事件(個人的)
初めてのマッサージが終わり、高鳴る心臓とともに報告書を書く。
リラほっとではマッサージをした後は必ず報告書を書く決まりになっている。これとカウンセリングシートを参考に次回のマッサージの参考にするためだ。
そうしてカウンターで報告書を書いていると、マッサージを終えた本田さんが部屋から出てきた。
「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
本田さんを外まで見送ると店長が話しかけてくる。
「初めてのマッサージお疲れ様。マッサージうまかったと思うよ。本田様も褒めてたよ」
「ありがとうございます」
マッサージ中は平静を装っているが、内心は力加減はどうだろうか、凝っている部分をほぐせているだろうかと不安な気持ちでいっぱいだ。
だから、お客様にこう褒めてもらうのはとても励みになる。自分のしたマッサージはお客様のためになっているのだと思えた。
店長の2人目の補助も特に何事もなく終え、次は進藤先輩の補助の時間になった。
それでも、大きく手順は変わらないため、店長の時と同じく10分ほど経ったころ、部屋に入りマッサージを開始してすぐに進藤先輩とお客様との談笑が聞こえてきた。
「この前言ってた仕事どうなりました?」
「ああ、あれは成功したよ。進藤君の言ってたこと参考になったよ」
これまでの店長とお客様の会話を思い返してみると、会話数はそれほど多くなく、それもマッサージやストレッチの会話が中心で、たまに関係ない話もするが、マッサージに集中させるような施術方法だった。
だが、進藤先輩は仕事なので一応丁寧な言葉遣いをしているが、まるで友達であるかのようなトーン、話し方をしながらマッサージをしていた。
それは決して悪いことではなくお客さんに満足してもらう一つの手だろう。
今までは研修や補助の時はすべて店長にやり方を学んだ。まるでそれが正解だろうと思い込んでいた。だが、マッサージの方法の正解は1つじゃない。自分なりのやり方をこの補助の期間に探してみようと思った。
「今日は初めてのマッサージお疲れ様。どうだった?」
「いろんなお客様やスタッフがいて、その都度マッサージの仕方も変えているところとか、まだまだ学ぶところがたくさんありました」
「いいところ見てるね。その調子ならどんどん成長できると思うから頑張って。今日はお疲れ様」
「お疲れ様です。今日はありがとうございました。お先失礼します」
こうして俺の初めての実践のマッサージ日が終わった。次は3日後の日曜日になる。緊張もしたが、得られるものが多かった日だった。
***
数日が経ち迎えた日曜日、俺はリラほっとに出勤した。
「早乙女君来たね。おはよう」
「おはようございます」
「今日も前回と同じ通り3回補助に行ってもらう。前回と変わらないから安心してね。分からないことがあったら聞いてね」
「分かりました」
今日も前回と同じように補助に入り、2人目も終えスタッフルームに戻ると、何やら店長と世森先輩が話し込んでいる様子が窺えた。
少しすると店長がこちらにやってきた。
「早乙女君、これから少し時間あったよね?」
「はい。次の補助までは時間が空いてますし、今やってるのも後回しでも大丈夫なものです」
「じゃあさ、今さっき補助入ってもらったばっかりだけど、これから世森さんの補助行ってくれない?」
聞けば、これから施術予定の世森先輩のお客さんは、俺と同じく最近入った女性スタッフが補助に入る予定だったらしい。だが、その女性スタッフが体調不良で今日来れなくなってしまったらしい。補助に入ることを予約の際に伝えてしまっているため、できれば変更したくないそうだ。
「女性のお客様だけど、スタッフの性別は特に指定してないし、補助だけだから早乙女君がやっても大丈夫だから、お願いできるかな?」
「はい大丈夫です。分かりました」
ただでさえマッサージの経験が少ないのにいきなり女性にマッサージすることになり、言葉とは裏腹に初日のような緊張を覚えた。
女性のお客さんはもう来ているらしく世森先輩はそのことが決まると足早にお客さんの待っている個室に向かった。
補助に入るまで10分ほどしかないため、俺も急ぎ気味で準備を行う。
今回は、補助に入っていて直接お客さんの姿は見ていない。
初回のお客様らしく先ほどカウンセリングシートを書いていただいたものを確認する。
疲れている場所は足周りと腕周りだな。腕周りは世森先輩がやってくれるだろうし、女性だし太ももは少しまずいから、ふくらはぎと足裏をマッサージしようかな。
時計を確認すると世森先輩が個室に入った時間から10分が経過していた。個室に入ってから3分後にマッサージが始まったとしてもうすぐ10分が経過する。最後に名前を確認してから、向かうことにした。
えっと名前は・・・涼風瑞希、涼風様ね。よし。
個室に向かおうとスタッフルームのドアノブに手をかけたとき、俺は名前に聞き覚えを感じ、振り返り、もう一度カウンセリングシートに目を通す。
マジか、涼風瑞希.....俺のクラスにいる美女と名前が一致する。現実逃避のように一瞬同姓同名かと考えるが、彼女の名前はありふれた名前ではなく珍しい部類の名前だ。その線はおそらくないだろう。
心臓の音が加速する。
補助で入るため彼女はうつ伏せになっている。名前は名乗るが苗字までだ。早乙女は珍しいがいないほどではない。そして彼女とはまだ話したことは少ない。業務連絡くらいだろうか。まさかクラスメイトがアルバイトをやっているとは思わないため、ばれないだろう・・・おそらく。
そう自分に言い聞かせることしかできなかった。
もう時間がない。あれこれ考えている時間はなかった。
覚悟を決めるしかない。
俺はそう考えながらスタッフルームを出て、涼風瑞希のいる個室の前に立つのだった。
4話目も読んでいただきありがとうございます。
PVをしていただいている方、ブックマークを登録してくださっている方、若輩者の私にはとても励みになっています。ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。