二十八話 一瞬の間違い
金剛寺さんとリンさん曰く――図書館で待機していた人たちから無線で連絡があったそうだ。
ただ簡潔な内容。
『『感染』者が出て、どんどん広がっている』
それを聞いたのは一分くらい前。だから、まだ間に合うと、みんな避難している。そう思っていた。
どうして『感染』者が出てしまったのか。そんなことは今知っても意味がない。
今は――向かおう。
それだけ決めて、私達四人は図書館へと――みんなが待っている避難所へと向かって走っていた。
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「そんな………! 俺達がいない間に………っ」
「今はそんなことを後悔しても仕方がねぇっ! 今は一秒でも早く図書館に向かう事! それで生き残っている奴らを連れて、中学校に向かう! それでいいだろっ!」
お兄ちゃんの驚愕の言葉を聞いていたリンさんが一喝入れるように荒げた声を上げる。
みんなは知りながらしゃべっているから息は上がりまくりだ。
特にリンさんの息が上がっているみたいで、汗を流しながらリンさんが走っている。皆のペースを乱さないように走っているその光景を見て、私はリンさんに近付いて――
「だ、大丈夫ですか? 息、上がってますけど……」
と聞くけど、それを遮るようにリンさんは「あぁ大丈夫!」と荒い声で返すだけ。
険しいその顔を見て、多分何を言っても返って来る言葉はそれだけなんだろうと思った私は、それ以上言わずに走ることに専念する。
私も、私も怖い。
でもリンさんだって怖いだろうし、何も言っていない金剛寺さんも怖いと思っているに違いない。お兄ちゃんだって怖いと思っている。
たった数日しかいなかったけど、安全に暮らしていた世界が、一気に壊れる瞬間はやっぱり怖い。
常に死と隣り合わせ。
それは露になっただけ。
でも、それが怖い。
みんな無事でいてほしい。どうしてこうなったとかなんて聞かないから、今はみんな無事でいてほしい。もう荒木さんの様な犠牲は嫌だ。
もう犠牲は――見たくない。
心の中で何度も何度も思う『無事でいて』と言う言葉。
もう何度言っているかわからないけど、それでも私は願うしかできない。
それしかできないけど、それでもそれが叶ったらいい。
みんな無事でいてほしいから、みんな生きててほしいと思っているから、願って、それが叶うことを祈っていた。心の中で祈っていた。
祈って――
……………見事に打ち砕かれた。
『………………………』
金剛寺さんも、お兄ちゃんも、リンさんも、私も、顔面蒼白だ。
血の気がないくらい私達は言葉を失い、目の前に広がる光景が嘘だと願いたかった。
でも、目に映る光景。耳に入る悲鳴、鼻に入る血の匂いが、それを現実だと訴えている。
今、私達の目の前に広がる光景は………、地獄。
頑丈に閉じていたドアは壊れていない。でも壊れていたのは窓で、板を張り付けて『感染』者が入らないようにしていたのに、それが内側からはがされている。
割れている窓には血がべっとりとついていて、割れていない窓にもそれは付いている。
みんなの悲鳴。赤ちゃんの泣き声。子供の泣き叫ぶ声と、『感染』者の雄叫び。
図書館から来ているであろう焦げ臭いなにか。
全部が全部――図書館と言う避難所の惨状を物語っていた。
「あ………、ああ」
「そんな………、こんなことって」
私は思わず腰を抜かしそうになったけど、それを支えてくれたお兄ちゃん。でもお兄ちゃんも惨状を目の当たりにして言葉を失っている。
リンさんも言葉を失いながら黙っていたけれど、金剛寺さんはそれを見て、すぐに私達に向けて声を荒げた。私達を見て――奮い立たせるように。
「――まだ生きている奴がいるっ! そいつを助けるぞっ!」
「「「っ!!」」」
金剛寺さんは荒げる声で言った後、そのまま裏口に向かって走り出す。
それを見てリンさんも駆け出して、お兄ちゃんもそれを見て辺りを見た後、私の頃を見てこう言ってきた。
「希! まだ大丈夫だ!」
「え?」
「いいか? 簡潔に言う。正面玄関が壊れていないということは、『感染』者は別のところから入って来たんだっ!」
