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悪意の匂いがする

 リリさんが僕の両手をがっちりと掴んで、茶色い瞳が見た事のない小動物を見据えている。

 その瞳は人間味の無いそれで、悪寒と恐怖に震える僕の手を押さえ付けている。

 ぎりぎりと痛みを伴うその握力はリリさん本来の物なのだろうかと、どうでも良い思考が頭を巡る。

 そしてリリさんの顔が近い。無機質なその瞳が僕に向けられていないのは幸いだが。

 ざあざあと、血の気が引いて行く音が聞こえた気がした。

 泥は薄く網目状に変形して、僕とリリさんの頭を覆う様に広がっている。

 こうなっては逃げ場はおろか身動ぎ一つも出来やしない。


「悪意の残滓を感じる」


 リリさんが平坦な声でそう言った。

 悪意の残滓、とは?


「薄い。薄いが、過去になっていない」


 僕はただ捕まえた小動物を見せただけだと言うのに、一体何がどうなっているのだろうか。

 この小動物が悪意を持っていたからと言って、死んでしまえばそれまででは?


「……えっと、もう死んでいるかと。はい」


 さすがにこの距離では心臓が持たないので、一縷の望みを言葉にしてみる。

 リリさんの無機質な瞳が僕の瞳を真っ直ぐに覗き込み、網目状の泥がぶるぶると震え始めた。

 余計な事言わなければ良かった。


「悪意はコレを媒介している。コレそのものは悪意を持っていない」


 リリさんは小動物の匂いを嗅ぎながらそう言った。

 悪意とは匂うものなのだろうか?


 悪意の匂いがする。

 ……ちょっと格好良い台詞だな。


「コレがここにある事自体が恐らく良くない。良くないが……」


 いつに無く饒舌な人間味の無いリリさんの口が、その言葉を最後に動かなくなる。

 そのままどれだけの時間が過ぎ去ったのか、或いは一瞬の間だったのか、気が付けばリリさんはいつものリリさんに戻っていた。

 泥は相変わらず僕とリリさんを覆っているが。


「うーん。良くない気がするけど、まだなんとも言えないかな?」


 リリさんの顔が近い。吐息が掛かる程の近距離で、その整った顔がこてりと傾く。

 先程とは違った意味で心臓に悪い。そもそも何故僕の手の上から小動物の死体を握っているのか?

 どくどくと、僕の首筋を血液が登って行く音が聞こえる。


 リリさんが僕の手を握り締める力が緩み、小動物が僕の手から零れ落ちる。

 泥が素早く伸びてそれをキャッチすると、僕の手へ戻してくれた。


「一つ気になるのは、銀等級薬師の私が知らない種類なんだよね……」


 リリさんが腕を組んで眉根を寄せて、嫌そうにそんな事を言った。

 そう言えば、ゴブリン商人は最近この小動物が多い、みたいな事を言っていた。

 あれは最近になって増えたと言う意味だと思っていたけれど、最近になって出現したとかそんな意味だったのだろうか?

 それかもしくは……。


「ゴブリンが食べてるから知らなかったとか?」

「ゴブリン?」

「あっ、えーと、丘でゴブリンがこいつを捕まえてて、それで見つけたんだよ、これ」


 考えが口から洩れてしまっていた。

 ゴブリン商人の存在はルファの市民に知られない方が良い。僕自身が討伐対象になる気は無いのだから。


「そのゴブリンはどうしたの?」

「少し脅かしたら捕まえた小動物持って逃げた」

「ふーん? 逃げるって事ははぐれで弱い個体だったのかな?」

「傷だらけだったからそうなのかも?」


 なんだか矢鱈リリさんがゴブリンの話に食い付いて来る。

 せっかく丸く落ち着き始めていた泥も、左右に捻じれる様な動きをし始めているし、話題を変えた方が良いだろうか?


「あー、えっと、腹の中身調べてみる?」

「そうね。そうしましょうか」


 そう思って出て来たのがそんな言葉だった。

 女の子に対する話題としてどうかとも思うが、銀等級薬師でもあるリリさんにはそうでもなかった様だ。

 僕の手から小動物を奪い取ると、腰のナイフでおもむろに首を落として、内臓を引き抜いた。

 それは初めて見る捌き方だけれど、鳥や小動物相手なら割と有効なのかも知れない。

 草食性の小動物だったのか、少し酸味を帯びた強い草の臭いが鼻をつく。


「あっ」

「どうしたの?」

「……ごめんなさい。適当にやったから中にぶちまけちゃった」

「……うん。大丈夫」


 ……こうなると肉に臭いが付いて不味くなるんだよな。

 見た事ない捌き方だと思ったら適当だったのか。まあ、うん、この一匹は検証用って事にするかな。

 僕は申し訳なさそうな顔をするリリさんに大丈夫ともう一回言ってから、優しく首の無い小動物を取り上げた。

 首の無い小動物の腹を開けようと腰のナイフに手を伸ばしかけて、ちょっと考えてリリさんのナイフを借りた。

 小動物の前足をまとめて左手で持ってぶら下げて、ナイフの背に指を当る。

 リリさんが切った首の断面を見ると、緑色の消化物がでろりと零れていた。


 うん。ナイフ借りて良かったな。


 首の切断面に切っ先を入れて、腹まで一気に切り開く。

 酸味を帯びた草の臭いがより強く広がった。

 腹の中が緑色に汚れていた。


「……やっぱりこれ、薬草を多く食べてるね」


 リリさんが声のトーンを落としてそう言った。

 僕には未消化の草と言う事しか分からないけれど、リリさんは元が何の草だったのかまで分かる様だ。


「良くない小動物なの?」

「草食性の小動物が薬草を食べる事自体は別に特別な事じゃないの。例外も多いけど、人も獣も食べられる草は似たような種類が多いから」

「そう言われてみればそれもそうか」


 ゴブリンと人もそうだしね。

 人間が美味しいと感じる草は獣だって同じと言う事か。


「でもこの小動物、丘にいたんだよね?」

「うん? そうだね。丘で穴の中にいたね。あれが巣なんじゃないかな?」

「この薬草って普通丘には生えてないんだよね……」


 深刻そうなリリさんの言葉の意味が今一理解出来ずに首を傾げていると、リリさんは森の方へ険しい視線を向けた。


「状況的には、この小動物は外敵の多そうな森に薬草を食べに行っているって事になるのよね。草の多い丘に巣を構えているのに、態々森まで……」


 ぞわりと、再びの悪寒と恐怖。泥がずるりと動き、リリさんの顔を覆った。


「ヤグラ。念の為、その小動物を持って状況をギルドへ報告」

「はい」


 リリさんからの指示に反射的に返事をして、半端に解体した小動物を握って走る。

 この状態のリリさんから離れられる大義名分を頂いたのだ。急がなければ。

 僕の動きに合わせて腰にぶら下げた六匹が揺れ、べちべちと足や尻を叩く。


 正直な所、何がどう不味いのかちゃんと理解していないし、何をどうギルドに報告したら良いのかも理解していない。

 今僕にとって重要なのは、ゴブリン商人の事を隠して報告するかどうかの一点だけだ。

 ギルドに対して、リリさんに説明した内容をそのまま伝えて不審がられないかどうか考える。


 結局、街門が見えて来る場所に辿り着くまで考えて出た結論は、僕の頭では走りながら考えても答えが出ないと言う事だった。

 街門が見える位置まで戻って来た心強さと、泥から離れた安心感からぐうと腹が鳴る。


 その音に僕は昼飯を食べ損ねた事に今更気が付いた。


 この小動物、全部没収とかにはらなないよな?

 ああ、不安だ。

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