10.仲直り
長い長い坂を登り、鳥居をくぐり境内へと至る。境内は広々と見渡しがいいが人気はなく、玉津姫の影形もなかった。
誰もいないに思われたが、ぶらぶら歩いてると珍しく人影があった。巫女装束を着て、境内の落ち葉などの塵芥を丁寧に掃き清めている。どうやらこの神社の関係者のようだ。この無駄に広い神社を一人でやっているのかと感心してしまう。
他にアテもなかったので、巫女さんにダメ元で聞きに行ってみる。
「あのーすみません」
「あ、はい!なんでしょうか」
僕が近づいて来るのに気づいてなかったのか、少し驚き気味で反応された。
「ここに玉津姫はいますか?」
「あぁはい!玉津毘売命ならこの神社におられますよ、よければご参拝ください」
……極めてまともな対応をされた。というか本名はそんな難しそうな名前だったのか。
「いえ、そうではなく本物の玉津姫です」
「本物……ですか?」
巫女さんは困惑した表情を浮かべ首をかしげる。
……説明が難しい、一体どうしたものか。そもそも神社関係者だからといって実体が見えると決まったわけでもないし……。
「えぇと……、たまちゃんのことです」
「あぁ……なるほど!たまちゃんのことですね。てことは……もしやあなたは湊人さんですか」
納得したように巫女さんはポンと手を打った。まさかこれで通じるとは思わなかった。
「僕のことを知ってるんですか?」
「えぇ、お話はたまちゃんから聞いてますよ、水が滴るいい男だって」
ずいぶんな言われようだが、褒めてるのか、けなしてるのか判断に困る。
「そんな言われようなんですね、それで今どこにいるか知ってますか」
「あぁそうでした、呼んできますね」
巫女さんはとことこと歩いて神社の影へと消えた――と思ったらまた戻ってきた。
「会いたくないそうです」
「僕は会いたいです、どこに居ますか」
「……えっ!と本殿の方でくつろいでいます」
キザな台詞を吐いたせいか、巫女さんの頬が少し赤らんだ。
「わかりました、教えてもらってありがとうございます」
「いえいえ〜。いつでもお立ち寄りくださいね」
親切な巫女さんにお礼して、本殿へと向かった。
玉津姫と最初に出会った拝殿を横切り、奥へと進む。神社の回廊と境内を囲む石垣に挟まれながら拝殿の裏に回ると、突如、広い空間に出た。本殿が鎮座するその場所はやたら草木が生い茂ける陰った場所で、今日も夏の陽気なのにまるで標高の高い山にいるような涼しさがある。神さびた雰囲気に呑まれていると、本殿の縁側で、涅槃仏のように庭に背を向け寝そべっている玉津姫を見つけた。
立ち尽くしていると、背を向けながら話してきた。
「なんの用じゃ……ここは関係者以外立ち入り禁止じゃぞ」
「どうしても会いたくて」
「わしはそうでもない」
「どうしても謝りたくて来たんだ」
「……」
僕はうつむきがちにぽつりぽつりと話しはじめた。
「ずっと見守ってくれてたんだね」
「ようやく想い出したんだ――井戸に落ちた時のことを、いつも僕を包んだ水の感触は君だったことを」
「そんなに思い遣ってくれてのに、あんな非道いことを言ってホントにごめんなさい」
誠心誠意込めて頭を下げる――が反応はなかった。先程までけたたましく鳴いていた蝉の声もなく、不自然なほどの静寂が辺りに充満する。あまりの違和感に頭を上げてみると、違和感の正体が眼前を埋め尽くしていた。
巨大な牙、巨大な眼、巨大な体躯を覆う鱗。伝説や神話でしか語られることのない龍――龍神玉津姫の真の姿が顕現した。天まで轟く巨体は、神社に巻きつき、頭部は僕を捉えていた。
「ふん、貴様なぞ。戯れに生かしただけぞ」
双眸は僕を見逃しはしまいと見つめている。
「助けなどせず一思いに喰らってやるのが慈悲だったか。さすればお主もかように苦しまずに済んだものを――なれば今こそ喰らってわしの糧にしてくれようか」
顎が開く。並ぶ牙は白く鋭く、血のような赤い舌がのぞき、喉の奥底は死の深淵へと繋がっていた。
「嘘――だね」
こんな状況なのに不思議と恐怖はなく、僕は短く言い切った。
「本当はそんなこと思ってないくせに――」
「玉津姫は自分の力が弱くなっても助けてくれたんじゃないか、戯れでやれることじゃないよ」
依然として玉津姫は牙を剥き続ける。
「なのにそのことも知らず、僕は非道いことを言ってしまった。ホントにホントにごめんなさい」
再度、頭を下げる。それは自らの身を供物にして捧げてるようでもあった。ここまでして神様の怒りを鎮められなかったらもうしょうがない。覚悟は決めていた――が、結局、試されることはなかった。
「……帰るぞ」
気がつくと女の子の姿になった玉津姫が、横に立っていた。
「えっ」
「帰ると言っておるんじゃ、そう何度も言わせるでない、全く」
「はい!」
先程、通った道に向かおうとすると呼び止められた。
「そんな鬱蒼とした道通れるか、こっちへ来い」
呼ばれて近づくと、玉津姫に後ろから抱き抱えられる。そして周りに突風が吹き、雲が流れる。
「しっかりわしの腕につかまっておれよ」
「え、これはまさか」
僕を抱き抱えた玉津姫は、空に向かって急上昇する、思わず目をつぶってしまった。
「ほれ目を開けんか、今日もこの街は良い景色だぞ」
おそるおそる目を開けてみると、真下には神社があり、僕の住む街が広がっていた。
「おお、すげえ」
「では行くぞ、湊人よ」
神社上空から雲を引き、僕と玉津姫は神社を後にした。
「ふふ。ご機嫌、直ったようですね」
ほうきを持った巫女さんが雲を見上げ、微笑んだ。