「! あ」
「そう! そこを塞いで、『感染』者を何とかしたら、まだ希望はあるっ!」
お兄ちゃんの言葉を聞いて、私はすぐに図書館を見る。
そうだ。正面の玄関は壊れていない。
けど別の所が壊れていない。と言うことは――『感染』者は別のところから入ったんだ。
普通に見て、冷静になったら分かることだけど、それができないくらい参っていた。でもお兄ちゃんの言葉を聞いて、私は頷いて自分の足で立つ。
お兄ちゃんを見上げて、お互い頷き合った私達はすぐにリンさんと金剛寺さんが向かったであろう裏口に向かった。
走って向かい、ようやく金剛寺さん達がいる裏口に辿り着いた私達。
「金剛寺さんっ。リンさん!」
「お二人共!」
私とお兄ちゃんの声に気付いたリンさんは汗を流しながら私達を見る。金剛寺さんは裏口のドアノブを必死になって回しているけど、何故か回らない。
ううん。これは、回っているけど、開かないんだ。
「金剛寺さん、まさか、開かないんですか………?」
「っ! 今やっているんだかっ! なんでだっ!? どうして………!」
金剛寺さんは焦りながら開けようと奮闘している。でもどうやっても開かないそれは、何故かガタガタ揺れるだけで開く様子がなかった。
それを見てか、リンさんが近くにあった窓を見つけて、そこから中を覗くと、リンさんは驚愕のそれを浮かべて私達に告げる。
「マジか………! 臼井さんがドアを背にして………! 包丁を持ったまま………っ!」
リンさんの言葉を聞いた私は、あまりの衝撃に言葉を失った。愕然とした状態で頭の中を過ったのは――リンさんの言葉の情景。
そのままの意味だけど、それでもそれをするほど、追い込まれて………。
「た、たった一分で………?」
「いいや、きっとそれ以上前からこうだったんだ!」
お兄ちゃんの言葉を遮りながら金剛寺さんは言う。
――がちゃがちゃ――
ドアノブを回し、ドアに向かって体重をかけた突進をしながら金剛寺さんは言う。
「無線なんて一般人が使うことはあまりない。普通ならスマホや電話だ。使い方がわからない。使える奴が噛まれてしまったから、遅れたんだ」
もっと早く気付くべきだった。
金剛寺さんは小さく呟く。
そして、肩のタックルを繰り出しながら金剛寺さんは荒げた声で言った。
違う。金剛寺さんは、自分に向けて責めたんだ。
「こうなることなら――俺があんなことを言わなければっ! あんな選択をしなければ………っ!!」
金剛寺さんの悲痛の声が、私達に突き刺さる。
あの時、あの選択をしなければ、こうならなかったかもしれない。
でも、なってしまった今を変えることは、もうできない。
それを痛感して、あまりの苦痛と衝撃、目の前の現実に打ちのめされて、思わず涙が零れそうになった。その時だった。
「だ、誰だっ!?」
声が聞こえた。
それを聞いて、涙が一瞬引っこみ、同時に安堵の涙を流しそうになった。
お兄ちゃんたちも声を聞いて安堵している。金剛寺さんはその声を聞いてすぐにタックルを止めてドア越しで聞く。
「! 松宮さんか?」
「あ、ああ! その声は、金剛寺さんかっ? と言うことは、無事帰ってくれたんだなっ? よかった!」
「俺達は大丈夫だっ! 松宮さん、これは一体何があったんだっ!? 手短でもいいから」
「…………」
松宮さん。
そうだ。この声は松宮さんだ。
確か家族四人で来ていて、二歳になる息子さんと赤ちゃんの娘さんと奥さんでここまで避難してきた家族。
この声は旦那さんの方だ。
松宮さんは金剛寺さんと私達の無事を聞いて安堵していたけれど、金剛寺さんの言葉を聞いて一瞬黙ってしまう。
「おい松宮! あんた奥さんはっ!? 子供たちはっ!?」
リンさんの声にも返事がない。
「松宮さん! 何があったんですかっ!? 俺達、今来た」
「………すまない………!」
「………はぁ?」
お兄ちゃんの声を聞いてやっと返してくれた松宮さん。
でも、帰って来た言葉は、謝罪。
それを聞いたお兄ちゃんは、意味が分からない声を上げてしまうと、松宮さんはドア越しで私達に謝罪の言葉を述べていく。
