第3話 新たな日々の始まり①
朝食を済ませた後、父さんと母さんは仕事に出かけ、シロネコについては婆さんから人の暮らしについて教えてもらうことになった。妹は友達とすでに中学校へ向かった。
俺は今日も学校がある。
学校には元恋人とあのクズ野郎がいる。
少し重い足取りで玄関から出ようとした時、トタトタとシロネコが駆け寄ってきて、
「ご主人さま、いってらっしゃいませ!」
と言ってくれた。
シロネコのそんな言葉に、俺は少し胸が軽くなった。
今日は昨日より冷えない。昨日、シロネコを拾った場所を通った。狭い路地の両側の民家の屋根に、昨日のアイツらがいた。獲物を俺に奪われて不満そうに俺を睨んでいた。
その睨みを感じ取り、俺が奴等を睨み返すとカラスたちは一斉に退散した。
カンカンカンカン….
踏切に差し掛かる直前で鳴り出し、またこの踏切で足止めをくらった。
じっくりと電車が通過するのを待っていると、後ろから俺を呼ぶ声がした。
「翔ー!!」
「ん…あっ、寿一か」
後ろの路地から自転車で迫ってくる丸刈り学ラン姿のサル顔の少年。こいつは平井 寿一だ。
こいつは俺と同じく柔道部に所属している。昔からの腐れ縁だ。なぜか中学で2年間、高校で2年間も同じクラスになっている。そして寿一と一緒に行くために集まる場所を特に決めてはいないんだが、毎朝このあたりで会う。
「翔、昨日は大丈夫だったか?滅多に部活を休まないお前が来なかったなんて、”明日は雪でも降るのか”って嶋崎先生に心配されてたぞ」
「…まあ、色々あったんだ」
「ほーん、色々ね…」
銀色の電車が通過して行った。
「んじゃ翔、行こうぜ。その色々ってやら聞かせてもらおうか」
歩きながら、寿一には昨日あった最悪の出来事を話した。シロネコについては伏せた。
「えーっ!お前と香奈ちゃん、別れたのか!」
大声で寿一が驚く。
「シーッ!声がでかい!」
ここは高校に行く人たちが多いから、聞かれたらあまりよろしくない。
寿一はトーンをかなり下げて話し始める。
「おう、すまん…だが、神奈川 香奈って言ったら青髪でクラスのマドンナ的存在ではあるけど、がっしりして柔道がめっちゃ強いお前と付き合ってて、その上小さい頃からの幼馴染ってこともあって誰も奪えない存在だと思っていたぞ」
確かに香奈は可愛いが…クソッ…アイツの顔を思い出すだけであのクズも一緒に出てきてしまう。脳裏から消去消去。
「…だから翔、奪われたって話聞いて驚かないって言うのは無理があるぞ」
「まあそりゃそうか…俺はあのクズと香奈が一緒にいる状態で対面した時、驚きとか怒りを通り越して放心状態だったんだ」
トホホ、と言った具合に俺は地面を見る。
「ま、過ぎたことは仕方ないし、切り替えていこうぜ」
「ああ」
まだ切り替えできる気がしないが、シロネコといつものコイツのおかげで多少は楽になっている気がする。
そこからは学校に着くまでずっとくだらない話をした。町を抜けて高校のある方向へ田舎道を歩いて行く。田舎道になると学校が近くなるため、他の生徒も現れ始めて賑やかになる。田の稲は刈り取られて少々寂しい雰囲気ではあるが、俺と寿一のくだらない話は今日もその田を彩る声の1つになった。
寿一と教室に着くと既に別れ話が噂になっていた。別に俺が言ったわけではないが、違うクラスのあのクズが、その違うクラスのアイツの友達に自慢げに話したことから広まったらしい。チッ…面倒なことになったな。
「別れたの?」「奪われたのかー?」とか笑いながら色々なヤツが聞いてくるが、俺は「今は話したくない」と軽くあしらった。てか昨日の今日で被害者に色々聞くのデリカシー無さすぎるだろコイツら…
あのクズは既に登校しているが、香奈は今日は欠席らしい。香奈とあのクズは同じクラスで、「今日は香奈ちゃんいないなー」とかニチャッと笑ってほざいていたらしいが。
その後の授業は適当に寝たりぼーっとして過ごした。昨日のことがあって、今日はあまり勉強に集中できそうにない。いや、寝てるのはいつもか。
そしてあっという間に放課後になった。
「翔ー!部活行こーぜ!」
「おう!」
いつも通り、寿一と武道場へ柔道着を携えて向かう。
昨日は無断でサボったから、怖いぞ…
恐る恐る武道場の扉を開けて入ると…
ドタドタドタ!!
