三話 リーダーではない男とリーダーの男
私達の大泣きを止め、リンさんが苛立ちを露にしたその人は、私達に向けて………、ていうか、私に指さしているよね………? え? 私、なにかしましたか?
そう思ってワタワタしてお兄ちゃんとリンさんのことを交互に見ていると、リンさんが徐に立ち上がって、釘バットを肩に乗せながらその人に向けて言った。
「荒木さん………、そんな威圧的な言い方やめないか? この兄妹は傷心しているのに」
「傷心? そんなの只の甘えだ! あ! ま! えぇっ! 誰かが死んだくらいでガタガタ泣かれたら安眠妨害だっ! すぐに泣き止んで仕事しろ仕事ぉっ!」
リンさんの苛立ちが混じった言葉を聞いても聞く耳持たない感じで、逆に命令して怒鳴ってくる。
眼鏡をかけた七三分けの髪の毛に紺色のスーツと革製の靴を履いてピッシリとこなしている。他の人と違って綺麗な服装と赤いネクタイを縛っている……ザ・サラリーマンの人は私に向かってずかずか歩んできて、座って泣いていた私のことを指さしながらその人は言ってきた。
あの時バンダナの人と話していた眼鏡の人。
あの人が何で私に? そんな疑問なんて関係ないその人は私に向けて言ってきたのだ。
しゃがむなんてしない。仁王立ちで指を指しながら……。
めちゃくちゃ……、怖い顔で……。
「いいか? この世は『働かざる者食うべからず』だ! 働いている者こそこの世で最も偉い存在なんだぞ? その働きによって部長職を得た私はもっと偉いっ!」
「は、はい………」
「私は元部長職を務めていた男だ! その男の命令は絶対だ! 何が何で絶対だ! 私のために働くことは光栄な事なんだ。それを理解した上で、すぐに動け! 働け若造がっ!」
「あ、ああ………」
「あ? 『あ』なんだってっ? 言いたいことがあるならはっきりと言えっ! はっきり言わないでもごもごもごもご入れ歯でも頬張っているのか? 全然言葉になっていないっ! 活舌もなっていない社会不適合者めがっ! 少しは」
あ、あ、ああ………。
ああああああああっ。
滅茶苦茶怖い……。怖すぎるっ。
さっきまで泣いていた感情とか涙も引っ込んでしまうくらい怖い。
威圧的で……、なんか、怖い……。
あらきさんの言葉を聞いていた私だけど、正直聞くこと自体怖いので、耳を塞ぎたくなってしまうけど、それをしてしまえばもっと怒ってしまうんじゃないと思えるような言動をしてくるあらきさん。
多分だけど、ずっと寝ていた私に怒っているってこと………だよね?
それなら謝るけど、それをしようと思ったらさらに怒り出すから、怖くて委縮してしまう。
言いたいことも言えなくなる状況の中、あらきさんの言葉を聞いていたお兄ちゃんが私を庇う様に前に出て、私のことを守りながら怒鳴り返した。
「荒木さんっ! 希は今起きたばかりです! しかも二週間も寝ていたんだからすぐに働くなんて無理です! 理不尽にもほどがありますよ!」
「理不尽ではなくこれは常識だ」
でも、お兄ちゃんの反論にあらきさんは呆れたように溜息を吐いて、大袈裟に肩を竦めてお兄ちゃんの返した。
アメリカ人がよくやる首を振って両手を上げるような、そんな行動。
それをした後であらきさんは続けて、また私のことを指さしながら言ってきた。
見下して、圧をかけながら……。
「寝ていたということは体を休めることができたあかし。それすなわちすぐに動けますと言う事なんだ。体をたんまり休ませたんだから、その見返りとして働く! これこそ社会における動き方! わかったらすぐに働けっ! 私の、ために、は、た、ら、くっっ!! それこの避難所での常識だっ!」
「な………」
………言葉を失ってしまった。
てか、それはどこの医学論ですか?
あらきさんの言葉を聞いていた私は、というかここにいる誰もが思っていたんだろうな……。みんながあらきさんのことを遠巻きで見ながら呆れている顔をしたり、理解できないものを見ているような、そんな近づきがたいそれを出している。
リンさんもそれを聞いて頭をがりがり掻いて溜息吐いちゃっているし、お兄ちゃんもそれを聞いて言葉を失ってしまった。
というか、この人がこの避難場所のリーダーだったの?
そう思いながらリンさんのことを見上げるけど、リンさんは私が聞きたいことを察してか、困った顔で首を振る。
あ、ちがうんだ。
じゃぁこの人はなんで、こんなことを……?
