私の騎士、貴方の姫
リリの持つランタンの光が優しく木の実を照らす。
赤緑の小さな実が、枝先に無数に生っていた。
「あれがアケヤの実だよ。実は美味しくて種子からも色々と薬が調合出来るんだけど、どっちも合わない人が大量に摂取すると譫妄状態になるから取り扱い注意だね」
肩程までの亜麻色の髪と、人懐こい茶色い瞳。
肩に泥を貼り付けた少女が可憐な笑顔でそう教えてくれる。
リリみたいな女の子らしい女の子との交流はほとんど経験がなくて、でも誰よりも強い死臭を漂わせているから妙な緊張と安心感がある。
「ああ、食べられないって教わったな。だからか」
「傭兵さんや軍人さんだと特にね。大丈夫な人も興奮状態で食べると影響が出やすくて、戦場で譫妄状態になると周りの人も危険に晒すから」
リリはそう言ってアケヤの実を摘んで、軽く表面を拭ってから口に放り込んだ。
夜に森の深部を歩いている訳だけど、何が出て来ても平常心を保つ自信があると言う事かね?
まあ、泥が付いている以上危険なんてないだろうな。
ヒューズさんの代理で受けた仕事は実質護衛なんだけど、建前は見届け人だし。
そもそも、商人は冒険者じゃないから護衛クエストは受けられない。
だから今剣を抜いたのは自衛のため、と言う事になる。一応。
「タチサリナサイ」
暗闇から現れたのは三匹のゴブリンだ。
喋ったのは屈強な二匹から一歩引いた位置に立つ細い個体。
装飾を身に纏い、指と耳が欠損した、何か強烈な違和感を覚えるゴブリン。
ヒューズさんが連日昼夜問わず捜索に駆り出されている、ルファの中で消息を絶ったゴブリンシャーマンってこいつじゃないのかな?
屈強な二匹は盾と剣を持った、冒険者なら銅等級程度の気配を放つ個体。
「黙れ」
で、私を含む誰よりもおっかない気配を放ち始めるリリ。
声音が平坦になって、ライン卿並みの威圧感を放っている。
もうこの娘一人でいいんじゃないかな?
あー、取り巻きのゴブリンが発狂して顔を掻き毟り始めた。
気持ちは分からなくもないけどね。
神様は直視するモノじゃないよね、普通。
「お婆様が必要だとしているから、命は取らない」
「フフ、ワタシハヤクソクヲマチガエテハイマセンヨ?」
着飾ったゴブリンは平気そうだ。
こいつもこいつで普通じゃないな。
見た目と雰囲気で誤魔化されたけど、どちらかと言うと泥の同類じゃないか?
「ルファを攻め落とそうとしたな? 私の目を擦り抜けた商人も貴様の差金だな?」
「ムレノフクスウハ、ソノヨウナウゴキヲシテイマシタネ。ワタシハテヲダスナトイイマシタガ」
サガリやオロシの類じゃなくて、こいつ自身が神に成り掛かっている?
同族の意識に干渉出来る感じか。
ゴブリンの中でこの個体が偶像化しているのかね?
「傭兵団の残党に追い立てられたゴブリンがルファに集ったのも、手間の掛かる小動物を怠惰なゴブリンが好んで狩ったのも、貴族令嬢が仕込んだ馬車を襲ったゴブリンも、その癖あっさり女一人に腹を切り開かれ続けたゴブリン達も、陰謀好きな貴族連中とタイミングを合わせて起きたスタンピードも、全て偶然ではないよね?」
ほう。このゴブリン中々知能派だね。
「デモ、ショウコハナイ」
まあ、ないだろうけど……さ。
「要らない」
泥が動いた。リリの肩から跳ねた、その残像を辛うじて認識出来た。
ゴブリンよりも泥を警戒していたのに、動いた後に動いた事に気が付いた。
顔を掻き毟っていたゴブリン二匹が泥に押し潰されていた。
着飾ったゴブリンを囲う様に泥が積もっている。
元の容量の何倍にも増殖した……あるいは何処からか湧いて出たのか。
積もった泥はぶるぶると痙攣する様に蠢き、血の匂いが漂って来た。
ばりごりと音がする。
中でゴブリンが擦り潰されている?
「害獣を狩るのに、建前は要らない」
そうだね。
ゴブリンは法に守られる存在じゃないし、そもそも泥が法に縛られる存在じゃないし。
流石に着飾ったゴブリンの表情が強張っている。
ああ、そうか。
最初に覚えた違和感の正体が分かった。
このゴブリン、言動がやたら人間臭いんだ。
多分ゴブリン自身も自分を人間だと勘違いし掛かっているんじゃないか?
