貴族と武神
屈辱だ。屈辱的な一日だった。
業務上不可避の行為とは言え、非市民に何度も頭を下げる事になろうとは。
忌々しい。
切っ掛けとなった一報がリリと泥絡みである事も忌々しい。
その情報を持ち帰ったのが非市民のヤグラである事も忌々しい。
そして何より、私の書いた提案書が否定される結果となった事が許せない。
あのギルドマスターは普段優柔不断な癖に、こうして時折大胆な決断を下す。
ゴブリン討伐数制限等前代未聞の決定だ。
逆らおうにも薬師ギルドが賛同している以上、末端の受付嬢である私では覆せない。
しかし、事実状況は良くない。
薬草をだけを食べる小型魔獣の流入はポーションの街ルファにとって死活問題となりかねない。
農場の方は被害が出ていないとの事だが、原材料としての薬草は半数以上が野生の物だ。
当面の対策として汎用討伐クエストに追加報酬を付帯させたが、非市民の冒険者等当てにはならない。
何か対策を練らなければ。あのギルドマスター任せにしておくのは不味い気がする。
◇
控え目に言って、筋肉の塊。
禿頭の偉丈夫が行儀良く椅子に腰かけている様に、毎度違和感を覚える。
武神と呼ばれたこの男が敵兵を、文字通り薙ぎ払って進む様を見た事があるのであれば尚更の事。
そんな男が書いた美麗な文字の書類を読み終えて、頭の痛い内容に儂の口からは重い溜息が漏れた。
薬草を主食とする外来獣の流入と繁殖もそうだが、それ以上に頭痛の種となるのは……。
「いっそケイトの首を切ったらどうかね?」
「選民思想以外は、非常に優秀な故」
ケイト。冒険者ギルドの受付嬢――昨今は受付係と呼ぶのか?――としてはまあ優秀な部類であるが、それを打ち消して余りあるのがあの選民思想。
ケイトによって浪費された鉄等級がどれ程の数になるのか? 武神は記録を残しているらしいが……。
「そもそも、問題はそこではありません。ケイトの提案書はこのゴブリン討伐依頼に限って言うのであれば妥当な内容かと」
「……今回の件は注意に留めるのが精々かね。これで少しは大人しくしておれば良いが」
「併せて別件で提出されていたアレに関連する提案書を凍結。ルールに則ればその程度が限度でしょう。それでも重すぎる罰ではありますので、併せて私自身にも何かしらの罰を下すべきでしょう」
武神の決め事を重視する姿勢は、その異常な武力と相まって非常に好ましい性質である。
が、融通の利かなさと言った意味ではその武力と相まって非常に厄介な性質ではある。
中央に連れて行けば貴族連中に食い潰されるであろうな。否、その前に物理的に食い千切るかね?
まあ、それでも総倒れが関の山であろうが。
……あの様な暴力の世界に生きていたのに、どこでこの性質を得たのやら。
そもそも、冒険者ギルドの責任問題なぞ些事である。
ポーションはこの国の要。
特に今は、ルファのポーション製造能力が低下すれば前線を維持する事が難しくなる。
「まあ、それはどうでも良い。問題は魔獣だ。どの様な種なのだ?」
「他所の冒険者ギルドにも問い合わせを行っておりますが、恐らく国内にはほぼ情報の無い種だと思われます。私の見聞に頼る不確かな推測ですが、北方の平原に分布するニミフドと呼ばれる種であると考えています」
「北方。即ち前線の向こうからやって来たと言う事か?」
「荷に紛れたか、或いは意図的に持ち込まれたか、その辺りの可能性が高いかと」
武神が淡々と推測を述べる。
本当に、外見や経歴から想像出来ない程細やかな仕事をする。
「いずれにせよ、諸々の通達を出してこの件は終いと言う所か」
小動物等人海戦術で狩り尽くせば良い。
今回の件に限ってはゴブリンすら頭数に含まれる訳だ。
「そう楽観もいたしかねます」
そう考えていたが、武神が即座に否定の言葉を返す。
「ニミフドは小さいゴブリンが語源とされています。我々がゴブリンを狩り尽くせない様に、簡単に解決するとは思えませぬ」
儂の頭の中で、薬草畑に手乗りサイズのゴブリンが群がる情景が映し出された。
……厄介な。
確かに、数は暴力なのだ。
ここが前線であれば森も草原も全て平たく燃やせば良いのに、ルファは繊細過ぎて敵わない。
前線の方が遥かにマシと言う物よ。
しかし、どんなに億劫であろうと見過ごす事は愚策。
戦場においての先送りと現実逃避は死に直結する。
故に簡潔で手早い対応が必至となる。
「して、お主は儂に何を求める?」
「金と名誉の補償を」
個人的に好ましく感じる、率直で簡潔な要望。
中央寄りの文官共に見習って貰いたい物だ。
「冒険者ギルドの資金では足らぬと?」
「商業的な利用方法の定まっていない小動物に報酬を出し続ければ、早晩立ち行かなくなります」
「……未知の種だとそう言った問題が起こるか」
「ゴブリンが狩っていた事から食べる事はできる様ですが、商業利用可能な程の肉は取れませんでした」
報酬を出すためにはそれ以上の利益がなくてはならない。
薬草を守ると言う事は大局的な視点では十分な利益だが、冒険者ギルドにとっては無関係な利益でしかない。
薬師ギルドもそこは同じ。薬草の供給量が減らない事は利益とは呼べない。
そもそもこの一件、対処した所で誰にも利益を生まないのか。
最も大きな不利益を被る国が補填するのが筋だが、正規の手順を待っては手遅れになる可能性が高い。
これが貴族の勤めと言えば、確かにそうなのだろうな。
「良かろう。この一件、ライン=グレイブヤードが支持する。今後の具体的な手順と方法については冒険者ギルドに文官を送る。後は、そうだな、家紋入りの馬車で冒険者ギルドに金を輸送するかの?」
「寛大な御対応、痛み入ります」
しかしまあ、この一件。企てた者が居て全て思惑通りだとしたら……其奴は儂の所で確保したいのぉ。