そう思っていると、それを聞いていたリンさんは呆れた顔をしてあらきさんに反論のそれを言ってきた。
茫然としてしまったお兄ちゃんの助太刀に入って――
「荒木さん。そんな思考はここでは通用しない。あんたが今やっていることは恐喝と言う名の束縛だ。それをして、今までどれだけの人たちが死んだと思う?」
「そんなのそいつらが悪いんだ。噛まれないように気を付ければ犠牲など生まれなかった。そもそも………」
と言って、私のことを睨みつけながらあらきさんは言う。
びしっ! と指先を私に向けて………、ばい菌を見る様な目で。
「こいつ『感染』しているんじゃないのか?」
二週間も眠りこけるなんておかしいかんな。
その言葉が放たれると同時に、図書館内にいた人たち――生存者の人たちが私を見て恐怖のそれを見せて来る。
びっくりとか、そんなものじゃない。
そうだ。これは私が強盗の感染者を見た時と同じ顔だ。
恐怖そのもので、子供を抱きしめて守ろうとしている母親。そして警戒して遠ざかっていく人もいる。
ざわっと空気がどよめく様な、そんな焦りを感じてしまうほど、あらきさんの言葉は衝撃的で、ここにいる人はおろか、私を含めた全員の感情が激しく揺れた――気がする。
たった一つの言葉でこれだけ人の見る目が変わってしまう。恐ろしい………とは思わなかった。
経験したことがあるからそこまで傷つかなかった………わけじゃない。
あらきさんの一言でここまで警戒されてしまうと、逆に傷ついてしまう。
でも、それは逆を返すと………。
「あんたいい加減にしろよっ! だったら家に帰った俺も『感染』しているかもしれないのにっ!」
「荒木さん………いい加減口を慎んだらどうだ? 言っていい事と悪いことくらい、このご時世ならわかるはずだが?」
考えていた私の意識を現実に戻してくれたお兄ちゃんの怒りの声と、リンさんの静かな怒りの声。
でもあらきさんは私を見下ろし、眼鏡のフレームを上げながら止めることをしなかった。
「いいや」と真っ向から否定して――
「第一私は小僧の体をくまなくチェックしたが、こいつはしていない。『感染』にも時間を要するとか聞いたからな。もしかしたらもう『感染』して欺いているかもしれないだろ」
と言って、あらきさんは座り込んでいる私の近付いて、そのままTシャツを掴んでそのまま上に向かって引っ張っていく。
「え、あ、ちょ」
「おいやめろっ!」
「おいそこまでする必要ないだろっ! 私が見るから」
当然、こんなことをされて、この後されることを考えた私は、すぐにあらきさんに首を振って『違う』と、私か『感染』していない。ことを伝えようとした。
お兄ちゃんも止めようとしてあらきさんのスーツを掴んでくれて、リンさんも間に入って止めようとしてくれた。
けど………。
あらきさんはやる気だ。
本当に私の体に『感染』しているかのチェックをしようとしている。
いや、こんなところでこう言う事は嫌だし、どうしてこんな公開処刑を受けなきゃいけないのっ?
なんで、誰も助けてくれないのっ?
どうして? やっぱり、疑っているのかな?
やっぱり……、私のことを感染した人と見て?
色んな感情が入り組んでしまう。どうして助けてくれないのって、苛立ちさえ覚えてしまうけど、それよりもこの人の行動が――あらきさんの行動が異常過ぎる。
今パンデミックだからって、こんなこと許されるの?
暴れて、抵抗して、何とか離れたかったけど、寝たきりの所為で体が重い感じがする。そのせいでうまく動かせない。お兄ちゃんとリンさんのお陰でなんとかなっているけど、しびれを切らしたあらきさんは大きく舌打ちを零して――
「よくある身体チェックだ! 大人しく」
と、私に向けて拳を向けようとした。
殴ろうとしている。それを見てお兄ちゃんが私の前に入り込もうとした――その時。
「荒木さん」
と、凄く低い音色が私の耳に入って、あらきさんの握り拳を片手で包み込むように握った人。
あらきさんも驚きながら背後を見て、リンさんとお兄ちゃんはその人のことを見て驚きの顔をしていたけど、私はそれ以上に驚いてしまう。
だってその人は……、多分だけど、身長二メートルある人で、縦横広く、絵に描いたような筋骨隆々のマッチョがそこにいたのだから。
無言であらきさんのことを見下ろすその人は、さっき見たスキンヘッドの人だ。あの時は遠くでよく見えなかったけど、服装は灰色のパーカーと、少し塩の臭いがするズボンと言う動きやすい服。靴も編み上げの靴と言ったアクティブなそれ。
ていうかそれは一見したら喧嘩している人だ。
目も鋭いし、おまけに黒い不織布マスクで顔がどうなっているのかわからない。
その人が私を、助けてくれた……?