そうじゃなきゃ証拠はないとか言ったりしないもんね。
何も疑いがなくとも理不尽に狩られる側なのに。
強張るゴブリンの右頬に、手の様な形に伸びた泥がゆっくりと張り付いた。
「次は、言葉も掛けない」
ぞり、と音がした。
ゴブリンが顔を顰め、全ての泥がゆっくりとリリの肩に戻る。
その容積はリリの肩の上に収まる程度まで減っていた。
ぼたぼたと血が滴る音。
ゴブリンの右頬がごっそりと削り取られていた。
痛そうだな。
「用は済んだので、帰りましょうか?」
平坦だった声音が少女のそれに戻り、リリは私にそう言った。
ふっ、と。いつの間にか止めていた息を吐いた。
構えていた剣を鞘に戻して、右頬を押さえて蹲るゴブリンを一瞥する。
まあ、単体では脅威にはならないね。多分個体としては弱い。
リリがゴブリンに背を向けて歩き出したので、私もそれに倣う。
ルファに死臭が満ちている訳だわ。
泥。冒険者ギルドマスター。鉄等級の英雄。止めにゴブリンマスター。
神がそこらにごろごろ湧いて出る場所なんて前線にすらないよ。
何か神の源になるモノでもあるのかね? ルファって街には。
歩く私の背後でゴブリンの気配も遠ざかって行く。
十分に距離を取った所で、リリは楽しそうに口を開いた。
「あれはね、ゴブリン商人って呼ばれているんだよ」
「へえ、商人って事は私と同じなのか」
少しだけ着飾ったゴブリンに親しみが湧いて来た。
あのゴブリン商人は約束事を間違えたんだよと言って、リリは楽しそうに笑った。
「ゴブリン商人は人語で話し掛け、人間がゴブリン語で返す。それがゴブリン商人と人間が取引する時の決まり。対等な遣り取りをしましょうって意味」
成る程ね。驕りから決まり事を破った。
人間と対等ではなく、その下に自ら立ったと言う事か。
商人なら遜ったとしても相手の言いなりになるべきじゃないのに。
折角それを通せるだけの暴力も持っているのにね。
「ゴブリン商人はこの先どうなるんだい?」
「お婆様が必要としているから、簡単には殺さないわ。ちゃんとヤグラ君みたいに泥を貼り付けたしね」
ああ、あのおっかないあれか。
これでゴブリン共は薬師ギルドの駒に成り下がったって事か。
商売ってのは難しいねえ。死なない目があるだけ傭兵よりマシだけど。
でも、そうなると疑問が一つ。
「ヤグラには何で泥を貼り付けたんだい?」
ゴブリン商人と違って、便利な駒でもないし。
と言うか、銅等級になれたのが奇跡だと思う程度には駄目人間じゃないか?
「ふふ。ヤグラ君はね、限界まで剣を抜かないの」
……刃溢れするからって理由で討伐クエスト避ける男だからな。
必要なら人でも害獣でも斬るだろうけど、必要なければ斬らないだろう。
骨ですら刃溢れの要因になるし、血は錆の原因だ。
私が戦場で斧を愛用したのはその辺りを気にせずに扱える気楽さからだ。
細身の剣はどうにも繊細で使い勝手が悪い。
「金属の塊だけが剣じゃないわ。人は色んな剣を持っていて、それを簡単に振るう。お母さんとお父さんは、色々な剣に斬られて死んだ」
まあ、そうね。
真面目に生きていればいる程、他人が目の前に立ち塞がる。
邪魔なそれは排除するのが手っ取り早い。剣を持っているなら尚の事か。
「ヤグラが剣を抜かないの理由はそんな高尚なそれじゃないと思うけど?」
「いいのよ。ヤグラ君はヤグラ君はのままで。それだけがあれば、それ以外が全部駄目でも良いの」
そこで言葉を区切って、リリの気配が変わった。
おっかない気配じゃなくて、真剣で前向きな人間のそれに。
「それが私の騎士だから」
リリは強く抑揚のある口調でそう言い切った。
真剣で前向きで、狂信者の様な雰囲気で、立ち止まってこちらに振り返る。
これが恋って奴なんだろうな。
振り返ったリリの笑顔が恋する女の子のそれなんだろう。
それがなければ良い男はそれがあるから駄目な男だと、団長からそんな話を聞いた事がある。
相手はきちんと選びなさいと、団長は妙に真剣な目で言っていたな。
じゃあ、それ以外が全部駄目な男はどうなんだろう?
団長は死んだからその質問は出来ないけど、まあ、女の方が強ければそれも有りなのかもね?
「強いお姫様だね。まあ、そんなお姫様も有りか」
私の騎士と、貴方の姫か。
ヒューズさんは権力も魔法もそこそこみたいだから、私が私の騎士に育てれば良いのかな?
良い所はそうだな。
私を名前で呼んでくれる所かな?
にこにこと笑いながら再び夜の森を歩き始めたリリの横顔を盗み見て、私はそんな事に考えを巡らせた。
後日譚的な話の追加は予定していませんので、本話で完結となります。
物語の登場人物は何かしら成長する宿命を背負うモノが多いですが、全く成長しない主人公を描いてみたくて描き始めた物語でした。
最終的に姫様2柱が成長しながら主人公の座を奪って行った気がします。
まあ、姫様2柱もそれ程健全な方向には進みませんでしたし、目標は達成できたとします。
久々に連載しながら物語を作りましたので、着地点も大幅にズレましたし、所々に誤字脱字と矛盾が潜んでいる気がします。
10万文字足らずなのに2年近いのんびりとした連載でしたが、追いかけていただいた方や、この話を最後まで読んでただいた方に、楽しんでいただけたのなら幸いです。