「ごめんなさい………。すまない………。全部俺の所為なんだ………。ぐずる娘を、どうにかして宥めようと、一瞬だけ、一瞬だけと思って………! 外に出て………!」
そう言って、松宮さんの声が告げた内容。
それは、全部を説明しなくても大体理解できるような内容。
それ以上は、今の惨状を見れば、もう大体理解できる内容だった。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「松宮さん………。おい。待て松宮さん」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「そんなに声を上げるなっ。『感染』者に気付かれる」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
「松宮さん………! もうやめて……っ!」
「松宮っ!」
「松宮さんっ!」
「ごめんなさい!!! ごめんなさい!!! ああああああああああああああああぁぁぁっっっ!!!」
金剛寺さんの静止を聞かず、松宮さんは叫び続ける。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
声が嗄れてしまってもかしくないくらい荒げた声で叫び。最後はもう言葉にならないそれで叫んで、私達の静止の声をかき消して――
噛み付く音と赤いそれを出して、松宮さんの声が消えた。
消えてしまったそれを聞いた私達は、もう言葉を出すことができなくなった。金剛寺さんもドアを叩くことを止めた。
みんな――惨状のきっかけを聞いて愕然としたわけじゃない。
松宮さんの言葉を聞いて、壊れていく松宮さんを止めることができなかった。助けることができなかった。喪失感や色んな感情がぐちゃぐちゃになって、動くことも、声を出すこともできなかった。
混乱。なのかな?
「ぎィきああァァああアアァアアああッ!!」
時が止まったかのように固まってしまう私達を嘲笑う様に、『感染』者の声が一際大きくなる。そしてその声が、どんどんこっちに近付いて来ていた。
「っ! あ、か、『感染』者………!」
「あ、やばい! こっちに来るっ!」
気付いた私は、やっと現実に戻って声を上げ、それを聞いたお兄ちゃんも気付いて金剛寺さんを見て、腕を掴みながら『逃げましょう!』と言うけど、金剛寺さんはその手を離そうとしなかった。
離さないまま俯いている。
追い詰められているかのように、俯いたまま離さない。
「金剛寺さんっ! 金剛寺さんっっ!」
「………! あ、どんどん声が」
金剛寺さんの行動に焦るお兄ちゃん。なんとか離そうと必死になるけど、それでも離さない金剛寺さん。声もどんどん近付いて来て、足音も聞こえてきた。
松宮さんの声を聞いてここまで来てしまったんだ………!
どうしよう………! このままじゃ………!
………もし、みんなが逃げれなかったら、私が、私が、何とかしないと………!
大丈夫。大丈夫………! あの時だって、何とか出来たんだ………! 今回も同じように。
心音がうるさくなる。緊張とかじゃなくて、これは恐怖の心音だ。
でも、怖がっている暇なんてない。私は、私が何とかしないと、この状況を、何とかしないと………!
奮い立たせようと手に持っていたバールを握りしめ、意を決するように呼吸を整えて、下唇をこれでもかと噛み締めた私は、前を向いて『感染』者がいるであろう声の近くまで行こうとした。
振り向いて、歩こうとした。
それだけしたら、あとは走って――
と思った時だった。
――ガシャンッッ――
大きなガラスが割れる音。
それを聞いて振り向こうとしたその行動を止めて、音がした方を向こうとして、目に入った光景を見て、私は声を零した。
「え?」
一文字。
それだけなんだけど、それだけしか私は言えなかった。
だって――窓ガラスを割ったリンさんが、お兄ちゃんからツルハシを奪って入ってしまったのだから。
私達三人を置いて、飛び越えるように小さな窓に吸い込まれるように入って――
「――私が何とかするから、お前等は逃げろっ!」