そう思って見上げると、大きなスキンヘッドの人は私のことをただじっと見降ろしているだけ。驚いたまま固まってしまってるあらきさんを無視………していない。
握った手を離さず、私のことをただじっと見降ろしている。
ていうか、何なんだろうこの人……、もしかして………ボクサー?
もう色んなことが起き過ぎてパニックになった私は、なんか変なことを考えてしまった気がする。
でもこんな人近所で見なかったし、なんでこんな人が私のことを? と、色んな思考がぐるぐると頭の中で動いて、稼働して、せっせと働いていると……。大きな人の背中から声が。
「皆藤さん。もういいぞ。荒木さんのことは俺に任せてくれ」
その声は殺気聞いたすごく低い声でなく、なんだかワイルドなそれを思わせる様な、そんな男の人の声。
ワイルドの人の声を聞いたスキンヘッドさん――もとい……、かいどうさんは声を聞いてすぐあらきさんの手を離した。
あらきさんは大袈裟に『いたたたた~!』と殴ろうとしていた手を反対の手で撫でて、明らかに痛い思いをしましたと言う顔をしながら私から離れて行く。
と、とりあえず……、よかった。
そう思って安堵のそれを吐いていると、お兄ちゃんが駆け寄って私に向けて再度謝罪する。
「ごめん。本当にごめん」と何度も謝っていたけど、私はそれに対して「ぶ、無事だから大丈夫」と言ってお兄ちゃんのことをやんわりと止める。
リンさんはどこかに向けて睨みを向けている。多分、助けに来なかった人たちのことを睨んでいるんだと思うけど……、そんなリンさんの肩に手を置く人。
ぽんっ。と置いた後――リンさんに向けて……。
「すまなかったな。遅くなった。どうもここら辺にはもうないみたいでな、少し遠出をしていた」
と言って、それを聞いたリンさんは少し黙った後、その人を見て――「いいよ。それよりも遠出お疲れさま」と言ってその人のことを労うように筋肉で出来た胸に軽くパンチした。
そんなの、ドラマとか、漫画でしか見たことがない……。
ていうか……、この人も筋肉すごい。
声をかけて、リンさんのことを労った人はかいどうさんとは違ってそんなに大きくない。でも、バスケット選手並みに大きい身長で、筋肉がついた身体がその人のことを強調してくれる。
一言で言うとゴリマッチョ。日焼けも相まってすごい人だ。
髪の毛も染めているのか、黄色の短髪で、頭の側面を剃っているというすごいファッション。服装はノースリーブに迷彩柄のズボン。編み上げブーツも相まって、いかにも戦場に入った人を思わせる。
多分おしゃれだと思うけど……。
二人連続の筋肉の人を見たことで、固まって見上げることしかできない私。
こんな筋肉質の人なんて、テレビでしか見たことがない。そんなことを思っていると、ゴリマッチョさんは私を見下ろして、優しそうに、白い歯を見せながら笑みを浮かべてしゃがんでくれた。
「お。目が覚めたんだな」
そう優しく話しかけてくれて、その人は私のことを見ながら「希くんだろ? お兄さん――望くんから聞いている」と言って、徐に私に手を出し、握手を促すようなその手を見せながらマッチョさんは言った。
色んなことがありすぎて、泣いたり怖がったり、恐怖したりを体験した私のことを見ながら――マッチョさんは言う。
「あらためて初めまして。俺の名前は『金剛寺勉』。一応この避難所のリーダをやっている、元ジムトレーナーだ。パンデミックが起きたことでいろいろと混乱しているかもしれないが、生き残った者同士、救助が来るまで生き延びていこう」
わからないことがあれば何でも聞いてくれ。
そうゴリマッチョさん改め――ツトムさんは言う。
目覚めたばかりで、目覚めてすぐ色んな経験をしてしまった私に、優しく手を伸ばして――
〓 〓 〓
これが、雨森希が体験した一日目の出来事。
パンデミックが起き、なぜ世界が崩壊してしまったのかわからないまま、彼女は目を覚まし、兄の再会を喜び、母の死を聞かされ、泣き、異常思考の輩の標的にされた後――これから経験していくことになる。
目覚めから現実を垣間見て。
別れ、出会い、また別れ、また出会い。それを幾度となくを繰り返し、彼女は辿り着く。
何故パンデミックが起きたのか。
なぜ世界が崩壊したのか。
知ると同時に、『本当の自分』を見つけ、選択を迫られる。
これは、まだ始まりに向かって足をほんの少し動かしただけ………。
まだ、始まっていないのだ。
雨森希の物語は………。