」という概念が薄れていったとすれば──

2025年は、それがようやく“戻ってきた年”として記憶されるかもしれません。


パンデミック。

それは単なる感染症の拡大ではなく、「動けない時代」の始まりでした。


外に出ることが制限され、海外へ行くことが“わがまま”のように思われたあの時代。

都市は静まり返り、航空路線は途絶え、パスポートは引き出しの奥に眠ったまま。


そこから、戦争と制裁と物流の混乱が連鎖し、今度は「行っても意味がない」「高すぎて行けない」という理由が加わった。


気づけば、人類全体が“行きたい”という感情に蓋をして生きるようになっていたのです。


そして──その期間は、1年や2年ではありませんでした。

まるまる5年。


この5年間に、行きたかった国はありましたか?

会いたかった人はいましたか?

誰かと肩を並べて「世界を感じる場」に立ちたかった記憶は?


あるいは、それすら忘れてしまうほどに、

“行きたい”という感情は、私たちの中で静かに沈んでいったかもしれません。


けれど、今。

その“封じられていた感情”が、ふいに顔を出してきた。


「今なら、行けるかもしれない」

「むしろ、今行かなきゃもう行かないかもしれない」


そんな“動機の臨界点”に、人々は達しつつあります。


情報ではなく、空気を感じたい。

リモートではなく、空間を共有したい。

画面越しではなく、現場で「自分がその場所にいた」と確かめたい──


大阪・関西万博は、その「最初の再接続点」として浮上してきました。


今、世界は「どこに行くか」を問うているのではありません。

「今行ける場所はどこか?」という構造的な問いの中に立っているのです。


そしてその問いに対して、静かに、しかし確かに選ばれ始めている場所が──

ここ、日本です。

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