「「っ!?」」
こっちにすごい形相で道着を着た嶋崎先生が走ってきた。嶋崎先生はゴリラのような筋肉、鬼のような顔で、ほとんどヤクザのような見た目をしているが、れっきとした柔道をやれる社会担当の先生である。俺と寿一はその姿に恐れ慄く。
「おい星川!」
ドスの効いた声で俺を呼ぶ。俺はもちろん、寿一も蛇に睨まれたカエルのようになってしまった。
「は、はい!」
「とりあえずこれを飲んでくれ。話は聞く」
差し出されたのはペットボトルに入った俺の大好きなオレンジジュース。ドスの効いた声ではあるが、急に優しい声になってジュースが出てきたからびっくりした。
「あ…はい、いいんですか?」
少々困惑しながら答え、オレンジジュースをもらった。
「ああ、お前のことだ。何かあったんだろ?」
「あ、星川おひさー」
ひょこっとイタズラっぽい声と赤い髪の2つのお団子ともに嶋崎先生の影から出てきたのは赤城 蓮香。数少ない柔道部の仲間だ。
「あーっ!ずるい!私もオレンジジュース飲みたい気分なのにー」
「赤城、このオレンジジュースは渡さないぜ」
「ぐぬぬぬぬ…」
「おい赤城、今度の大会で優勝したら箱で買ってやる。だからお前は少しでも鍛えるんだ」
嶋崎先生のその一言でぱあっと赤城の顔が明るくなった。
「え!やったー!がんばりまーす!」
頑張るキッカケがチョロいなこいつは…
隣の寿一も同じことを思っていそうな顔をしている。
「平井と赤城は着替えてとりあえず準備運動して技の打ち込みをしていてくれ、俺は星川と話をする」
「「はい!」」
平井と赤城は返事をし、平井は道場へ入り、赤城は女子更衣室へ向かった。
そして俺は武道場の裏にあるベンチでことの顛末を話すのであった
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「そうか…浮気されたのか」
「そうなんです…俺はショックで仕方ないのもありますが、悔しくて仕方がないんです」
ここでも浮気されたことしか話していない。シロネコの話は伏せた。
「…」
嶋崎先生は顔を暗くして急に黙った。
「ん…?先生?」
「そうかぁぁぁぁ先生はお前らのこと応援してたのになあぁ、おうおうおう…(涙)」
鬼のような形相の嶋崎先生が泣き出した!?
「さぞ辛かったことだろ、先生も若い頃にそんな苦い経験があったから分かるんだよ。それで直接対決をしようとしたら先生を見るなり浮気したヤツら2人ともが逃げて行っちゃって、元カノとは連絡がつかなくなっちゃったんだよ」
浮気に怒るあんたの顔見たら誰でもあんたからは消息不明になりたいと思うけどな…一体どんな顔だったんだろう。
「それで昨日は傷心して部活に来れなかったわけだな。それは仕方ない話だ。全然そう言うことなら勝手に休んでもらっても構わない」
「そういえば、先生はどうして俺の話を聞こうとしたんですか」
「ああ、先生は滅多に休まないお前が無断で休むから心配になってな。お前が急に部活を辞める気になったんじゃないかと心配になったんだ」
「そうだったんですね」
「星川はこの部活に無くてはならない存在だからな。やっぱり星川がいない部活は盛り上がりに欠ける。翔だけになっ!」
ビュー…
北風の吹くタイミングが丁度良すぎる。サムいです。
「安心してください、俺はこんなヤワなことじゃ柔道は辞めませんよ!」
バタン!
と、武道場から畳を強く打ち付ける音が聞こえてきた。平井と赤城による投げ込みが始まったのだろう。
「お、そろそろだな。切り替えて練習に戻ろうか」
「はい!」
「今日は昨日できなかった分、張り切って行くぞッ!!」
嶋崎先生、気合い入ってる…
ひえー…どんなキツい練習するのだろうか。
——その後、嶋崎先生によって3人まとめて動けないくらいヘトヘトになるまでたっぷり練習を受けるのであった。