護るべき者
リリに関する記憶の相違について切り込んでみた所、カクラ様はにやにや笑いながら赤黒い干し肉を噛み千切って飲み込んだ。
そして同じ物を俺に差し出して、こう言った。
「寄生腫から分離して十日以内のゴブリンから抜き取った肝臓の干物さ。強力な解毒作用があるんでの、忘却ポーションですら無効化出来るんじゃよ」
ライン卿もカクラ様も小細工は通用しない方々だ。
組織の頂点に君臨する能力とその経験は、俺程度に出し抜ける程軽くない。
ならばと真正面から話題を持っていったのだが、真正面から殴り返されてしまった。
一言目から聞いたことのない、聞いてはいけないであろう単語が二つも出てきた……。
「ゴブリンの研究は禁忌かつ秘匿情報じゃ。一般的には知られておらんし、その知識を保有している事が薬師ギルドや一部の貴族に知られれば抹殺対象じゃからな?」
貴族に知られればと言いながら、貴族の端くれである俺が聞いた事もない話だ。
これは貴族の中ですら情報が制限されている案件で、取り扱いを誤れば大惨事に発展する情報という事だ。
貴族の中でも家督を継げない者には知れば死ぬ情報が無数にあり、俺の様な者は危険な情報からは目を背ける様に叩き込まれている。今回については手遅れだが……。
実際に新薬の開発は薬師ギルドと貴族に限定された権利であり、開発の前に申告が必要だ。
研究段階ですら管理対象となっているのは、そうなるだけの事象ががあったからだろう。
「カクラ様……御勘弁いただけないでしょうか?」
「なんじゃ、自分から聞いておいて軟弱な。この程度で怖気付いておるなら真実を聞いた所で意味もないぞ?」
真実で殴るのは勘弁願いたい。
そう考えるといっそ忘れてしまった方が楽なのか?
それで俺の平穏が守られるのであればそれも有りなのかも知れない。
「その真実は、知らなくても不利益がない話なのですか?」
「全く軟弱な。知りたくなければ明日を待てば良いぞ? その疑問すら忘れるんじゃからな」
やはり、リリに関する認識の齟齬はカクラ様が元凶の様だ。
「しかし、何故覚えておるんじゃ? とっくの昔に処理済みの筈なんじゃが。ふむ、忘れん可能性があるかのお……ふむ、やはり聞いておけ」
「最早不安しかありませんが、知りたいのは事実ですしね。但し、ゴブリンに関する事は隠したままでお願い出来ますか? これでも一応ライン卿の配下ですので」
リリに関する認識はカクラ様が手を回している様だが、ゴブリンの禁忌は聞かない方が良いだろう。
「軟弱な奴じゃのお……。まあ良い、先ずはこれを食え」
カクラ様はそう言って干し肉を投げて寄越した。
干物はその曲がりくねった形状のせいか、はたまた軸のブレた回転のせいか。
思わぬ軌道を取って飛来した干し肉を受け取り損ねて床に落とし、拾い上げたそれを軽く払い……これを食べるのか……。
ゴブリンの肉は食用にならない。毒があるとかではなくて、単純に不味いからと言われている。
色々な想いが胸中を行き交うのを無視して、齧る。
繊維質な歯応え。干され過ぎているのか味はしない。
食べられなくはない。二度三度と齧っては飲み込んで平らげた。
「リリは私の孫なのさ」
俺が干し肉を平らげるのを待ってから、カクラそう言った。
それだけ言って、黙った。
その声音は普段の相手を小馬鹿にした様なそれとは違い、妙に切実な物だった。
真実で殴るのは先の遣り取りと変わらないのだが、俺はその言葉に知らない頭の部位を殴り付けられた様に感じていた。
説明としては曖昧だが、それでも十分に理解した。
カクラ様も人間なんだなと喉元まで言葉が出かかって、重たい空気に気が付いて慌てて飲み込んだ。
この話題は迂闊に触れるべきではなかったのだ。
今この瞬間でさえ、返答を間違えば後先考えずに俺を始末する算段だろう。
「神の殺し方は、その神の種類による」
何も言えずに佇む俺に、カクラ様はどろりとした暗い視線を向けた。
「リリが目覚めさせた神は、器が先に有った。故に、器を壊せば死ぬ」
ライン卿はリリは泥の依代と言った。リリの泥を殺すのであれば、リリを殺せば良い。
ライン卿は力の源泉となっている花泥が手に負えないからリリを殺さないと言った。
裏返せば、花泥がどうにかなればリリを殺す可能性があると言う事だ。
そして、花泥はもう増えず、減らす手段がある。
カクラ様はリリの泥を管理する立場に潜り込んで、全てを裏切ってでも自らの孫を護る算段なのか。
俺はここでどう回答するのが正解なのか? 背中に冷たい線が通る感触を覚えながら頭の中を限界まで回す。
「中身が先に有る神は、どうすれば殺せるのですか?」
俺は全力で話を逸らす事を選んだ。
ライン卿を裏切るのも、カクラ様相手に言質を取られるのも、どちらも勘弁願いたい。
そんな俺の言葉にたっぷりと沈黙を返してから、カクラ様は軟弱な奴じゃと言って鼻で笑った。
心底呆れた声だったが、その眼にどろりとした視線はない。
「中身が先に有る神は忘れてやるか、或いは思い出せば良い」
「……忘れるか思い出す?」
「例えばの話じゃが、戦場で傭兵共が一人の小娘を勝利の女神と呼び始め、それが行き過ぎると小娘は親が付けた名を失って神になるんじゃよ。その神を殺すには、誰もがその小娘を神と呼ぶ事がなくなれば良いのじゃ。別の二つ名を付けてやるか、本名で呼ばせるかすれば良い」
カクラ様の声がどこか遠く感じる。思考に薄く霞が掛かった様になり、その感覚はすとんと消えた。
それが無理なら周りの人間をなるべく多く殺すのも有効な手立てじゃと、そう言ってカクラ様がにやにやと笑う。
「その手の神はそこらに居る。大半は忘れられて消えるか、運が良ければ人間に戻るんじゃ。そして、消えぬ本物は人に紛れるんじゃ」
そう言われて、はたと気がつく。
武神。冒険者ギルドマスターの名前はなんと言ったのだろうかと。
「ふむ。薬は正しく効いておる様じゃの? 心配は無駄じゃよ。前線では敵味方関係なく、前線でなくとも冒険者も市民も貴族も王族も、既に皆が武神を認識しておる。人の身で出来る事は崇め奉って鎮める事だけじゃよ」
カクラ様の言葉が頭に入って、まるで染み込まない。
だだ一つ確かな事は、俺はどうやら回答を間違えたらしいと言う事だ。
◇
ヤグラを探していたら、珍しい場所に辿り着いた。
冒険者ギルドの共同墓地だ。
「よう、ヤグラ」
「げっ、教官」
一瞬だけ露骨に顔を顰めてから、ヤグラはゆっくりと立ち上がった。
冒険者ギルドの共同墓地には本来存在しない墓石。その前にヤグラはいた。
ゴブリンのスタンピードは鉄等級達の英雄を生み出した。
西門で崩壊しかかった鉄等級達を建て直し、自らも先頭に立ってゴブリンを押し返した枠付き銀等級。
その際に負った傷が原因で翌日に死んだ、夕暮れのリーダーで名前……は何と言ったか?
「それが夕暮れのリーダーの墓か?」
「はい。夕暮れのメンバーがライン卿に掛け合って建てさせたそうです」
「ライン卿? 冒険者ギルドマスターにではなく?」
「レナ……夕暮れのメンバーの一人が実はお貴族様だったそうで」
「ははあ、お姫様連れで鉄等級の群れを指揮してルファを防衛ねえ。そりゃあ大した奴だ」
墓石には名前が刻まれている。
ケビン。そうだ、思い出した、ケビンだ。
印象が薄い訳でもないのだが、名前を思い出せない事が多い奴だった。
市民冒険者としては珍しく冒険者教習を受けた奴だった。
だからこそ鉄等級からの仲間意識も一定量あった。
他の冒険者では鉄等級はその指揮に従わなかったかも知れない。
それにしたって、貴族令嬢……と言っても末娘の類だろうが、そんな足手纏いを引き連れて冒険者やってたとはな。
令嬢の剣術指南役を押し付けられそうな人材だったか。
惜しい人材を失ったものだ。
「ヤグラも……ケビンの世話になってたのか?」
「いい奴でしたから。ラナから聞いた話だと死に顔が穏やかだったらしくて、羨ましくて」
「ああ、そうか」
「意味のある人生には意味のある死が与えられるべきですよね」
そこに万感の想いはない。凍える事実の様な静けさがあった。
生温い奴だが、その言葉には剣術家の持つ妙な美学に似た匂いを感じる。
深掘りはしたくないな。さっさと用事を済ませるか。
「ヤグラ、ケビンから仕事の話は聞いているか?」
「仕事? 何ですそれ?」
ケビンから伝えた筈だが、興味が薄くて忘れられている様だ。
ケビンから仕事内容までは伝えなかったと聞いていたからな。仕方ないか。
報酬も聞かずに快諾されると分かっていたから、ケビンには必要に応じて仕事内容を伝えないでも良いと言っておいたからな。
「武器の手入れだ」
「やります!」
ヤグラは墓石に背を向けて、ぎらぎらと目を輝かせた。




